三里木区  たわらや酒店  宇野功一C


691号 2014年1月1日

(90)無形文化遺産「和食」のつれあいの酒

◆和食の時代に和酒の出番
 明けましておめでとうございます。
 昨年12月4日ビッグニュースが舞い込んできました。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の会議で、無形文化遺産に「和食」が正式に登録されました。このニュースが投げかけることの意味は、実に深いものがあるように思います。乱暴な言い方かもしれませんが、「和食」が絶滅危惧的なゾーンに存在するということかもしれません。
 食生活のスタイルは世代によって大きく変わるものであると思います。しかし、日本の食の継承に危機感を覚えた京料理の関係者が、無形文化遺産登録を発案したそうです。和食という広義の食文化は、日本の長い歴史の中で、それぞれの地域で育まれたものです。春夏秋冬の四季があります。彩りがあります。
 お正月に、家族のみんなで頂くお節料理は最も晴れの料理ではないでしょうか。
 和食の一汁三菜のスタイルは、日本人以上に世界が憧れる食生活のスタイルであるようです。和食の味わいをより美味しくするのは何といっても、日本酒や焼酎ではないでしょうか。日本酒や焼酎を私は「和酒」(わしゅ)と呼んでいます。日本酒や焼酎に共通するものが、米麹を使い醸されていることです。
 カビの一種である麹菌を巧みに使うことによって、日本酒や焼酎が出来上がります。今年は和食が世界に広がる元年。和酒も世界に広がり、国内でも和食や和酒が見直されたら〜と願うものです。

◆めざましく進化した和酒百年
 明治時代、西洋から科学が入り、和酒の世界でも、科学的な目線で発酵をとらえることになりました。そして大正時代になりますと、これまでの伝統的な手法を改良して、現在の酒づくりが確立していきました。例えば、酒を仕込む時に、健全な酵母を大量に培養する酒母の仕込みがあります。「山廃」仕込み、「速醸」仕込みもこの時期に全国に広まっています。
 昭和の初めには、水車精米から電気発動を使用して精米機が開発され、高精白の原料で、低温発酵する吟醸酒が産まれました。お米から産まれたと思えぬフルーティーな香り。
 さて、これから百年、どんな醸造技術で、どんな和酒が産まれるのでしょうか?時代が変わっても、和食の美味しさが分かり、和酒の美味しさが分からないと、日本から和食や和酒が消えてしまいます。健全な消費が食文化の危機を救うと思います。先ずは和酒で乾杯!!


695号 2014年2月2日

(91)日本を知ろう!

◆ソチオリンピック始まる
 明日3日は節分。明後日4日は立春で初午です。暦の上では春を迎えます。
 2月というと、ロシア・ソチで冬のオリンピックが現地時間2月6日より始まります。今大会では、どんなドラマが見られるのでしょうか。日本人の大いなる活躍を期待したいものですね。

◆日本を知ろう!
 海外に住む人から 「日本の○○について、日本人はどう思いますか?○○の歴史を教えて下さい」
と問われたとします。意外と答えられないことってありませんか?
  世界的に有名な指揮者・小澤征爾。その弟子で新進気鋭の若手指揮者・山田和樹が2月11日に熊本県立劇場で、交声曲「海道東征」(かいどうとうせい)を演奏します。この曲は昭和15年に信時 潔作曲、北原白秋作詞で作られた日本人が手がけたクラシック音楽です。
 山田和樹は海外でさまざまなオーケストラを指揮する中で「日本の伝統のクラシックとは何か?」を考え、この海道東征に出会ったそうです。戦後この曲が奏でられるのは2回目だとか。日本の国の成り立ち「古事記」や「日本書記」をひも解く壮大な叙情詩であります。

◆おもてなし
 滝川クリステルさんが、オリンピック招致のプレゼンで使った「おもてなし」の言葉が世界の言葉になりました。日本というものを端的に表現した言葉だと思います。
 食のおもてなしで欠かせないのが日本のお酒ではないでしょうか。日本には、日本酒と焼酎(泡盛)があります。どの酒も「米麹」を使い発酵させる酒です。酒に限らず、調味料の味噌、醤油、漬物、鰹節、酢が、麹や発酵によって、日本の豊かな香味を生み出しています。
 2020年の東京五輪の開催が決まり、国家的にも観光立国を目指す日本。今後は、今以上に日本人が日本のことを振り返ることが多くなるのではないかと思います。

◆五輪に五凛はいかが
 酒どころ金沢。太閤秀吉の時代から加賀の酒は天下の銘酒として知られていました。伝統的な技法の山廃仕込みで仕込んだ純米酒『五凛』。日本酒の名工 中 三郎(なか さぶろう 能登杜氏の四天王の一人)杜氏が仕込んだ絶品を、五輪の年に飲んでみては如何でしょうか?

◆五凛について
 金沢の銘酒 天狗舞の限定酒。蔵元・杜氏・酒屋・飲食店・飲み手の五者が常に凛として酒を楽しんで欲しいという意味だそうです。
 1800ml・2,730円


699号 2014年3月2日

(92)桃の節句のお酒について

◆甘みを求めた話
 学生時代の数年間、東京で過ごしました。関東平野のど真ん中が東京です。今日の東京の礎を築いたのはなんといっても徳川家康でしょう。
 家康が江戸城を普請する前の関東は、北条早雲が伊豆国を治め、続いて関八州を治めるようになります。戦国大名の黎明期の出来ごとです。北条早雲は、関八州の平野に城を築くのではなく、小田原に駿府城を築きます。例えるなら、お寺の広い畳敷きの部屋の真ん中で眠るのではなく、壁際の角に眠る、そんな心境でしょうか。
 東京というところは、平野といいながら、多少の起伏が連続する地形です。地名を見ると、○○谷という地名が実に多いのです。例えば、千駄ヶ谷、阿佐ヶ谷、市ヶ谷、四ツ谷などなど。谷の地形でありますので、その地形を利用して、麹屋が軒を連ねるようになりました。
 今でこそ、砂糖を容易に海外から輸入できる日本ですが、砂糖は江戸時代、琉球から輸入されるたいへん高価なものでしたし、販売しているところが薬屋でした。甘いものに飢えていたというのが、日本人でした。普段の生活で甘味料として、庶民が用いたのが、米麹を使った食品でした。ですから、麹屋はそれぞれの地域に存在しましたし、昭和の頃まで存在しました。
 江戸城の外濠、北岸は江戸湾から隅田川、日本橋川と入って、石垣の石材などを陸揚げする鎌倉河岸では竜閑橋と神田橋の間に鎌倉町があります。現在の住所でいうと内神田二丁目あたり。この辺りは神田の麹屋が造ったあま酒や白酒屋がたいへん多かったのです。こと、桃の節句ともなれば、白酒は飛ぶように売れたそうです。

◆桃の節句の白い美酒
 さて、3月3日は桃の節句です。女の子のいるご家庭では白いお酒を飲む風習があります。白いお酒としては「白酒」「にごり酒」「あま酒」があります。
 それぞれ製法が違います。あま酒は米麹を使用してもろみを糖化させますが、酵母によるアルコール発酵はしていません。よって、ノンアルコール飲料です。お子様に飲ませてもよい酒です。余談ながら、塩を入れると塩麹になります。
 にごり酒は、日本酒のもろみを軽く漉したものです。上澄みはまさに日本酒です。
 江戸時代、人気だった酒が白酒でした。米麹と蒸したもち米に水の代わりに甘味のある味りんを使って仕込んだお酒が白酒です。できたもろみを石臼で轢き、舌触りを滑らかにしました。桃の節句に、古人がめでた白い美酒を飲んでみてはいかがでしょうか。甘味が強いのが苦手の方は、これらの酒に牛乳や炭酸水で半々に割って飲むのもいいでしょう。

 


704号 2014年4月6日

(93)酒とさくらとにほんじん男と女

◆「さくら」はお米の神さま
 さくらが咲く時期になると、なんとなく、気がせくような、うきうきするような気になります。私だけでしょうか。
 毎年のことながら、武蔵塚公園そばの早咲きのさくらの開花を待つ早春。今年は3月10日に数輪のさくらの花が咲きました。このさくらの花が咲いて、10〜14日後に、気象台からソメイヨシノの開花宣言となります。今年は3月20日の開花宣言がありました。見事的中。
 一般的に、さくらの開花から7〜10日ごろに満開を迎えます。この記事が皆様のところに届くころには、さくらの花が散る頃かと思います。
 春にはいろんな花が一斉に咲き始めます。こぶし、梅、桃、さまざまな花が咲きます。さくらは日本人にとって、とても特別な花のように思います。お花見と言えば、さくらの花です。他のお花で、花見をしたということは、聴いたことがありませんね。
 古来より、日本では稲作を中心として社会が形勢されてきました。奈良・平安の貴族の時代にしても、鎌倉以降の武士の時代にしても、稲作は人々の生活の核をなしていたことは言うまでもありません。さくらの「サ」は田の神さま、つまり稲作の神さまを表現する言葉と言われています。「クラ」は神の座、神座=かみくら、の意味があるといわれています。さくらの開花は、お米の神さまがご降臨された証であると、古来の人々は考えたようです。さくらの花が咲いた後から、稲作の農作業が始まります。先ずは、お米の種まきです。種まきをして、40日後に、いよいよ田植えが始まります。
 さくらの開花は農作業のはじまりを意味していました。現在でこそ、農業が機械化されましたが、お米を栽培することは、集落全員が総動員でやる仕事でした。さくらの花の開花は、お米の神さまのご降臨とともに、今年も豊年満作でありますように祈った儀式が花見の宴になったといわれています。
 だから、日本人は、さくらの花に特別な思いを寄せるのかもしれませんね。
 新年度のスタートの時期です。みなさまも今年度のいやさかを祈念して、久しい方々と一献・酌み交わすのもいいものですね。「乾杯」

お花見のお供に
出羽桜・出羽燦燦 純米吟醸(山形県天童市・出羽桜酒造)


708号 2014年5月4日

(94)呑み鉄のススメ

◆乗り鉄一筋・・・
 私の趣味は鉄道で旅をして、地方の銘酒に巡り合うことです。
 鉄道に乗って旅をする楽しみに触れたのは、小学生時代、友だちと、全国各地を旅するという設定のボードゲームに熱中になったことに始まります。チャレンジ2万km(当時の国鉄全線のおよその総営業距離数。正確には20,922km)。
 いつしか「よし、実際に、自分で乗って、旅をしてみよう〜」と思いました。中学・高校・大学の8年間を要し、旧国鉄242線区全線・全区間、完乗しました。バカでしょ。
 今では、この手の鉄道ファンを「乗り鉄」というのです。乗り鉄の先駆者といっても過言ではないでしょう。

◆さまざまな鉄道(鉄ちゃん)
 一口に鉄道ファンといってもいろんなジャンルがあります。
 先ずは、車輌鉄(しゃてつ)=最もコアな鉄道ファン。それを細分化すると、車輌分類鉄、車歴分類鉄、装置鉄、内装鉄、車輌編成鉄、外装鉄などなど。鉄道雑誌はこの層をターゲットにしています。
・撮り鉄(とりてつ)=鉄道車両を撮影して楽しむ鉄道ファン。
・音鉄(おとてつ)=車内放送、車輌エンジン音などを録音・録画して楽しむ鉄道ファン。
・収集鉄(しゅうしゅうてつ)=切符、駅のスタンプ、鉄道車両の備品などを収集する鉄道ファン。
・読み鉄(よみてつ)=時刻表を開き、勝手に想像して勝手に旅をして楽しむ鉄道ファン。時刻表は見るのではなく、読むといいます。
・ママ鉄=子ども連れで、鉄道の旅を楽しむママ。

◆景色と名物と地酒とご縁
 オタクにならなくても、誰もがはまってしまうことが呑み鉄です。
 目的地まで、自家用車で行くのではなく、鉄道で旅をしてみませんか?。家族みんなで行くのもよし、一人で旅行するもよし、仲間で旅行することもよし、女子だけで女子旅をするもよし、出張の移動手段で利用するもよし。季節を問わず、天候を問わず、車窓からの眺めは、どんな銀幕の映画よりも楽しく、決して飽きることはありません。
 その時に持っていく必需品があります。

《鉄旅の三種の神器》
○ご当地の駅弁
○ご当地のワンカップ(地酒)
○読みたい本&時刻表

 これさえあれば、ひとり旅でも飽きることはありません。
 絶景との出会い。地方の名物との出会い。地酒との出会い。人とのふれあい。だから鉄旅はやめられません。
 今年のゴールデンウィーク後半、呑み鉄で自分だけの旅を楽しんでみませんか?


711号 2014年6月1日

(95)夏至の日に発売する酒がある。夏酒の話

 さらさらな粉雪のイメージの日本酒があります。〜盛夏にピッタリ。粉雪を彷彿させる味わいを頂きます〜

 厳冬期の冬の朝、いつものようにテレビをつける。決まった時間に決まったキャスターによる気象情報がながれています。
 「今日も西高東低の冬型の気圧配置です。等圧線が東西に込み合っていますので、日本海側を中心に雪が降り続くでしょう。ではひまわりからの雲の流れを…」
と言っています。南国熊本の曇天のくもり空。すっきりは晴れないが、こんな天気予報を聞くと、決まってある新潟の酒蔵のことを思い出します。
 その酒が生まれる北魚沼郡小出町一帯は、日本で一番に雪が降り積ります。全国に雪の似合う街があるかもしれませんが、雪の精が住んでいるとするならば、この地域をおいて他にはありません。雪とは縁遠い南国九州の雪と言えば、湿気の多いドカ雪。けれどもこの酒の生まれる小出に降りしきる雪はサラサラとした粉雪であります。とても美しい。まるで、雪の妖精たちの仕業がないとなりえない「美しい銀の世界」。
 この酒の生まれる郷は「魚沼」と言われる地域です。魚沼といえば「コシヒカリ」。全国的に名を馳せた食用米の横綱的存在の米です。粘りがありもちもちしていて、透き通るように綺麗なつやのある米。
 食米もさることながら、昔から淡麗の綺麗な酒ができる地域でもあります。酒造の創業は明治17年(1884年)。約百十余年の歴史のある酒蔵。大正時代に現在の上越線が開通。最寄駅・小出駅は大正12年9月に開業。昭和6年には、谷川岳をぶち抜いて群馬県側と一本の線路で結ばれ、上越線は新潟と東京を結ぶ大動脈の役割を果たします。
 「雪洞貯蔵酒」は厳冬に搾ったばかりの純米吟醸酒を1升瓶に詰め、1本1本火入れした後、すぐに雪の壁に覆われた雪の洞窟(雪洞)の中で約半年間貯蔵されます。豪雪地帯ならではの貯蔵方法です。一切の光を通さず、約0度に保たれた雪洞で貯蔵されたお酒はゆっくり、ゆっくり熟成され、生酒よりもマイルドに、通常のお酒よりも若々しく、ふくらみのあるお酒に変身します。雪の妖精たちがお酒を、サラサラな粉雪のイメージに変えていくように思います。
 今年の夏至は6月21日。7月初旬には雪の妖精の酒に出会えます。
 長くて暑い夏。大きめのグラスに、大きめの氷を入れてオンザロックが旨い。暑気払いにお奨めの銘酒です。

 

【夏にお奨めの日本酒】
緑川「緑」純米吟醸


製造元:新潟県魚沼市  
緑川酒造


720ml・1728円(税込)


716号 2014年7月6日

(96)にんじん焼酎 酔紅に秘められた思いを語る

◆酔紅誕生
 街には街の酒がある。残念ながら、菊陽町には造り酒屋がない。しかし、特産品として酒を作ろう〜とのことで、平成19年度より特産酒開発のプロジェクトがスタートした。菊陽町の特産品「にんじん」をお酒にするというのだ。正直、難しいと思った。なぜならば、酒は本来、原料の中に含まれる糖分を、酵母の力で発酵させてアルコールを作る。にんじんに糖分があるのだろうか?
 にんじんをどのようにしたら、原料として使えるのか?さまざまな課題を解決しなければならない。この課題に、パートナーとして製造という分野で協力してくれたのが、人吉市・深野酒造であった。若手の蔵人が、新しい焼酎の取組に理解を示してくれ、伝統的なカメ仕込みで、手作り麹づくりで作ることになった。問題は、にんじんをどう処理するかである。いろんなことが考案されて、蒸かして、ペースト状に柔らかく砕き、もろみに溶かす方法でやってみた。みごと、菊陽産のにんじんの香味を、上品に引き出すことに成功した。蒸留方法も「常圧」・「減圧」といろいろと試験して、新酒の時の味わい、熟成した味わいを比較して、ようやく、平成21年6月、菊陽特産にんじん焼酎「酔紅」が誕生した。酒名は、一般公募の中から選ばれ、ラベルは「巨人の星」の作者・川崎のぼる先生がデザインしてくださった。
 にんじんを作った農家の思い、麹米を作った農家の思い、新しい物づくりに取り組んだ蔵人の思い、新しい特産品づくりに協力してくれた川崎のぼる先生の思い、最後に新しい特産品を伝える酒屋の思い。これらの「思い」がひとつになって「酔紅」が誕生した。

◆地域の潤うローカル商品「酔紅」
 理想だが、安ければいい、美味ければいい、という価値基準で、商品を買ったり、お客様に伝えたりするだけでよいか?。原料を作る方々も商品が売れることで適正に儲け、製造するメーカーも適正に儲け、販売する町の酒屋も適正に儲ける。町の方が、それを飲んで、また、町のみんなが潤う。地味だが、文化の香りの酒が「酔紅」である。地域が潤う、菊陽でしか味わえない超ローカル商品。

◆晩酌に「酔紅」を・・・
 古来より、わが日本人は、酒に寄せた思い入れが深い。だからこそ、混沌とした時代、疲れた身体を労う夕餉のひとときに、痛んだ心身を癒す家族団らん、友との語らいの宴にローカル焼酎「酔紅」を飲んでもらいたい。
いつも飲んでる「黒○○」もいいけど、たまには「酔紅」を味わってもらいたい。菊陽町で、菊陽の人が飲むから「酔紅」だから美味しい。私たち、町の酒屋はそんな「酔紅」を作っている。

【夏にお奨め 酔紅ロック】
菊陽町内の酒販店で販売  720ml・1143円(税別)


720号 2014年8月3日

(97)泡までうまいビールのはなし

 ビールが最も美味しく感じる暑い夏がやってきました。今月は、ビールについての話題です。

◆ラガー系とエール系
 私たち日本人が一般的に飲んでいるビールは、9割9分がラガー系のビールです。ラガービールしか日本人は知らないと言っても過言ではないと思います。
 大手メーカーのビール
・キリンラガー  ・キリン一番搾り
・アサヒスーパードライ
・サントリーモルツ
・サッポロ黒ラベル
これらすべて、ラガービールなのです。
 世界的に見ますと、ビールは概ね2種類に大分されます。それは、発酵をさせる方法で2種類に分かれます。
 ひとつは、下面発酵製法でつくるビールです。日本のラガー系ビールはこの発酵製法で作られます。
 もうひとつは、上面発酵製法でつくられるビールです。エールビールに代表されるものがこれに当たります。

◆ラガービールとエールビールの違いは
 日本のビールに代表されるラガー系ビールは、10℃前後の低温でゆっくり発酵します。発酵期間は約1週間〜2週間。出来上がったビールはすっきりしたシンプルな味わいになります。
 イギリスやドイツのビールに代表されるエール系ビールは、20℃前後の常温で短期間に発酵されます。4日程度で発酵が終わります。香りは果物に似たフルーティーな香りに満ちています。発酵過程で、酵母が多くのエステル類をつくるためです。味わいも複雑で、個性的な味わいのビールが出来上がります。

◆冷やして旨いビール 常温で旨いビール
 古来、欧州では水道設備が整っていませんでした。水の代わりに喉を潤す飲み物として発展したのが、ラガー系ビールです。
 一方、エール系ビールは、ブドウが採れない寒冷な地域で、赤ワインに劣らない豊かな香味を追求して発展したビールです。
 暑い夏、キ〜ンと冷やして飲むビールはラガー系ビールが断然うまいです。ゴクンと喉越しで楽しむビールですね。
 これから秋が深まります。味わい深い山の幸・海の幸にはコクと香りの複雑なエール系ビールで、香味を楽しむことをお勧めします。


724号 2014年9月7日

(98)最も早い月見酒

◆旧暦(太陰太陽暦)が生きているお月見の行事
 みなさまにとって暦といえばもちろん太陽暦=新暦でしょう。このコラムで何度か触れたと思いますが、明治5年以前は、現在の太陽暦ではなくて、お月様を基準とした太陰太陽暦=旧暦でした。
 お月見の行事だけは、現在でも旧暦で行事を行う風習が残っていますね。今年の場合、今世紀2番目に早い暦でお月見が行われます。ということは、秋の到来が例年よりも早いのかもしれませんね。
 中秋の名月は、旧暦の8月15日です。今年は4年ぶりに旧暦8月16日(十六夜月)がまん丸になるそうです。今の暦でいうと、旧暦8月15日は明日9月8日(月)、旧暦8月16日は明後日9月9日(火)となります。

◆旧暦は19年周期
 簡単に旧暦のことについて述べます。本当ならば、このコラムでは書けないほど複雑なのですが・・・。お月様を暦とする旧暦は、新月から新月に変わる日数・平均29.5日を1ヵ月とします。29日と30日が存在するのはこのためです。
 29.5日×12ヵ月=354日となります。太陽を基準とする新暦とのずれが365日−354日=11日、生じます。旧暦の方が1年に11日短くなります。単純にいうと、3年間で1ヵ月早くなるようになります。これを調整するために、ある基準で、閏(うるう)月を入れます。今年は旧暦9月に閏9月が入りますので、旧暦では今年は13ヵ月で1年となります。
 19年に7ヵ月閏月を入れて、太陽暦との差をあわせて運用します。ですので、このように9月8日に中秋の名月が早まるのは、今年の次は19年後です。

19年後の2033年の中秋の名月は9月8日

38年後の2052年の中秋の名月は9月7日
(今世紀最も早い日付の中秋の名月↑)

57年後の2071年の中秋の名月は9月8日

◆月を愛で、酒を愛でる秋
 暑さもおさまり、空気が澄んでくる秋。宵を楽しむ絶好の季節です。古人は月を愛でて物思いに耽り、句を読んだり、酒を飲んだりして楽しみました。
 春の新酒も、この時期になりますと旨みが増してきます。秋に発売される熟成酒を「ひやおろし」といいます。海も山も美味しいものがとれる秋。更けゆく秋の夜、静かにお酒を楽しむ季節がやってきました。食べ物を、お酒も美味しい季節がやってきました。(乾杯)


728号 2014年10月5日

(99)新幹線開業50年 旅と酒の文化考

◆夢の超特急誕生から半世紀
 10月1日、は「日本酒の日」ですが、新聞紙面を見て、新幹線開業50年の日と書いてあります。若い読者には馴染みがないと思いますが、東京〜新大阪を結ぶ東海道新幹線は、昭和39年10月1日、東京オリンピック開催にあわせて開業。当時の日本の技術の粋を結集して作られた全く新しい夢の交通手段でした。当時、世界の常識として、未来の交通は「車」と「飛行機」だったのです。今や、新幹線は日本中にネットワークを広げています。日本のみならず、世界中にネットワークを広げようとしています。
 根底にあるのが「安心で安全」「定時運行」「大量輸送」にあると思います。開業以来50年間で、利用者の死亡事故はゼロなんだそうです。新幹線の最高時速は開業当初210q/hでした。現在は285q/hで運行されています。高速で走る新幹線からの車窓の眺めは格別です。手前の景色は飛ぶように見えますが、遠くの山や海はゆっくりと動いていきます。トンネルもあれば、鉄橋もあり、川や湖を渡り、都市と都市を結んでいるのがわかります。

◆新幹線が育んだワンカップ
 車窓の眺めを楽しみながら「駅弁」と「酒」が旅のお供にぴったりですね。兵庫県灘のあるメーカーが1合サイズに詰めた日本酒を「ワンカップ大関」として発売したのも新幹線が走り出した昭和39年10月でした。この商品の登場で、日本人の酒を飲むスタイルを大きく変えたのではないかと私は考えます。
 徳利とお猪口のさしつ、さされつのスタイルから、独酌スタイルへ。ワンカップの誕生は、缶ビールの登場を誘発させたと思います。缶ビールの誕生は昭和46年です。
 駅弁を食べながら、1合サイズの日本酒を「ちびちび」飲む。春夏秋冬、朝昼晩で同じ景色はない車窓の眺めを肴に楽しむ。このスタイルは、新幹線が育んだのかもしれません。
 さて、2020年に東京オリンピックが開催されます。その後、2027年頃には中央リニア新幹線が開業する予定です。最高時速500q/h、東京〜大阪を1時間で結ぶといいます。リニアが育む旅と酒はどんなものが生まれるのでしょうか。未来の旅と酒の文化を楽しみにしたいものです。


732号 2014年11月2日

(100)日本のウイスキーおもしろ文化考@

◆マッサンのおいたち
 NHK朝ドラ「マッサン」。主人公の竹鶴政孝(=ニックネーム・マッサン)がモチーフになっています。
 竹鶴政孝は1894(明治27)年に広島県賀茂郡竹原町(現在の竹原市)で日本酒醸造業・製塩業を営む竹鶴敬次郎の三男として生まれます。政孝は幼い頃から、その環境からか酒に興味があったといいます。忠海中学(現・広島県立忠海高校)を卒業して、大阪高等工業(現・阪大工学部)で醸造学を学びます。忠海中時代、一年後輩に後に総理大臣になる池田勇人がいました。池田と竹鶴は生涯交流があり、池田は国産のウイスキーの普及にもつとめたといいます。
 1916(大正5)年、竹鶴は高校の先輩の招きで、洋酒製造会社・摂津酒造(現在の宝酒造)に入社。
 1918(大正7)年、単身でイギリス・スコットランドのグラスゴー大学に入学し、有機化学と応用化学を専攻。グラスゴー大学で、医学部唯一の女子学生・エラさんに頼まれ、末弟のカウンくんに柔道を指導しました。柔道を指導するうちに、エラさんの姉のリタさん(ドラマではエリー)と知り合い結婚。ドラマと同じように、二人の結婚はスコットランドでも、広島でも祝福してくれる人はおらず、二人だけの寂しい結婚式であったようです。

◆サントリー白札誕生
 帰国後、摂津酒造で本格的なウイスキーづくりに…と思ったのですが、世は第一次世界大戦後の不況の中で、資金調達ができずに挫折。1922(大正11)年に摂津酒造を退社して、一時、化学の先生として教鞭を執りました。1923(大正12)年に寿屋酒店・鳥井信治郎(ドラマでは鴨居社長)は、本格的な国産ウイスキー事業を計画。破格の年俸で、マッサンを雇い入れるのです。
 竹鶴はスコットランドに似た気候の北海道で製造することを主張しますが、鳥井は輸送費がかさむことと、容易に工場見学ができないことに難色を示します。結果、京都府山崎にウイスキー蒸留所を建設。1924(大正13)年、初代工場長としてウイスキーづくりがスタートします。
 1929(昭和4)年にサントリー白札が発売されます。しかし、当時の日本人にはスコットランド仕込みの本格的なスコッチウイスキーは受け入れられず、販売は低迷したといいます。
 大正の終わりから昭和の始めのこの時代、マッサンの地元広島の酒や熊本の酒が全国清酒品評会で高成績をおさめ、台頭してきます。芳醇にして、口当たりに甘味を感じる日本酒が人気でありました。キレがあり、ドライなウイスキーとは嗜好が180度違っていました。(来月に続く)


737号 2014年12月7日

(101)日本のウイスキーおもしろ文化考A

◆日本産ウイスキーのおいたち サントリー誕生の秘話!!  
 NHK朝ドラ「マッサン」。いよいよ、1924(大正13)年に巨額の資金を投じて、日本初のウイスキー蒸留所・山崎蒸留所(京都府)で本格的なウイスキーづくりがスタートします。  
 鳥井とマッサンの一番の悩みの種は、ウイスキーづくりではなく、酒税でありました。現在の酒税は、製造元を出た時点で税金が課せられる方式=課税移出方式に対して、戦前までの酒税は、造石税でした。製造する時点で税金が課せられました。長期間(5年以上)じっくり熟成をさせて発売されるウイスキーにとって、造石税は当時のサントリーの屋台骨を揺るがすほど、資金的大きなリスクでした。造石税でしたので、全国各地の蔵元では、酒が腐る=腐造が一番怖かったのです。大正年間には、アルコール発酵が順調にいかず、モロミが腐りやすい年がありました。製品ができなくても、酒税が課せられ、多くの造り酒屋が廃業に追い込まれることもありました。   
 ウイスキー製造も麦芽を糖化させたあと、糖化した糖分を健全に発酵させます。発酵で得られたアルコールを2回蒸留することにより無色のアルコール度数の高い液体を得て、木樽に入れて熟成をさせます。もし、腐造がおこれば、ウイスキーどころか、会社の存亡に関わる事態に陥ります。また、ウイスキーは木樽に熟成させている間、酒量が目減りしていきます。これは、天使が飲んだとされ「天使の分け前」と言っていました。  
 マッサンは、大阪税務監督署に通いつめ、造石税方式から、出荷の時に酒税を払う蔵出し税方式に変えてもらうよう交渉しました。

 1928(昭和3)年秋のこと。
鳥井:「そろそろ4年や。マッサン、どうやろう。発売してみては?」
政孝:「まだ早い。理想のブレンドウイスキーを造るには最低でも5年必要です。」

 マッサンも会社の事情は重々分かっていました。翌年1929(昭和4)年春、サントリー白札が1本4円50銭で発売されました。太陽ワイン=サンと鳥井=トリイを合わせて「サントリー」の名前が生まれるのです。しかし、白札は売れませんでした。高価な上、スモーキーフレーバー=焦げ臭い香りは当時の日本人の嗜好には馴染まなかったのです。マッサンに求められたのは、日本人に馴染むウイスキーづくり。マッサンはスコットランド伝統の「本物のウイスキーづくり」にこだわるのです。
 10年の契約期間が切れたマッサン。理想のウイスキーづくりを行うために、汽車と青函連絡船を乗り継いで、30時間かけて、北海道余市へ。1934(昭和9)年、マッサンはこの地で、本物のウイスキーづくりの蒸留所を作るのでした。
(続く)


741号 2015年1月1日

(102)お正月こそ日本酒!!

 明けましておめでとうございます。
 平成27年の干支は、乙未(きのと・ひつじ)です。
 未は羊ではなく、未を使います。未=「あいまい」「植物が繁茂して生い茂り暗い様子」「果物が熟している様子=味に通じる」を示しているそうです。この年が、羊のように、穏やかな、ほんわかした一年であることを願いたいと思います。

◆お正月は日本酒・・・
 さて、みなさまに質問します。
お正月、飲んでいるお酒、今から飲もうとするお酒はなんですか?
これは、酒類大手メーカーが2012年に調査したアンケート。対象は20〜69歳の男女500名。結果は、
・ビール系飲料=52%
・日本酒=46%
・焼 酎=24%
・酒は飲まない=26%でした。
 さらに、「おせち料理にどのような酒があうと思いますか?」の質問では、
・日本酒=70%
・ビール系飲料=36%
という結果でした。世代を問わず、日本酒が断然人気でした。
 お正月は、成人の男女、約半数が日本酒を飲むということが分かりました。

◆平成27年・イチオシ地酒「泰斗」
 大胆予測。今年は、きっと「泰斗」(たいと=熊本県山鹿市・千代の園酒造)がブレイクするでしょう。「泰斗」とは、千代の園でお馴染みの山鹿市・千代の園酒造が造る限定酒です。平成8年に、熊本県内の酒屋、数軒で発売をはじめました。今や熊本で最も人気の銘柄になって参りました。
泰斗のコンセプトは、
・熊本県産の酒米(山田錦他)使用
・熊本酵母を使用
・熊本流吟醸づくりの酒
・熊本の酒屋が、熊本の日本酒ファンにその魅力を伝える

 まさに、熊本づくしの日本酒です。
 発売して今年で20年目を迎えます。最近では、各店で品切れを起こすほどの人気。熊本の銘酒「香露」の流儀に学び、更に洗練された酒づくりを行ったのが「泰斗」なのです。

 暮れに、新米で仕込んだ新酒版の泰斗・無濾過生原酒・純米吟醸が入荷しています。モロミをそのまま壜詰めしたために、淡くにごりがあります。完全に発酵を止めていないため、プチプチ・チリチリとした炭酸ガスが絡み、シュワーと広がる甘くてとろりとした爽やかな味わい。酒蔵で飲む、あの搾りたて生酒の味わいが存分に味わえます。
 年初め、熊本の日本酒「泰斗」・新米新酒で乾杯しませんか?
平成乙未元旦


745号 2015年2月1日

(103)日本のウイスキーおもしろ文化考B

◆酒は平和の使者
 NHK朝ドラ「マッサン」。舞台は北海道余市。マッサン著・「ウイスキーと私」の本の中に、こんなことが書いてある。
『ウイスキーをつくる仕事は、何年か先を目標にする気長な事業である。ウイスキーづくりに適した土地で、よい原酒を時間をかけて育てるのであるが、熟成するまで事業が、もちこたえるかどうかに、可否がかかっていた』と。
 昭和9(1934)年、大日本果汁株式会社は産声をあげる。ウイスキー造りの資金稼ぎのために、名産のりんごをジュースとして売り出そうというのであった。マッサンは、ジュースにもこだわった。フランス製の濃縮機を使って、真空低温濃縮をして、100%のジュースを1本30銭で売り出した。北海道内のめぼしい病院には受け入れられたものの、内地では苦戦したという。時代はラムネやサイダーの全盛期。価格の高い本格りんごジュースは苦戦。また、余市から船便で送った商品が、途中でラベルがカビたりして、商品とならなかったこともあったようだ。
 昭和11(1936)年の秋からウイスキーの蒸留が始まった。昭和6年に柳条湖で起こった日華事変を皮切りに混沌とした戦争の足音が日に日に大きくなった時代。同年2月には226事変がおこり、人々の自由が奪われた時代であった。酒を愛でる時代ではなく、総力をあげて、世界戦争に巻き込こまれようとしていた。
 嗜好品というのは、ほんとうに平和で、穏やかな日常がないと楽しめないものだ。酒も嗜好品だ。酒が今日のようにたしなめる日常を願って、マッサンはウイスキー蒸留機に火を灯したであろう。酒が平和の使者だからだ。

◆大戦そして戦後
 ジュースをアレンジして、ゼリーをつくり、アップルワインを醸造した。アップルワインはマッサンの会社の黎明期を救ったと言われる。現在もその商品はニッカの製品群の一つとなっている。
 昭和15(1940)年、ニッカウヰスキーの第一号が産声をあげた。酒名は大日本果汁の字から「日」と「果」をとって「ニッカ」とした。字数が短く、横文字にしても語呂がいいことからだとか・・・。
 発売後、まもなく、ウイスキーは統制品となり、余市工場は海軍の指定工場となり、原料の大麦は配給を受けていたので、原酒は次第と増えていった。原酒は悲劇の歴史の中を静かに生き続けたといえよう。
 昭和20(1945)年8月終戦。まだまだ本物のウイスキーは売れない時代。イミテーションのウイスキーが闇市で売れた。一番売れた酒は、密造の「バクダン」「カストリ」であったという。
 バクダン・・・メチルアルコールの入った酒。中毒となり失明する者もいたという。
 カストリ・・・酒粕を蒸留した酒。バクダンほど毒性はないが、強烈な臭いを発した粗悪な酒。
(次回最終回・・・マッサンが目指した酒質は未来志向です。)


749号 2015年3月1日

(104)日本のウイスキーおもしろ文化考C

◆目指したものは本物志向
 終戦。原酒は古いもので十年を超えた。十分に熟成し、よいウイスキーができる下地ができていた。1949(昭和24)年、当時のウイスキーには級別があった。1級・2級・3級といった具合に。3級に至っては、「原酒が5%以下0%まで入っているもの」と規定。一滴の原酒も入っていないウイスキーがウイスキーとしてまかり通った時代であった。まさに、ウイスキーとは名ばかりの時代で、本物志向のマッサンには試練の時代であった。といっても、ニッカウヰスキーにも少なからず工員はいたし、それぞれの家族を食べさせねばならない。
 マッサンは考えた。原酒だけを造り、それを国内のウイスキー蒸留所に売り込む商いだ。原酒を全く入れていないイミテーションメーカーに良質な原酒を売り込めば、5%とは言え格段に品質のよい酒に仕上がるではないか。マッサンの高品質の原酒は引く手あまた。約30軒のメーカーから注文が殺到した。
 この収入で会社の経理は落ち着いた。が、当時は極端なインフレ時代。工員の給料もどんどん上がった。酒税もどんどん上がった。これをみかねた監督官庁の大蔵省や国税庁。国税庁初代長官・高橋衛氏は直接、マッサンを説得。
「あなたの理想はよくわかる。今の日本はまだまだ3級ウイスキーの時代。他のメーカーはマッサンの原酒を使って大衆市場を押さえて、儲けている。せっかくの原酒を持ちながらニッカがこけては、監督官庁として私は困る」と。
 長官からそう諭され、渋々3級ウイスキーを市販に踏み切るマッサン。1950(昭和25)年の春であった。1955(昭和30)年11月に古い原酒を生かしたゴールドニッカ、翌年ブラックニッカを相次いで発売。
 私見であるが、戦後、日本人の塩分摂取量が格段に減少する。一説には学校給食による影響が大きいと言われている。塩分摂取量が多い食べ物には甘口の酒が売れる。逆に塩分摂取量が少ない食べ物には辛口の酒が売れる。当時、日本酒メーカーは、「酒は甘くすれば必ず売れる」という方程式があり、日本酒はどんどん甘くなった。この趨勢は昭和が終わるころまで続いたように思う。燗さましの日本酒がベトベトしていた記憶はみなさまにもあったのでは。
 未来志向の若者(当時の団塊の世代)が市場を育てたのが、まさにマッサンの目指した本物志向のウイスキーであった。市場がマッサンのウイスキーを求め始めた1961(昭和36)年、妻リタが他界する。
 この夫婦がいなければ、ジャパニーズウヰスキーは生まれなかった。ウヰスキーは、マッサン夫婦の生き様であり、これからの時代も、ウヰスキーが嗜める平和な時代であって欲しいと願う。(おしまい)

マッサンの樽
  昭和49(1974)年ごろ、弊社にやってきたニッカ・ウヰスキー樽。きっとマッサンの工場で使われたものだろう。半切りにしてお酒の陳列棚として、現在も弊社で活躍中。マッサンは私の店で今も生きています。


754号 2015年4月5日

(105)尾張名古屋に銘酒「義侠」あり

■米づくりから一貫した酒づくり
 君知るや銘酒「義侠」。地酒ファンにとって憧れのブランドである。その人気の秘密を教えよう。
 銘酒「義侠」は、名古屋の南西・尾西市佐屋町で醸される。木曾・長良・揖斐の三大河川の河口にある。昭和50年代、酒は造れば売れる時代。当主の山田明洋氏は、これまでの方針を転換。「飲んで旨い酒を造る!!」
 徹底した品質嗜好の酒づくりが始まった。納得のいかない品質の酒は出さない。コストはかかるが理解してくれる消費者のために作る。大幅に生産量は激減したという。それでもこの方針を曲げなかった。
 最高の原料米を求めて、兵庫県加東地区の特別Aランク・山田錦に目をつけた。高価な山田錦に見切りをつけた大手酒造メーカー。その酒米を仕入れ、農家の方々と酒造用に適した酒米づくりの研究に着手。山田錦農家とのパイプを築いた。
 今でこそ、山田錦は酒蔵にとって喉から手が出るほど欲しい酒米であるが、当時は、見向きもされなかった。歴史に「もし」は禁句だが、あの時代、山田明洋氏が山田錦に目を付けなければ、もしかすると山田錦は栽培する農家がいなくなり絶えてしまった品種になったかもしれない。
  幾年、幾多の試行を模索して、銘酒「義侠」が生まれるわけだが、それは、鑑評会品質(日本酒のコンテスト)ではなくて、飲んで旨い食中酒品質を目指した。
 米づくりから酒づくりは始まる。酒米・山田錦にこだわり、飲んで旨い酒づくりを目指した。これは、私だけの単語かもしれないが、米づくりから一貫した酒づくりのことを、「責任醸造」と呼んでいる。例えるならば、フランス・ボルドーのシャトーがこれに類する。自分の醸造所シャトーの周りに醸造用のブドウ畑を有し、その畑でとれたブドウでワインを醸す。栽培から醸造まで一貫した酒づくりが責任醸造だ。
 日本では、お米をつくる農家と、酒をつくる酒蔵が、別々の業を営んできた歴史が今も続く。そうではなくて、目指す品質の酒にするために、どの地域で、どのような品種を育て、契約して、酒米の量を確保する、という物事の考えは、今でこそ「なるほど」と納得されるわけだが、30数年前は、当主・山田明洋氏はきっと異端児扱いであっただろう。

 
 「義侠」は責任醸造蔵の先駆的な役割を果たしたことは間違いない。
 名は体を表すというが、「義侠」が「義侠」としての品質志向が認められるまで、不退転の決意で取り組んだ山田明洋氏。まさに、酒名「義侠」心の生き様である。消費者にとって、品質を裏切らない。私はそんな「義侠」の酒と生き様が大好きだ。(次回「義侠」の酒蔵訪問記)

 

「義侠」 純米生原酒 60%精白
1800ml/3000円・720ml/1500円(税別)


758号 2015年5月3日

(106)「義侠」酒蔵訪問記 (先月に続き)

 春の「呑みきり」の会に行ってきました。「呑みきり」という言葉、日本酒に携わる方には理解できる言葉ですが、一般の方にはなんのことか理解できないと思います。呑みきりとは「呑み」(貯蔵タンクの側面下についている清酒の取り出し口)を「きる」(開栓する)して、貯蔵酒の香、味、色を官能検査(利き酒)等によって分析し、日本酒の熟成や品質を検査することです。日本酒は、秋に収穫した米を精米して、冬に仕込み、春に酒が出来上がります。出来上がった酒は、一般的に後処理をして、蔵内のタンクで熟成させます。そして、夏の暑い時期(7〜8月ごろ)、タンク1本1本、呑みをきって、タンクごとの酒を官能検査します。
 義侠の場合、熟成をさせていない初々しい新酒の状態で、全国各地の取引店を対象にして呑みきりのイベントがあります。義侠の独自のイベントです。私は、かれこれ24年、このイベントに参加しています。
 義侠の呑みきり会は、精米歩合別、生と火入れごとに、利き酒できます。
 蛇の目(日本酒の利き酒用の陶器の器)に日本酒が半分ほど満たされ、まずは色や照りを確かめ、次に香りを確かめます。そして、少量を口に含み、口いっぱいに酒を転がして、味わいや含み香を確かめます。利き酒の方法は、個人、個人で違いがありますが、自分なりの印象を言葉にして、酒の特徴を書き留めます。

 官能検査を行う鑑定官とは、違う立場で私は利き酒をします。それは、個々のお酒がどのように熟成して、呑み飽きのこない、量が飲める酒かどうかを見極めます。特に、義侠は食中酒としての日本酒なので、呑み飽きがこない酒がよいと思います。そんなことをイメージしながら、さて、今年の酒は…。
 どの酒もここ数年の中で最もよい出来栄えでした。
 最高の酒米「山田錦」を使って、飲んで旨い酒づくりを目指した「義侠」の新酒。ぜひとも飲んでいただきたい。きっと「やっぱり日本酒ってうまいな〜」と思っていただけます。そんな酒を、今年も仕入れてきました。


762号 2015年6月7日

(107)球磨焼酎放浪記@

◆君知るや球磨焼酎−球磨焼酎は本格焼酎の源流−
 16世紀、日本にはさまざまな「モノ」がもたらされました。教科書で出てくる鉄砲やキリスト教(カトリック)伝来。同時期に蒸留技術も伝えられたといわれています。戦国大名、それも九州の諸大名は、大陸に近いこともあり、バテレンの布教を認める代わりに、西洋のモノを輸入して、交易による利益を独占し、所領の富国強兵につとめました。
 私の推測ですが、九州の各地で酒を蒸留することが試みられたに違いありません。しかし、これを商業ベースに乗せるためには、有り余る豊富なお米がとれる地域でなければなりません。深い山に囲まれた球磨盆地。ここを鎌倉時代より統治していた相良氏はこの時代、薩摩大口付近も治めていたようです。西は八代・天草まで勢力を広げ、海外との交易を積極的に行っており、この時期に蒸留技術を導入したといわれています。江戸時代、人吉相良藩は、表向きの禄高は2万3千石でしたが、実際には5万石とも、10万石とも言われていました。豊富なお米がとれる地域でありました。
 焼酎の文字の最も古い記録とされている鹿児島県大口市郡山八幡神社・1559年の落書きがあります。神社の改修工事で、柱に板が打ち付けられていた板の中に、焼酎という文字が書かれてありました。内容は「其時座主ハ大キナこすてをちやりて一度も焼酎ヲ不被下候(くだされずそうろう)何共めいわくな事哉(ことかな)」。要約すると『工事の時、施主がとてもケチだったので一度も焼酎を振る舞ってくれなかった、とてもがっかりした』というものでした。
 ポルトガル商人がフランシスコ・ザビエルに宛てた1546年の手紙は日本の蒸留酒の最古の記録で、こう書かれていたそうです。「米から作るオラーカ(蒸留酒)。および身分の上下を問わず皆が飲むものである」と…。鉄砲よりも前に蒸留技術が伝わり、急速に日本中に広まり、焼酎を飲む習慣が産まれ、根ざしていったことが分かります。
 ところで、芋焼酎が造られるようになったのは、米焼酎より150年ほど後のことです。江戸時代260余年、焼酎は家庭で造ることが相良藩では認められていました。しかし、それは大麦などの雑穀で造る焼酎だけ。販売用の焼酎、特に米焼酎は特別に許可を認められた20軒の蔵元のみが製造でき、その焼酎を購入したのは上層階級だけでした。球磨地方は米が豊かに実った地方だとはいえ、やはり米はたいへん貴重で、その焼酎は庶民には贅沢な飲み物であったようです。また、自家製の酒が当然であった時代に素人造りでなく、特別な蔵人がプロとして米焼酎を造り、その製造技術を伝承し、蓄積したのです。まさに、本格焼酎の原点は熊本の球磨焼酎にあるのです。


766号 2015年7月5日

(108)球磨焼酎放浪記A
常圧蒸留一筋・寿福酒造場をたずねる

◆球磨の米で球磨焼酎を醸す
 初夏のある日、人吉城址を歩いた。あたりはクマ蝉のせみ時雨。人吉城址を通り抜けると、胸川(球磨川支流)の脇にレンガの煙突の蔵がある。今や、寿福絹子杜氏のことを知らない人はいないのでは・・・。肝っ玉の据わった女性杜氏・寿福絹子さん。創業明治23年の昔ながらの蔵で焼酎を醸している。
 相良藩は薩摩藩と肥後藩の大国の狭間にありながら、中世から戦国時代、江戸時代を生き抜いた。相良は人吉盆地の肥沃な大地のお蔭で、米を豊富に収穫することができたいという。江戸時代・相良藩の石高は表向きには23500石だが、実際はその数倍、いや10万石もあったという説もある。球磨焼酎は、球磨の肥沃な土壌が生んだ地元の米で仕込まれていたのだが、昭和10年以降、球磨焼酎用の上質な米は、政府が召し上げ、その代わりに、安価な破砕された米が配給された。残念なことだが、今でも、この破砕米で仕込む蔵が多い。
◆焼酎づくりは子どもを育てるようなもの
 寿福酒造場は昔から、常圧蒸留一筋で酒を仕込んでいる。そして、原料も破砕された安価な米ではない。球磨で収穫された米(主にヒノヒカリ)を原料に焼酎を仕込んでいる。
 寿福絹子さんは語る。
「うちのような小さな蔵は、焼酎に特徴を出さないと生き残ってはいけない。球磨焼酎は昔から常圧蒸留。常圧は1気圧で蒸留するのでしっかりと味があり、香味がある焼酎ができる。が、減圧蒸留という技術ができて、いままでの球磨焼酎とは違って香りが穏やかで飲みやすい焼酎が生まれ、球磨焼酎の蔵元はほとんど減圧蒸留の酒に変わってしまった。うちも年々売れなくなった。が、先代が言うように、焼酎は常圧で寝かせておいしくなるのがほんとうの球磨焼酎。自分も寝かせて味わいも香りも本当においしくなっていく常圧蒸留の焼酎が本当の球磨焼酎と思っているので、今日まで造り続けてきた。また、飲んでくれるお客様もこれを理解してくれるのだろう。『わ〜やっぱり寿福さんの焼酎はうまか〜。他のとは違う』という電話やお便りが来るたびに、やっていることが間違いではないなぁ〜。飲み手のために造り続けようということで、今日まで常圧一筋で頑張っている。仕込み蔵の甕やタンクでモロミを醗酵させるが、全く子どもを育てるのと一緒。『寒くはないか?』『暑くはないか?』『どんな感じかなぁ〜』と何度も何度もモロミを観察しながら、モロミに話しかける」
 手づくりで仕込むため生産量は300石(1800mlで3万本)程度と小さな蔵だが、寿福絹子さんが1本1本育てた焼酎は味わいがあって、ほんとうに旨い。なんだか飲んでいて癒される感じがする。夏はロックで、冬はお湯割りで飲む。お奨めの球磨焼酎だ。


770号 2015年8月2日

(109) 球磨焼酎放浪記B 球磨焼酎の変遷〜麹〜

 「本来の球磨焼酎と現在の球磨焼酎は香味が違った」ということをご存知でしょうか。球磨焼酎を麹という微生物の変遷で振り返ってみたいと思います。

◆黄麹は日本の稲作文化に根差した最も伝統的な麹

 

 黄麹菌のことを学名でアスペルギルス・オリゼーといいます。オリゼーとはラテン語で稲のこと。稲と黄麹には深い関係がありました。
 黄麹のルーツとして考えられるものに、稲麹があります。毎年稲穂が熟成するころ、その稲穂について発育する麹です。稲穂に濃緑色の大豆ぐらいの大きさの玉がつき、指ではじくと胞子がぱっと散ります。古代、日本人はこの稲麹から黄麹を分離して、利用する方法を発明したのです。そして生まれた食材が、酒、味噌、醤油、みりんなどでした。日本人の食生活に欠かせないのが古今問わず黄麹でありました。

◆球磨焼酎は400年以上黄麹で造られてきた
 15世紀、球磨地方で造られ始めた米焼酎は黄麹製でした。以来400年以上にわたり、米と黄麹の組み合わせでおいしい球磨焼酎が生みだされてきたわけです。

◆昭和17年 黄麹が無くなる
 明治の終わりごろ、鹿児島では琉球・泡盛の麹菌である黒麹がもたらされました。鹿児島全域に広まりました。黒麹は麹菌が自ら、クエン酸を生産してくれるため、雑菌を寄せ付けないという性質があります。
 一方、黄麹菌は主に清酒の仕込みに使われる麹菌で、独自で作る酸が少量です。清酒の場合、酸を別の方法で造り出す、もしくは、乳酸を添加する方法で、雑菌の繁殖を抑制しています。
 しかし、球磨地方に黒麹がもたらされるのはそれから30〜40年後の昭和17年ごろです。球磨焼酎はより長く黄麹にこだわり続けたようです。昭和17年といえば、第二次世界大戦中。米不足のため、球磨地方でも、仕方なく芋焼酎を造るようになった時代でもありました。鹿児島の杜氏も球磨地方にやってきました。そんな鹿児島の蔵人が黒麹をもたらしたと言われています。次第に黒麹の使用が増え、さらに昭和45年以降は白麹(黒麹の突然変異で生まれた麹)がほとんどを占めるようになりました。

◆黄麹への回帰
 黄麹から黒麹→白麹へという最近の60年余りの流れは「造りやすさ」と「すっきりした飲み口」を求めた変化だったかもしれません。しかし本当にうまい焼酎に近づいたでしょうか?
 球磨焼酎500年の歴史のうち、440年を占める黄麹仕込みの歴史に、もう一度立ち返り「深い味わいの球磨焼酎」の追求を試みた酒蔵があります。次回はその蔵について書きたいと思います。(続く)


774号 2015年9月6日

(110)戦後70年 日本酒の戦前・戦後

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に『和食』が決まりました。(詳細は、酒おもしろ小話 bX0・平成26年1月号を参照)和食のつれあいである「日本酒」への関心が国内・海外問わず、高まっています。
 しかし食品の偽装問題、原材料をめぐる消費者の関心は高く、日本酒においては、原材料に醸造アルコールを混ぜたケースの日本酒が注目されています。
 戦後70年、日本酒の変遷をアルコール添加という視点で考察してみます。

◆戦前の日本酒は純米酒
 日本酒の原料は「米」だけのはずです。明治40年に第1回全国清酒品評会が開催され、それ以降、2年に1度・隔年で開催されるようになりました。全国各地で日本酒の品質向上が進むようになりました。原料米を白く磨き、低温醸造技術が確立され、大正時代には、日本酒は多くの日本人に、特に女性の方々にも飲まれるようになりました。
 しかし、昭和恐慌の解決を求め、大陸進出へと舵をきった戦前の日本。日本酒製造にも変化が起こるようになりました。日本酒は米を白く磨くことで、大量のお米を消費します。たいへんに贅沢なものでした。満州では米がふんだんにありません。しかも冬季は内地よりも寒さが厳しく、氷点下30℃になることもありました。内地から運ばれた日本酒は、寒さに耐えられずに瓶内で凍って、瓶が割れてしまいました。
 昭和17年、満州では醸造米が極端に減らされました。しかし、日本酒を求める需要は旺盛でありました。満州の日本酒の技術者は、醸造アルコールを添加することにより製造する技術を確立しました。少ない原料で、酒税収入は維持されましたので、技術開発をした技術者はヒーローになりました。

◆大蔵省は日本酒文化を守った
 大陸でアルコール添加(アル添)技術が開発されましたが、日本国内ではアル添による日本酒製造を許しませんでした。アル添することで、3倍量の日本酒製造が、日本国内で許されるようになったのは、戦中、戦後ではありませんでした。お米不足が貧窮する時期を脱しつつあった昭和25(1950)年のことでした。
 当時の大蔵省は、日本酒を文化として守ったのではないでしょうか。しかし、お米が余る平成の今日となっても、米不足の時のルールで日本酒が作られている。それは、問題ではないでしょうか?
 日本酒が国内外の消費者に、より一層支持されるためには、本来のように「米」だけで醸造されるルールに戻す時期に来ているのではないかと思います。


777号 2015年10月4日

(111)久保田発売30周年 地酒について考える

◆銘酒久保田発売
 「久保田」今では新潟の銘酒として日本中の誰もが知っている地酒の銘柄ではなかろうか。
 「久保田」が発売されたのは1985年(昭和60年)5月のことだった。日本酒の消費量は昭和48年をピークに減少の一途を辿り「久保田」醸造元・朝日酒造鰍熄o荷量に陰りが見えたころだった。プロジェクト]計画というものを立ち上げた。折りしも、社長は平澤 亨。30代の若手社長だった。これまでにない斬新なアイデア、本物志向を追及した酒づくり、これまでの流通ではなく、専門性にたけた店への限定型の流通。暗中模索の中、業界始まって以来のタブーの克服の中から「久保田」は生まれた。
 特級酒、1級酒、2級酒という品質基準の時代に、「萬寿」「千寿」「百寿」という独自の品質基準を設け、新潟産の酒米「五百萬石」で醸すということにこだわり、飲み飽きのしない淡麗辛口の酒質を追求。新潟県釀造試験所の嶋悌司先生を招いて、不退転の決意で「久保田」は生まれた。
 発売から30年。「久保田」は地酒というこれまでにない新しいジャンルの市場を作ったパイオニア。今や、日本だけでなく、世界中に「久保田」ブランドとして有名になっている。

◆地酒の商品特性について
 みなさんは、どれぐらいの日本酒の銘柄を言えますか?今でも日本酒醸造元は全国に1200蔵ほど存在する。それぞれの蔵に平均5銘柄のブランドがあるとすれば、1200蔵×5銘柄=約6000銘柄存在することになる。もちろん、私も全部の銘柄は知らない。
 地酒が商品として全国的に流通するには、マーケティング的な捉え方でいえば
 @生産管理(マーチャンダイジング)
 A販路(チャネル)
 B販売促進(プロモーション)

上記3要素がうまく機能して、消費者に認知されて商品として売れるのである。
 「久保田」が取り組んだのは、酒蔵が美味しい酒を造る。価格以上に価値のある酒がそうである。(@の生産管理を追求した)
できた酒を専門性にたけた店にのみ流通させる。(Aの販路を決めた)
 一般の商品は、Bの販売戦略は新聞・テレビ・雑誌に広告を出して伝えるのだが、取扱店にこの分野を委ねた。そして、飲んで美味しさに感動した消費者がファンとなって、口コミでおいしさが広がっていった。
 30年といえば、世代が変わる時期である。さらなる新しい世代に、日本酒のおいしさを伝えるべく地道な取り組みがたゆまなく継続される。30周年を記念して、この度、30周年記念純米大吟醸酒が発売された。これまでの「久保田」から新しい世代に「おいしい」を伝えるためのメッセージ性あふれる日本酒である。日本酒を飲んでこられた方も、そしてこれから美味しい日本酒を嗜んでみようという方も、飲むに値する一本である。秋の夜長に一献。

 久保田 30周年記念 純米大吟醸
 数量限定 1800ml 4500円(税別)


781号 2015年11月1日

(112)酒の神様 松尾大社(京都)を訪ねる

 九州新幹線で新大阪まで乗り換えなしに行けるようになって、実に京都も近くなった。新大阪から一駅、京都に着く。仕事の関係で京都に出張。仕事の合間に、松尾大社を訪ねた。

◆京都最古の神社
 阪急電鉄を乗り継いで松尾大社駅下車。駅を降りるとすぐに松尾大社の朱塗りの鳥居がそびえ立っている。松尾大社は京都で最古の神社という。5世紀頃、朝鮮半島から渡来した秦(はた)一族がこの地を開拓し、氏神として神社を建立したという。
 秦氏は、大陸から日本に様々な文化を伝えた渡来人として知られている。秦氏は大陸から高度な技術を日本にもたらした。古墳造営、かんがい用水などの土木技術、製紙技術、養蚕技術(一説には機織のハタは秦に由来する)、醸造技術。古代日本がある日突然、文化的な様相がくっきりと短期間に現れるのは、まさしく秦氏の偉業である。
松尾大社の御祭神は
・大山咋神(おおやまくいのかみ)
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

の2柱。簡単にいうと大山咋神は山を護る神様。市杵島姫命は、宗像神社や厳島神社の御祭神で海の神様。秦氏が大陸から海伝いに渡った海路に祀られているのが分かる。
 また、794年に桓武天皇が奈良の平城京を離れて、京都・平安京に遷都した際に都の造作に貢献したのが秦氏であった。◆酒の神様・松尾大社
 中世になって、松尾大社は酒の神様として全国的に奉られるようになる。なぜ、松尾大社が…というのは諸説あるが、醸造技術全般を日本に伝えた秦氏に由来することから。中世というのは、町に酒屋が出来始めたころ。古来、酒はまつりごとに使われ、民間醸造(町の酒屋)ができるのは平安後期から鎌倉時代とされている。この時代ごろから、酒の神様として、全国各地の醸造家、味噌醤油の醸造家、焼酎の醸造家から信仰を集め、現在もその信仰は続いている。松尾大社のお札を受ける酒蔵は全国で約900場という。
 晩秋のこの時期、全国の酒蔵では夏場休んでいた酒蔵内をきれいに掃除して、松尾大社のお札がかけられる。そしていよいよ今年収穫した新米を精米して今年の酒づくりがはじまる。皆さんも酒蔵を見学した時に、酒蔵の神棚を見てほしい。きっと松尾大社のお札があるはずだ。


786号 2015年12月6日

(113)お燗酒を楽しむ

◆電子レンジもいいけど、湯煎が一番
 科学の勉強です。
「温度とは何でしょうか?」

科学の世界において、物体の温度とは、その物体の分子の振動エネルギーの大小のことをいいます。仮にどんどん温度を下げていき、物体の分子の振動エネルギーがゼロになる、つまり振動が全く無くなる温度があります。これが絶対零度です。摂氏でいうと−273.15℃と言われています。
 電子レンジというものは、レンジの箱内から放出される電子が、温めたい物質の分子に当たり、その分子を振動させることによって物の温度を温めるのです。分子振動を活発にさせる装置というのが電子レンジというわけです。
  レンジでチンというのは、とっても簡単です。お酒をお燗するのにもたいへん便利です。最近では、飲食店でもレンジでお燗をする店が増えてきました。
 しかし、レンジでチンした燗酒を飲んだ時に、とっても熱く燗が点いた箇所と、まだ燗が点いていない箇所と温度にムラがあるのを体験された方は、多いのではないでしょうか。これは、電子レンジの電子が多くあたる部分は温度が高くなり、そうでない部分は温度が上がらないために起きる現象です。

◆やっぱり湯煎
 お燗酒をおいしく飲むには、電子レンジよりも湯煎をおススメいたします。やり方は簡単です。暖房としてストーブや炭火や七輪があるご家庭なら、ヤカンのお湯を利用して、お燗を点けたいお酒をチロリや徳利に入れてお湯の中に沈めます。
 暖房方法がエアコンのご家庭の方は、ヤカンでお湯を沸かしてください。
 お湯の熱で、チロリや徳利の中に入れたお酒の温度を間接的に温めていきます。チロリや徳利の側面部分が徐々に温められます。温められたお酒は上層部に動き、チロリや徳利内部に対流が起こります。電子レンジの時のように、温度にムラを生じることがなく、しかもおいしく、上品にお燗をすることができます。
 同じお酒でも、電子レンジでチンしたお燗酒と、湯煎でお燗を点けた酒の味わいを比べてください。きっと、湯煎で点けた燗酒の方が美味しく感じられると思います。
 お湯を沸かし、チロリか徳利にお酒を入れて燗を点けるのは、電子レンジに比べて手間がかかりますが、手間以上に美味しいお燗酒ができます。湯煎での燗酒は、自分の好みの温度で燗酒を楽しむこともできます。ぬる燗、熱燗、とびっきり燗と点ける時間で温度をコントロールできますね。

○追伸…お燗酒の温度は38℃〜43℃と言われています。まさに、私たちが入るお風呂の温度と同じなのです。熱めのお湯の温度43℃は、ちょーど熱燗です。ぬるめのお湯の温度38℃は、ちょーどぬる燗になります。お好きな温度は、我々が触れて飲んで、分かります。


790号 2016年1月1日

(114)世界一歴史のある酒蔵の正月酒

 明けましておめでとうございます。
 平成28年の干支は、丙申(ひのえ・さる)です。サルの年の梅酒はいいとされています。詳しくは春先の号で詳しく述べたいと思います。
 創業が100年を超える企業が日本には何社あると思いますか? 日本には100年を超える長寿企業が、なんと28,000社以上あるそうです。
 さらに200年を超える企業が1,200社、300年を超える企業が600社あるそうです。イタリアやドイツ、フランスでも長寿企業は多いそうですが、日本がダントツ世界一。世界一古い企業は金剛組で、創業は西暦578年。大阪の四天王寺を建立以来、お抱えの宮大工として代々継承してきました。
 日本酒を造る業界で最も古い企業は、茨城県にある須藤本家酒造と言われています。元治元年(西暦1141年)創業で、今年で875年の歴史があります。世界で最も歴史のある酒蔵です。時代は平安時代末期です。律令制度の下では酒造りは、御上や神社や寺社が行っていました。鎌倉時代以降から酒造りを生業とする蔵ができ始めたと言われています。そのはしりが、まさに、須藤本家酒造であったと思います。

◆世界一歴史のある酒蔵の創業から続くにごり酒
 平安時代から875年間、酒造りを行う須藤本家酒造。現在の当主・須藤悦康氏で、第55代だそうです。江戸時代には幕府の代官を務め、財政再建のために酒造りに励み「酒造り代官」とも呼ばれていたそうです。
 由緒ある旧家のしきたりと伝統が受け継がれてきたこの蔵は、熱心な若手経営者と、そのユニークな酒造りで知られています。酒名「郷乃誉」は、郷土の繁栄に願いをこめてつけられました。875年間、同じ位置にある蔵内に掘られた三つの井戸から汲み上げられた仕込み水で、酒を仕込み続けています。
 創業以来、絶やすことなく伝統の技法で造り続けた諸白(もろはく、下注参照)があります。「雪の舞」というにごり酒です。淡雪が舞い降りる風情をイメージして造られた酒で、にごり酒というより霞酒というイメージです。
 現在はもろみを瓶詰して打栓するため、壜内で発酵してシュワシュワ感が楽しめる和風シャンパーン(発砲酒)です。ほのかな吟醸香をまとい、口に含むと滑らかながら、チリチリとした新酒のフレッシュな酸味があり、全体的に辛口の爽やかな酒味です。おせち料理に、おススメの一本です。875年の歴史を味わえます。
※諸白…麹米、掛米ともに仕込み米の全量を精白する酒造り。現在では一般的であるが、昔は麹米は磨くが、掛米はあまり磨かない片白造りの酒が一般的であった。

 

【郷の誉 雪の舞】
今年は 720ml 816本 3,000円(税込)   
    1800ml 624本 6,000円(税込)
       が限定発売されます。

 


794号 2016年2月7日

(115)雪ごもりの一日

 珍しいこともあるものだ。うちの妻が、先日、熊本市内の百貨店に行った。その時に東北六県の物産品を特設会場で販売しており、お土産で買ってきた酒が、山形産・高畠ワイン・スパークリング白であった。早速、晩ごはんの時に開栓。珍しくきれいなロゼ色の発泡酒。エレガントで柔らかい味わい、それでいてドライ。思わずグビグビ飲んでしまった。
 次の日(平成28年1月24日)記録的な大寒波が日本にやってきた。翌25日(月)の寒さは特に厳しいものだった。熊本市でも最低気温が−6.5℃。うちの温度計は−8℃を示していた。
 こんな雪の中、稲益義宏先生(小学校教諭)が、たわらや酒店にやってきた。前日、食育講演会の講師として菊池市に来たという。地元菊陽町でも、過去に3度ほど講演をしていただいた。食べることは、生きること、命を考えること。弁当をツールとして「生きる」ことを学ぶことができる。先生は今や、全国各地に、食育の講師として引っ張りだこ。雪の降りしきる中、食育談義が盛り上がる。
 そんな中、山形のとある小学校が話題に。児童が米や野菜を栽培して、収穫したもので給食を作るという話。山形県高畠町二井宿にある二井宿小学校の元校長先生が実践。田畑と心を耕そう、というキーワードで、児童自らが米や野菜を栽培しているという。
 私は「二井宿」という地域名を聞いた時、もしやと思い、弊社で取り扱いのある「米鶴(よねつる)」という酒のラベルを見た。製造元の住所は山形県東置賜郡高畠町二井宿。昨夜から高畠の話題が多いのは偶然だろうか?。ワイン然(しか)り、自給給食の小学校の話題然り。そして小学校のそばに酒蔵「米鶴」然り。
 米鶴の酒蔵の創業は元禄17(1704)年。300余年の歴史がある。当主は代々、梅津伊兵衛という襲名だ。現会長は私の母校の先輩という縁で、米鶴酒造を訪ねたことがある。まほろばの郷といわれる高畠町。酒蔵の周りは田畑や果物園があり、酒も旨いが、そばも旨かった。「もってのほか」という食用菊をそば屋で初めて食した。
 米鶴酒造は吟醸酒づくりの歴史が古い。酒コンテスト用の酒=吟醸酒が市販されることなく門外不出の酒であった時代、その旨さのために、盗んで飲んでしまいたいほどの旨酒という意味で「盗み吟醸」という酒名で発売。
 稲益先生も思わず酒瓶を握り買って帰られた。私もこの晩、盗み吟醸を飲んだ。熟れた桃の香りをまとい、たいへん軽い香味。キレがよく、雑味を残さない。まほろばの郷・高畠に包まれた雪ごもりの一日であった。


798号 2016年3月6日

(116)泰斗発売20周年 泰斗と歩んだ20年

◆泰斗と共に20年
 本日(3月6日)は、泰斗(たいと)という熊本の地酒の二十歳のお祝いのイベントがあります。町の小さな酒屋にとって、おススメのブランドは我が子のようにいとおしいものです。今回は、泰斗の生い立ちをご紹介したいと思います。

苦境の中で生まれた「泰斗」
  今、熊本で、一番ブランド力のある日本酒は、なんと言っても泰斗でしょう。泰斗は熊本県山鹿市にある千代の園酒造鰍ェ醸造している酒です。純米吟醸、純米酒、特別本醸造の3種類があります。では、何故、千代の園ではなくて、泰斗ブランドができたのか?20周年を振り返りたいと思います。
 泰斗が発売されたのは、1995(平成7)年6月1日。1990年に熊本では、酒ディスカウントストアが開店して、ビールや日本酒、焼酎は廉売価格の応酬が続いていました。廉価販売の勝負は、資本の大小で決まります。であるとするならば、町の酒屋はなくなり、製造元である熊本の酒蔵も、灘や伏見の大手醸造元製品しか残らないことになってしまいます。日本酒市場がこんな市場でいいのでしょうか? ビールはもともと大手4社しかないから仕方がないにしても、日本酒や焼酎は、長い年月、それぞれの地元の人々によって、愛され、郷土料理とともに育まれた、立派な伝統文化であると思いました。
 そんな同じ思いを抱く、酒屋が集まり、「本物の酒米で、本当の熊本流伝統技法で仕込んだ日本酒を、適正な価格で仕入れ、適正な価格でお客様に販売する」商品の開発を考えました。プレミアム価格で販売するのではなく、逆に農家も醸造元も酒屋も利益がない安価な価格で販売するのでもない商品を創造しました。そして、千代の園酒造がこの考え方を理解して、泰斗ブランド開発がスタートしました。

泰斗はオール熊本の地酒です
泰斗のスタンスは、
・熊本の酒蔵が、
・熊本の酒米を使い、
・熊本の水と熊本酵母で酒を醸(かも)す。
出来た「泰斗」を
・熊本の酒屋が適正な価格で仕入れ、
・熊本の方々に喜ばれる酒質
の酒を、適正な価格で販売する。
であります。まさにオール熊本の地酒を熊本の方に愛飲してもらうのが泰斗のコンセプトで、今も全く変わりません。
 発売して数年間は、鳴かず飛ばずでした。しかし、熊本県内の約20軒の酒屋が、「泰斗はうまい酒ですよ〜」と繰り返し繰り返し、消費者に伝え続けた結果、18年目には、年間本数1万本を突破。今年は年間本数14,000本を越す勢いです。前年対比120%強の伸び。酒が足りない事態がここ3年続いているまでになりました。
 20周年を記念して、今年秋に純米大吟醸を発売します。今夜は搾りたての純米大吟醸で乾杯します。これからも泰斗のご愛飲を・・・。


802号 2016年4月3日

(117)球磨焼酎放浪記C  球磨の泉・那須酒造場をたずねる

◆クセがあるところがおもしろい
 2013年春季全国酒類コンクール(全国日本国際酒類振興会主催)本格焼酎部門第1位に輝いた球磨焼酎「球磨の泉」の那須酒造場(熊本県球磨郡多良木町・那須富雄社長)を訪ねた。のどかな田園風景が広がる水田の一角にある小さな蔵だ。

◆昔ながらの香味の球磨焼酎・球磨の泉
 創業は大正6年(1917)で、社長であり杜氏でもある那須富雄さんは三代目。造られている銘柄は、真っ赤なラベルの「球磨の泉」一筋だ。バリエーションには、常圧焼酎では、一切加水せず熟成させたアルコール分36度の「原酒」と、それに仕込水で割水をし、アルコール分を飲みやすい25度に調整した焼酎が基本。平成2年より減圧蒸留機を導入し、造りの一部を飲みやすい減圧蒸留・球磨の泉25度を発売している。

◆いまでも手作りによる麹造り
 那須酒造場は、麹室は外壁が石積みで、内面は湿気に強い檜板を張り、内部に籾殻を詰めた伝統的な「石室(むろ)」。その中では、日本酒蔵で吟醸酒を仕込む時と同じように、もろ蓋(ふた)使った伝統的な手作り麹造りだ。
 手作りは言葉でいうには簡単だが、昼夜を問わず2時間おきに麹米を手入れしなければならないので、夜もおちおち眠れない。日本酒造りと同じように、一番大切なポイントは麹造り。一番手間がかかるのも麹造り。
 そのため、多くの酒蔵では麹造りは現在では機械造り、もしくは簡略化が図られており、伝統的な石室による麹造りが少なくなってきた。

◆一次・二次仕込ともにかめ壺仕込
 焼酎造りでは麹に酵母と水を加えて、1週間程度発酵させ一次仕込を行う。酵母をたくさん増殖させる。日本酒でいうと酒母造りに当たる。
 この一次仕込の醪(もろみ)に水と蒸し米を加えて、2週間程度発酵させる。これが二次仕込。ここでは麹菌がつくる酵素の働きで、蒸し米のデンプンが糖化され、糖化された糖分を酵母が、アルコールへと変えてくれる。焼酎は温暖な地方で造るので、醪が非常に酸敗しやすい。しかし、温度の変化に影響を受けないように陶器の千杯甕(せんばいがめ、ひしゃくで千杯汲めるの意)は、深く地中に埋めこんである。「球磨の泉」は全量をこのかめ仕込みで造られている。出来上がった醪は、常圧蒸留され、36度の原酒のままで貯蔵。これを3〜4年以上寝かせて、完成。手間暇かかった球磨焼酎の逸品がここに誕生。
 ふんわりと上品な甘い味わいの米焼酎。口の中でまろやかな円熟味が広がる。ぜひ、晩酌酒としておススメしたい球磨焼酎だ。
      球磨の泉 25度常圧 
      1800ml 2000円(税別)


809号 2016年6月5日

(118)震災時における酒の嗜(たしな)み方

◆まさか、熊本地震・・・
 4月14日午後9時26分に発生したマグニチュード6.5の地震。これまでに経験したことのない揺れに何か暗い暗示を覚えながら、避難所の三里木町民センターで、一晩過ごした。余震は本震よりは大きな揺れは起こらないだろう、と思いながら4月15日夜就寝した。が、4月16日午前1時25分ごろ、マグニチュード7.3の地震がおきた。熊本のすべてがこの時を境に変わってしまった。まさか、自分が生きている間に、熊本で大震災があるとは思っていなかった。
 震災下は今までの日常とは全く違う。ストレスを発散するために、寝る前に酒を飲む人も多い。私も熊本地震以後は車中泊が続いた。日本酒を1〜2合程度飲んで、車内でゴロン。2011年3月11日に発生した東日本大震災以降、震災に見舞われた地域での酒の消費量が増える傾向にあったという。今回は、飲酒はメンタル面で良いかどうかを考えてみた。

◆震災時における酒の嗜み方
 ストレス解消としてお酒を飲んでも、あまり効果はない。アルコールには睡眠を促す作用があり、お酒を飲むと寝付きが良くなるが、そうして早く寝付いても翌朝、目覚めたときのコンディションがむしろ悪くなることは、あまり知られていない。お酒を飲んで寝ると、睡眠が浅くなって疲労が回復しにくい傾向にあるのだ。
 酒を飲むことの善しあしは酒量による。酒を毎日飲むことは、疲労の蓄積を助長するのは確かだ。復旧・復興などで忙しい人たちは、あまり深酒をしてはいけない。睡眠による疲労回復が不十分になれば、疲れだけが日に日に溜まっていく。また、酒=アルコールには依存を起こす傾向がある。依存とは端的に言って、それが無いと過ごせない状態のことだ。特に、自宅で深夜にお酒を飲みながら独りで過ごすことは、その晩の睡眠による疲労回復を妨げるだけでなく、酒量の抑制が利かなくなる心配がある。
 復旧・復興には酒は欠かせないが、飲酒をする時には飲みすぎないことが肝要である。また、次のようなことに注意してもらいたい。
@ 毎晩はお酒を飲まないこと。飲むのは隔日や休日だけというようにする。
A 飲酒以外のストレス解消法を考える。
B 酒を飲む場合にはなるべく独りで飲まない。職場の仲間や友人、家族と前向きな会話ができる状態で飲むようにする。

 今回の震災による、経済や企業の事業活動への影響はおそらく数年にも及ぶと予想されている。震災から1ヵ月半たった今、復興への道のりを順調に歩んでいくために、各個人の体調を維持するのはとても大切なことだ。ストレスが多い今の時期こそ、酒の嗜み方に十分注意することを忘れないでほしい。


813号 2016年7月3日

(119)45年ぶりの新製品 越乃寒梅 灑(さい)純米吟醸

◆灑(さい)という新しい志

残雪の新潟北山亀田郷。
凛と咲く一輪の梅の如く、美意識を貫く酒あり―越乃寒梅。

 旨い酒をどこまでも極めていく道の途中、新しい可能性を追求した灑(さい)は、米の旨みを感じさせながら、繊細でキレがよし。燗も捨て難いが、冷や・冷酒がなおよし。晩酌もよいが、食彩と嗜(たしな)むのがなおよし。今宵、灑とともに彩のある酔い心地を。(石本酒造梶j

灑(さい)…「水を注いで洗い清める」「さっぱりとしたさま」などの意味を持つ言葉。灑水(しゃすい)という熟語としても、しばしば用いられる。(引用文献=現代漢字語辞典=角川書店)

 4月下旬のとある日、弊社に一通の郵便物が届く。越乃寒梅の蔵元・石本酒造からの手紙であった。内容は6月1日に45年ぶりに新商品を発売するとのこと。そのお披露目会を東京でやるので来てほしいというご案内文であった。
 熊本地震から2週間後。復興はまだまだであったが、いの一番に出席の返事を出した。私にとって、この酒が復興の予感を感じさせる、記憶に残る一本になりそうな気がしてならなかったからだ。

◆1971年以来咲く、新しい一輪
 越乃寒梅の銘柄はあまりにも有名である。越後平野に流れ込む二つの大河、信濃川と阿賀野川の間に位置する穀倉地帯・亀田郷に越乃寒梅醸造元・石本酒造はある。新潟のことについては、司馬遼太郎・街道を行く15「佐渡の道、潟の道」で、新潟阿賀野川のことについて詳しく述べている。
 酒蔵の近くを流れる大河・阿賀野川。その大河の氾濫を食い止めることが新潟平野を守ることであったし、田んぼや家を守ることであった。多くの男が阿賀野川の堤防を造った。河の改修工事にいそしんだ。もとより、新潟という地名の如く、ぬかるむ「潟」が多い地域。男たちの仕事の後の楽しみが日本酒であった。一日の重労働を癒す日本酒。一杯の旨い酒が、どれだけ男たちに報いてきたか。
 酒はベトベトしたものよりも、すっと喉に入るものがよい。この信念を持ち、淡麗な酒質の酒を醸(かも)し続けたのが越乃寒梅であった。
 伝統の技術を継承しつつも、四代目・石本龍則は、さらなる品質向上と幅広い世代の方々に、世代を超えて日本酒の素晴らしさを伝えたいという思いから、灑を開発。
 6月17日(金・大安)に新発売となった。香が穏やかで、和三盆のように上品な甘みが広がり、キレよくすっきりした美酒。温故知新、越乃寒梅の渾身の酒は日本人のみならず、世界じゅうの日本酒ファンを魅了するであろう。

【越乃寒梅 灑(さい)純米吟醸】 (新潟県新潟市 石本酒造梶j
原料米 新潟県産「五百万石」  兵庫県三木市志染町産「山田錦」
精白歩合 55%   日本酒度 +2.0
アルコール度数 15%
1800ml 3000円(税別)  720ml 1500円(税別)

 


818号 2016年8月7日

(120) 盛夏におススメ  天使の泡が魅力 スパーク・ドルチェ

◆奥羽本線 十文字駅下車
 東北の幹線といえば、東北本線と奥羽本線だ。奥羽本線は、福島から奥羽山脈に沿って、山形、秋田を経て日本海側から青森を目指す幹線。横手の手前の十文字駅で下車した。駅前には日の丸醸造鰍フビン詰め場がある。ここで ビン詰めされた日本酒は、国鉄時代、有蓋車(ワ)に積まれて北海道や東京へ、運ばれたという。

◆春に咲くまんさくの花が酒名に
 私に「まんさくの花」の旨さを教えてくれたのは、故福島譲二熊本県知事であった。故人は若い頃、税務署長として赴任した時に、日の丸醸造鰍フ蔵元にお世話になり、以来、彼は「まんさくの花」の応援団として、彼を知る方々に「まんさくの花」の旨さを伝えた。
 先日、ひょんなことから「まんさくの花」を造る、日の丸醸造鰍訪ねることができた。迎えてくれたのは、佐藤譲治社長であった。酒づくりが終わり、静寂な蔵を案内してもらった。
 佐藤譲治社長は、毎年毎年さまざまな酒づくりにチャレンジ。酒米を変えて香味の表現を探訪したり、日本最古といわれる麹菌を使った酒づくり等々。彼は言う「酒づくりは一年に一度だけ。うまい酒をこしらえるのに試したいことがいっぱいある」のだと。ようやく日本酒ブームの到来。これまでに、地道に取り組んできた佐藤の酒の表現がいよいよ試される下地ができたと語った。

◆夏に美味しい! スパーク・ドルチェ
 「夏酒」の種類には、低アルコールのライトタイプ、それとは逆に濃厚な日本酒で氷や水で割って飲むタイプなど様々あるが、最近の流行りは何といっても発泡性活性系の「スパークリングタイプ」。シャンパーンみたいに、シュワシュワッとした爽快感が夏にはたまらない。
 そんなスパークリングタイプの日本酒で、私がイチオシの酒がある。「まんさくの花 スパーク・ドルチェ」だ。シャンパーンと同じく、ビンの中で2次醗酵をさせ、天使が囁くような、小さな泡を放つ酒に変身させるのだ。使用する酵母は、まんさくの花の酒蔵から分離した蔵付酵母だ。
 日本酒度ー6と数値からすれば超甘口であるが、さっぱりとしたリンゴ酸系の酸味が絡み、バランスのよい酒に仕上げてある。シャンパーングラスに注ぎ、泡まで楽しんでもらいたい。 
 いつの間にか、ボトルが空いてしまう。盛夏の夜、ドルチェはいかがでしょう。

まんさくの花 純米吟醸生酒 スパーク・ドルチェ(日の丸醸造梶@秋田県横手市)
酒米:兵庫県山田錦と秋田県産美山錦
精白歩合:50%  日本酒度 −6  酸度1.5  720ml 1,700円

 

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