三里木区  たわらや酒店  宇野功一E

955号 2019年6月2日

(151)日本最北端の酒蔵
國稀(くにまれ)酒造訪問記 最終回

◆最北の酒蔵 國稀
 明治35(1902)年、現在の酒蔵が完成し、酒蔵のある増毛をはじめ、北海道の日本海沿いは、ニシン漁でたいへんな好景気だったといいます。
 訪問した日は大寒波が襲来して外は猛吹雪。増毛(ましけ)の駅から國稀酒造まで、およそ400mを歩きました。駅にはタクシーの待機車がなく、人ひとりいません。目的地の蔵まで歩く以外、手段がありませんでした。服にも雪が積もり、眉毛にもびっしり雪がこびりつきました。

  

 到着後、蔵を案内してくれたのは、佐藤敏明さん。國稀酒造のベテラン社員で、番頭的存在の貫禄のある方でした。
 北海道の酒蔵は本州の酒蔵よりも、厳冬の時期、極端に温度が低下する環境で日本酒を仕込んでいます。ちなみに日本酒は、低温でゆっくりと発酵させると、滑らかで上品な味に仕上がります。新潟など雪の深いところでは、蔵自体が雪に覆われ、その中で日本酒を仕込みます。蔵内の温度はほぼ氷点下0℃。しかし緯度の高い北海道は、0℃どころか、それ以下に冷え込みます。佐藤さんによると、冷やす設備よりも、もろみを温め、保温するための工夫をしているとのことでした。
 「國稀って珍しい名前ですが、由来について教えてください」と私が尋ねると、佐藤さんは資料室に案内してくれながらこう答えました。「乃木希典(のぎまれすけ)大将が名付け親です。初代当主 本間泰蔵が東京に出張した時、乃木大将から名前を賜りました。『國稀』の稀は、乃木大将の希をそのままいただくのはおこがましいことから『のぎへん』を加えて『國稀』としました」と。
 國稀酒造のある増毛からも、多くの方が日露戦争に従軍したそうです。旅順攻防では多くの犠牲者が出たそうです。その時の軍の指揮官が乃木大将で弔いも込めての命名ではないかと…。
 蔵の最も奥に仕込み蔵があり、大きなタンクが整然と並んでいました。「國稀酒造の主力は、今でも地元向けの2級酒です」と佐藤さん。試飲させてもらうと、なるほど地元向けの2級酒は淡麗甘口で、上品な甘味がありました。1級酒はすっきりした辛口で、1級と2級でこんなに味の違う日本酒は珍しいと思いました。
 私が気に入ったのは辛口の純米酒。北海道産のコメの旨みを心地よく乗せたキレのよい味。冷やでよし、燗でよし。脂の乗ったホッケの塩焼きと國稀は実に美味い。
 家族4人で最北の酒蔵に訪問でき、よき思い出となりました。


959号 2019年67月7日

(152)酒の神様 野白金一物語その1

 世界中で今、静かな日本酒ブームが起こっています。現在でも日本中の日本酒は、熊本市島崎にある熊本県酒造研究所(香露醸造元)で生まれた酵母で仕込まれています。実は、日本酒のメッカ(聖地)は熊本なのです。意外に知らない酒の神様・野白金一博士の生涯を、シリーズでご紹介したいと思います。

◆肥後の灰汁持ち酒
 誠に困ったことが起こってしまいました。肥後藩は昔から清酒醸造はご法度でした。なぜならば、冬は寒いとはいえ、温暖な地域で、健全においしい清酒を醸すことはたいへん危険です。温暖な地域でも安全に作ることができるのが灰汁持ち酒「赤酒」でした。実は、藩主は酒蔵が醸造に失敗して、倒産するのが怖かったのです。
 藩に入る酒税金は江戸時代において、相当な割合を占めていました。米を原料に、その米を磨き、磨いた米でモロミをつくり、酒を仕込む。酒は米の何倍もの価格で売られていました。米が貴重だった上に、贅沢に米を磨いて醸した酒は、高価格となり、それなりの身分の方が嗜(たしな)んでいました。庶民が酒を飲むというのは、盆、正月か収穫に感謝する豊年の秋祭ぐらいでした。
 肥後藩の酒は赤酒。赤酒は「御国酒(おくにざけ)」と言われていました。普段の晩酌はもちろん、お正月の御屠蘇酒も赤酒を用いました。一方、他藩の清酒は「旅酒」と言いました。藩外に出た者は旅先で清酒を飲み、赤酒と違った味わいを絶賛しました。
 困ったことは明治維新に始まりました。藩が無くなり、人と物の往来が自由になると、他県の清酒「旅酒」が、どんどん熊本へ入ってきました。熊本の赤酒の造り酒屋はお手上げの状態となり、廃業に追い込まれる酒蔵もありました。

◆野白金一、熊本へ赴任
 1903年(明治36年)8月、野白金一氏が熊本税務監督局へ赴任。翌年2月に始まる日露戦争の足音が聞こえ始めた時節でした。日本陸軍・熊本第6師団は、陸軍屈指の精鋭師団として、日清戦争でも活躍したことが日本中に知られていました。鹿児島、都城、久留米そして熊本の九州男児で組織されたこの師団は特に酒を好んで飲んでいました。“うまか”酒を飲み、酒税を納め、産業を興し強い兵隊を組織し、先の徳川幕府が締結した不平等条約を改定させることに明治の日本人は躍起になっていました。
 野白金一氏はこんな時代背景の中、1876年(明治9年)12月18日に松江市に生まれました。1898年(明治31年)9月に東京工業高等学校(現在の東京工業大)応用化学科に入学し、1901年7月に同大を卒業。初任は松江でしたが、2年後熊本に赴任して格闘が始まるのです。(つづく)

 

○野白金一氏が初代社長を務めた酒蔵「香露」
【香露 特別本醸造旧特級酒】
原料米  麹・九州神力 / 掛・九州神力
精米歩合   60%    / 日本酒度   +1.0
酸  度   1.4ml   / アミノ酸度  1.7ml
度  数   15.8%  / 酵  母    熊本酵母
価  格   1800ml  税込2520円

 

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