三里木区  たわらや酒店  宇野功一D

821号 2016年9月4日

(121)菊の節句・お月見に「菊姫」

◆重陽の節句とお月見
  歴史的な地震に見舞われた熊本にとって、今夏の酷暑はたいへん厳しいものでありました。9月になり、早く涼しくなって欲しいものです。古来より、9月にはお酒を飲む風習の日があります。
 一つは9月9日の重陽の節句で、もう一つは十五夜です。(年によっては10月の場合もある)9月9日の重陽の節句は、菊の節句ともいいます。9は最も大きな数で、江戸時代ごろまでは、収穫の喜びを兼ねて最も盛大に節句を行っていたそうです。菊を酒に浮かべて飲み、不老長寿を願ったと言われています。
 十五夜は旧暦8月15日の夜の満月をめでる行事です。今年は9月15日が中秋の名月です。新暦と旧暦はズレがあるため、15日に十五夜になるのはなかなかマレです。次回、9月15日が中秋の名月となるのは、30年後の2046年です。

◆太閤秀吉も菊姫ファンだった
 9月にぴったりの日本酒、「菊姫」の創業は天正年間(1573
〜1591年)ごろ。石川県白山市鶴来町にある菊姫は、霊峰「富士山」・「立山」と並ぶ日本三名山の一つである白山連峰の麓に酒蔵があります。古来より、芳醇な美酒と呼ばれてきた「加賀之菊酒」は、「太閤記」が伝えるところによると、太閤秀吉が醍醐の花見に、是非にといってわざわざ取り寄せたという誉れ高き天下の銘酒です。

◆9月は「菊姫特選純米」純米酒の最高峰
 菊姫の酒は、山廃酒母を使用した濃厚で飲みごたえのある酒と、速醸酒母を使った口あたりの良いまろやかなタイプに大別できます。この特選純米は後者のタイプで、山田錦ならではの、たっぷりとした旨みを味わうことができます。とくに、濃い目に味付けされた料理との相性は抜群で、ついつい飲みすぎてしまう美味しさ!菊姫純米酒シリーズの中では最高峰に位置する酒です。ラベルは昭和初期からのデザインのものを踏襲しています。
 夏の時期はさっぱりした香味の酒を好んで飲んでいた方も、秋の時期には芳醇で旨みのある酒がおいしく感じるようになります。秋の夜長、重陽の節句や中秋のお月見に「菊姫」のお酒はきっとおいしく飲めると思います。500年の歴史を超えて銘酒「菊姫」で乾杯。

【菊姫 特選純米酒】
合資会社菊姫 石川県白山市鶴来町
酒米:兵庫県三木市吉川町・特A地区産
精白歩合:65%
日本酒度:非公開    酸度:非公開
2〜3年熟成酒・複数年ブレンド
1800m l3100円(税別) 720ml 1550円(税別)


824号 2016年10月2日

(122)地酒途中下車・肥薩線嘉例川駅
究極の芋焼酎を目指す「佐藤」の蔵をたずねる

◆悠久の時を重ねる嘉例川駅
 熊本・八代駅から球磨川を縫うように走り人吉へ。人吉から加久藤峠を越えて吉松。
 そして日豊本線隼人を結ぶ全長124.2qが肥薩線だ。実は現在の鹿児島本線ができるまで、この路線はれっきとした鹿児島本線であった。全線開通は1909年(明治42年)11月21日。明治時代、物資の輸送はもっぱら鉄道であった。新政府の偉人を輩出した薩摩へ、鉄道を繋げる執念が感じられる明治の幹線だ。9月のある日、嘉例川駅に降り立った。最近「百年駅舎」としてテレビなどに登場して、鉄道ファンの間ではかなり有名になった駅だ。

◆究極の芋焼酎を目指す佐藤
 霧島連山の麓、牧園町に佐藤酒造はある。佐藤酒造の歴史は1906年(明治39年)に創業。ちょうど、肥薩線の開通の頃に創業を開始したのもおもしろい。芋焼酎一筋に醸造を続けるが、戦時中に一時休業を余儀なくされた。
 1952年(昭和27年)に創業を再開。再開と同時に清冽な水の湧き出る現在の牧園町へ移転。
 1970年(昭和45年)に加治木酒造協業組合(現在の国分酒造協業組合)の立ち上げとともに加盟するが、その間、佐藤酒造独自のブランドを世に出すことは無くなった。
 1984年(昭和59年)に協業組合を脱会。代表銘柄「さつま」を世に出す。

◆芋の旬の時期だけ・・・
 蔵の中をくまなく案内してくれたのは鳥越真二氏。見るからに薩摩隼人の蔵人である。
 芋焼酎の仕込みは、さつま芋が収穫される8月下旬から始まる。そして、霜が降りる12月に仕込みが終わる。霜が降りると、芋は甘味を増す。食すには美味しい芋だが、芋焼酎には向かない。昨今の芋焼酎ブームで、冷凍した芋を使い、年中仕込む蔵が大半を占めるようになったが、仕込む前日に掘った新鮮なコガネセンガン(芋の品種名)で芋焼酎を仕込む。
 芋を回転する円形の籠に入れて、水で丁寧に洗う。洗われた芋はベルトコンベアーで運ばれる。ベルトコンベアーの両脇には左右8人ずつの蔵人が片手に包丁を持ち、片手に芋をつかんで、目視で芋を確認。包丁でヘタを切り落とし、傷んだ箇所を取り除き、芋蒸し釜へとつながる別のベルトコンベアーへ移す。16名の蔵人は実に手際がよい。未熟な芋や芋全体が傷んだものは、廃棄される。整った芋だけが芋焼酎の原料となるのだ。一日に4.5トン×2回=9トンもの芋を処理するという。一人平均560sの芋を、午前中で処理するのであるからとても重労働。芋は水で洗った瞬間から劣化が始まるので、いかに早く処理して、芋を蒸し、モロミの中に入れるかが、おいしい焼酎になるかどうかが決まるという。まさに、時間との勝負の現場を見た。(次回に続く)


829号 2016年11月6日

(123)地酒途中下車・肥薩線嘉例川駅
究極の芋焼酎を目指す「佐藤」の蔵をたずねる 2日目(前回の続き)

◆真摯な姿勢で焼酎づくり
 佐藤酒造を訪問して目についたのが額に入った社是と社訓。

・社是
 私たち佐藤酒造は、本格焼酎を生んだ鹿児島の歴史と我が蔵と焼酎を支えてきた人たちの思いに誇りを持ち、高い意識と意欲を持って、常により良い焼酎造りに励み、揺るぎない信頼のもとに世の中を支える企業としてあり続けます。

・社訓
 私たちは向上心と情熱を持って、誠実に造った焼酎を世の中に問う姿勢を貫きます。私たちは蔵を支えてきた人たちとその歴史に敬意を払い、造りに携わる喜びと誇りを胸に真摯な姿勢で社業に取り組みます。私たちは真心を込めて造った焼酎を人の心の通い合う流通によって世の中に広め、飲む人に喜んでいただくことから得られる揺るぎない信頼を蔵に築き、継承していくことで社会に対し貢献します。

 朝礼の終わりに、社是と社訓を唱和して佐藤酒造の一日が始まる。実は、前日の夜は、佐藤社長と蔵を案内してくれている鳥越さんと飲みに出かけた。その日に蒸留したばかりの焼酎を飲んだ。度数は40度程度。少し白濁して、芋の匂いもきつい。しかし、複雑な香味ながらも甘〜い味がして口の中で心地よく広がる。芋飴をなめた時のような、あの味わいである。どことなく、懐かしく感じた香味であった。
 今朝は、仕込み蔵を見学させていただいた。原料処理が完璧なコガネセンガン(原料の芋)を蒸かして、粉砕したものを、モロミタンクに入れる。数時間後に、酵母の働きが旺盛になりはじめ、モロミの中からぷつぷつと細かい気泡が沸きはじめる。醗酵は、約10日間かかるが、仕込んでから2〜3日目のモロミが最も香ばしい。ちょうど、ケーキ屋さんのスィートポテトケーキを彷彿させる甘い香りだ。昨日飲んだ、焼酎の香りを思い出した。
 妥協のない原料選び、妥協のない原料処理、そして丁寧な仕込み。案内をしてくれた鳥越さんが自信に満ちた言葉で「蒸留したての芋焼酎がおいしく飲めるのは、仕込み水の良さと、妥協のない仕込みの成果です。鹿児島に芋焼酎蔵が多いと思うが、そうそうあるものではありません 」と…。
 蒸留した焼酎は、原酒の状態で2年間タンクで熟成させる。そして25度に和水して半年熟成。その後、瓶詰めして約半年熟成。およそ3年の熟成期間を経て製品として出荷される。真摯な姿勢で、誠実に造った芋焼酎は、多くの方を魅了している。その理に触れた2日間でした。

 

 

【佐藤 黒麹】
1800ml 3,269円
 720ml 1,629円


833号 2016年12月4日

(124)究極の日本酒をめざして八海山・金剛心

◆1年に一度のぜいたくな酒
 普段はなかなか口にすることができない、とびっきりの日本酒が師走に発売されます。お客様から「一番、ぜいたくな日本酒はどれですか?」という質問がきます。難しい質問です。一年に一度、クリスマスやお正月にとびっきりぜいたくな日本酒を飲むとするならば、私は迷わず、八海山・金剛心(こんごうしん)純米大吟醸をおススメ致します。

◆新潟の銘酒・八海山
 米どころとして名高い魚沼。霊峰八海山の麓、清らかな伏流水で醸す酒蔵があります。戦前、灘酒が有名だったころから灘酒を越える美味しい酒を醸そうと意気込んだ当主・蔵人がいました。現在、八海山は全国的に銘酒として名高いブランドになりましたが、当時は300石程度の小さな酒蔵でした。
 灘酒の味わいのある男酒に対抗するために、淡麗辛口の酒質を追求しました。スイスイといくらでも飲め、料理の邪魔をしない、そんな八海山の清らかな伏流水のごとき酒質を目指しました。
 この酒質が受け入れられるようになったのは昭和50年代以降。酒がベタベタに甘かった時代、米を磨き冷温で長期醗酵した八海山の酒は、東京を中心に人気を集めました。日本酒ファンの間で、口コミで酒名は一躍有名となり、新潟酒ブーム、地酒ブームの引き金となりました。

◆究極の日本酒・金剛心について
 限定純米大吟醸「金剛心」は、そんな純米造りに挑戦するために原料米の選定から始めました。兵庫県特A
地区口吉川産(くちよかわ)の山田錦と、日本一の米どころとして有名な地元六日町城内地区産の五百万石の長所を融合させるべく、両者の高度精白米の絶妙な配合と大吟醸造りの手法を駆使して醸し上げました。
 氷点下(−3℃)の条件で2年間、穏やかに貯蔵熟成させたもので、若すぎることもなく上品でまろやかに成熟したものと思っております。

◆ゆるぎない心は八海山の酒づくり姿勢(心)です
  「金剛心」の意は、「ゆるぎない一元の心」と聞いておりますが、まさに八海山が創立以来迷うことない酒造方針の信条として守り続けている心と相通じるものとの考えから、その名を拝借させてもらったものであり、酒を仲立ちとしてこの思いをお客様にお届けできればと願っているそうです。一年の締めくくりのこの季節、ぜひ飲んでもらいたい究極の日本酒です。

【八海山 金剛心】800ml 11,880円(税込)
※限定6本入荷します

たわらや酒店  232−3138


838号 2017年1月15日

(125)地酒途中下車 東北本線蓮田駅
純米づくりの活性にごり酒 「神亀にごり酒」

◆純米酒一筋・神亀酒造
 上野駅から東北本線・蓮田駅を降りる。都心から近く閑静な住宅地の中に神亀酒造はある。蔵の周りは欅などの高い樹木があり、住宅地の中の杜といった感じだ。
 神亀酒造の創業は嘉永元年(1848年)。江戸時代末期。酒名は蔵の脇にある天神池に神の使いである亀がすんでいたという伝説から「神亀」と命名したという。
 神亀酒造が現在、日本じゅうの酒ファンや蔵元から注目を集めるには理由がある。日本じゅうの蔵元が普通酒を造っていた昭和58(1983)年に普通酒の製造をきっぱりと止めた。さらに、昭和62(1987)年からは製造される清酒の全てを純米酒以上とし、酒造業界でも異端ぶりを発揮。そればかりではなく、基本的に新酒で出すのではなく、熟成させたうま味の乗った酒を発売した。業界ではまだまだ特級酒、一級酒、二級酒という普通酒が台頭していた時代であり、かなり異端児的な行動に見えたのでは。これが30年経った今では、日本じゅうの蔵が神亀の行ってきたことを、ようやく評価するようになってきた。時代が神亀の先駆的な行動を認める・理解するに至ったといえよう。また、純米酒と熟成酒の旨さ、すばらしさは多くの酒ファンを魅了してきた。「関東に神亀あり」という誉れは今や全国に波及。

◆ 大好評・日本酒のシャンパーン神亀 活性にごり酒
 昨年暮れ、菊陽町内のあるところで日本酒の会を開催。そこで神亀・活性にごり酒を開けた。開栓までの約20分間の奮闘の様子をご紹介しよう。

@栓の虫ピンで穴を開ける
 一升瓶についている虫ピンを使って栓のシールを取らないまま(取ったら一気に吹き出るのでやめてください)、1カ所を開ける。すると写真@のようにその小さな穴を目指して、酒が吹き出ようとする。わずか1mm程度の小さな穴。布巾と親指でしっかりと押さえる。物凄い圧力だ。活性にごり酒は、発酵中のもろみを粗い目の袋で濾し、そのまま瓶詰めし、完全に栓をした状態で出荷する。発酵が止まっていないため、瓶内で発酵が続く。
 糖分はアルコールと二酸化炭素(炭酸ガス)に分解され、炭酸ガスは瓶外に逃げることができないので自然に瓶内の圧力が上がる。栓を開けると、瓶内の加圧状態が1気圧になろうとして勢いよく噴出するのだ。

Aグラスに弾ける泡
 格闘すること20分、ようやく落ち着いてきた。90ml程度は吹きこぼれた。上部にはまだまだ勢いよく炭酸ガスが発生している。写真Aでお分かりいただけると思う。
 ようやくシールをはずして、グラスに注ぐことができる。弾ける泡は、まさに日本酒のシャンパーンといったところだ。熟成すること、瓶内で約2年。こなれた落ち着いた香味が心地良い。お肉料理からお魚料理まで万能の食中酒である。新春、日本酒のシャンパンで乾杯するのも乙なものでは〜。


【神亀 活性にごり酒】
1800ml 3600円(税別) 
720ml 1800円(税別)

 


841号 2017年2月5日

(126)地酒途中下車 
沖縄都市モノレール ゆいレール 小禄駅下車
君知るや、銘酒泡盛「春雨」

 2月3日は節分、4日は立春。春はそこまで来ています。今回は、泡盛の森伊蔵と評される「春雨」のことを書きたいと思います。

◆今、琉球泡盛の幻の酒が甦った希望と恵の酒「春雨」
 20年の時を越えて、琉球泡盛の幻の銘酒として名を馳せた「春雨」が今、甦った。
  春雨の創業は戦後間もない昭和21年。酒蔵は那覇市小禄にある。現在はすっかり住宅地になってしまったが、酒蔵が生まれたころは辺り一面焼け野原であったという。戦後間もないことであり、物資が少ないころにできただけに、素朴な感じの木造の蔵で、赤茶けたレンガ屋根に漆喰のスタイルはいかにも琉球をほうふつさせる眺めだ。酒蔵は道路沿いに面しているが、一段下がったところにひっそりとたたずんでいるため、案外酒蔵とは気が付かず通り過ぎてしまう。
 酒名は創業当時の蔵元が願った思いが付けられている。「春」は希望を意味して、「雨」は恵みを意味している。昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会の際に、当時の皇太子さま(今上天皇)に献上された泡盛は実は「春雨」宮里酒造所の泡盛であった。公には公開されていないが事実である。しかし30年前に小売業を止め、他のメーカーや、酒造共同組合への桶売販売のみの酒造りに変わり、単独で「春雨」の泡盛を口にすることはできなくなった。幻の銘酒になってしまった。本来、宮里一族は泡盛を醸(かも)す杜氏・職人として天才的な技術を持ち、各蔵元の泡盛製造技術向上に大いに貢献していた泡盛業界の名門である。それが、平成9年(1997年)に「春雨」の味わいを忘れられないファンからの強力で熱い要望によって「春雨」の泡盛が一般に販売されるようになったのだ。だから、甦った幻の酒と評されるのだ。

◆花が咲くように醸す・春雨
 2代目・宮里武秀さんは「こだわりとは経験だけ」と語った。現在は、酒造りは三代目・宮里 徹さんに引き継がれているが、泡盛づくりの経験をデータ化して、伝統的な製法で泡盛を醸しつつ、最高の状態で熟成酒を造る。三代目は、「寝かせたからクースー(古酒)いうのではない。5年、8年、10年、15年と飲む時に蕾をつけるように泡盛を仕込む。花が咲く時に飲んでもらうような泡盛づくりが『春雨』の泡盛だ」と。

◆この酒に惚れた
 「春雨ゴールド」は、クースーのような熟成感のある味わいを、気軽に楽しんでもらいたいというコンセプトで誕生した泡盛です。熟成期間は約2年。クースーとは呼べませんが、まるく深みのある味わいは、まさにクースーそのもの。ナッツや果実を連想させる香りと、ほんのりとした甘味が印象的。宮里 徹さんが長年研究を重ねて完成させた「クースーのような気軽に飲める泡盛です」と。
 立春大吉。泡盛の銘酒、「春雨」を飲んでみてはどうでしょうか。

原料米  タイ国 ィンディカ米
精米歩合 約90%
熟成期間 2年程度
飲み方  ロック、水割
度数 30.0%
価格 2760円(税込)1800ml 

 


845号 2017年3月5日

(127)地酒途中下車 奥羽本線 天童駅下車
発砲清酒「咲」まさに日本酒のシャンパン

◆さくらの国の発砲清酒「咲(さく)」    
 「出羽桜 スパークリング日本酒 咲(さく)」。グラスに注いだ瞬間、シュワーッと軽やかな音が心地よく耳に入ってきます。軽快なクリアで爽快な飲み口は、その名の通り、一斉に咲き誇る桜のようです。しかし、爽快なだけではありません! 日本酒らしいコクと旨みも十分に楽しんでいただける味わいになっております!

◆約20年がかりで開発・発売
 日本酒業界で「にごり」や「澱(おり)」が絡んだ発砲性の酒はこれまでに発売されていました。出羽桜が開発した発泡清酒「咲」は、常識を覆した全く新しい発砲清酒です。「にごり」や「澱」がなく、澄み切った発砲清酒です。まさに、日本酒のシャンパンが誕生しました。
 この酒を発売するまでには、長年の研究の積み重ねがありました。出羽桜酒造が発砲清酒の市販化を目指し研究をしていることを、私が知ったのは平成8年2月でした。この時、出羽桜酒造を訪問して、夜、宿泊先で飲んだのが微発砲清酒でした。
 泡(ガス)を閉じ込めたまま瓶詰めするというのは簡単ではありません。約20年間に及ぶ試行錯誤が繰り返されていました。瓶ごとにガスの圧力が違い、香味がなかなか均一にできないことなどから、市販化には至りませんでした。
 製造過程は極秘。圧力がかけられるタンクの中で発酵させ、炭酸が抜けないように濾過(ろか)、瓶詰めしたとのことでした。それから13年…。2010 (平成22)年3月から出羽桜特約店の中で厳選された専門店で発売が開始されました。今や静かなブームとなっています。

◆発砲清酒「咲」の原料米
 原料米は山形県が開発した酒造好適米「出羽の里」。特長は大きく二つ。心白の発現率が約90%と非常に高く(山田錦は約80%)、タンパク質の含有量が低いこと。結果、米をあまり磨かなくとも、アミノ酸度が低く、すっきりした酒に仕上がります。
 使用酵母も山形県が開発した「TY−24」。酒にコク味をもたらす成分「チロソール」を多く生成する酵母で、アルコール分が低くとも、旨みとコクが十分に味わえます。「咲」は、これらの原料を用い、「純米」仕込みの“モロミ”を圧力密閉タンク内で二次発酵させ、炭酸ガスを封じ込めます。その後、炭酸ガスを吹き込み、発泡圧力を調整した後に瓶詰めし、瓶火入れします。なお、「咲」は炭酸ガスを添加するため、純米酒の表記は認められておりません。すべての炭酸ガスが、酵母に由来する場合のみ、特定名称酒表記が可能です。
 今年の花見には、新しい香味の日本酒はいかがでしょうか。入荷数量が少ないため、お早めに!

【出羽桜 「咲」 発砲清酒】
原料米 山形県産 出羽の里(米・米麹)
精米歩合 65%   日本酒度 −9.0
酸  度 1.2ml  アミノ酸度 度数 9.0%
酵  母   ●チロソール酵母 ●高生産性酵母TY-24酵母
価  格 250ml 税込 486円

≪オリジナルカクテルを造ろう≫
・「咲」3:100%オレンジジュース1
・冷た〜く冷やした「咲」にレモンやライム、シークワーサーなどを搾って。


849号 2017年4月2日

(128)B級グルメと地酒@ 江戸時代編

 今年はなかなか桜が咲きませんね。3月21日に東京がいち早く開花宣言をしましたが、熊本はまだ開花宣言がありません(3月29日現在)。桜の花が咲くのが待ち遠しい今日この頃です。

◆B級グルメについて
 最近よく話題となっている言葉に『B級グルメ』があります。B級グルメを辞書で引いても出てきません。今後発行される辞書には掲載されるかもしれませんね。意味としては、安価で、普段(普通)の日常生活の中で食される庶民の飲食物で、しかも局地的な地方性を有するもの、とでも仮定できると思います。
 では、いつ頃からB級グルメの言葉が生まれたのかは分かりませんが、2006年に青森県八戸市で「第1回全国B級グルメのイベントB−1グランプリ」が開催されてから、B級グルメの露出度が以前よりも高くなったように思います。時代でしょうか。1980年代後半から1990年代前半にかけての日本は、バブル経済の時期、一種狂ったような経済活動が繰り広げられました。その後の反動で、ここ25年、低成長の時代に入ってしまいました。こんな時代背景が、日本中にB級グルメのブームを喚起したのかもしれません。
 B級グルメの全国大会・B−1グランプリにおいて、過去のグランプリに輝いた食べ物で多いものは、「焼きそば」「うどん」「ギョーザ」「カレー」「丼もの」が目立ちます。安価で、普段の日常生活の中で食され、「旨い」もの=ちょっとしたファーストフードという関係があるように思います。

◆江戸時代のB級グルメ
 「ハレ(晴れ)の日」「ケ(褻)の日」という言葉があります。ハレの日の食べ物がグルメであるとすれば、普段の生活=ケの日の食の延長線上にB級グルメがあるように思います。江戸時代、もしB級グルメがあったとしたら、どんなものが考えられるでしょうか。
 グランプリ上位に入るのは何と言っても『そば』ではないかと思います。落語でも、江戸っ子がそばを食べるシーンが数多く出て来ます。お手頃で旨い。しかも、現在のB級グルメよりもヘルシーなイメージがあります。
 その他に挙げるとすれば、讃岐のうどん、豊川のいなりずし、柳川のセイロ蒸し、深川のどじょう鍋など、地方性に富んだものがあります。うなぎ、豆腐を使った料理は、味付けの方法や調味料の違いはあるにせよ、全国各地の城下で楽しんでいたB級グルメの食材だったように思います。
 豆腐は、醤油をかけて食べる『やっこ』なんか、最も簡単で、最も長い間、日本人に親しまれてきたB級グルメの元祖のような存在かもしれませんね。
 日本各地のB級グルメとその地方の地酒。食文化の根底に潜む下地が江戸時代にはありました。それぞれの地域の地酒と食文化を紡いでいくのも実に楽しいものであると思います。(続)


857号 2017年6月4日

(129)B級グルメと地酒A 明治時代編

◆明治時代のB級グルメ
 明治になり、これまでの幕藩体制と身分制度ががらりと変わり、日本という国の概念が生まれ、国民、臣民の概念も生まれた気がします。江戸幕府の鎖国政策によって二百数十年に及ぶ、ある意味平和な時代を過ごした日本。睡眠から覚めるや、日本のまわりの国々は、あれあれ、列強大国の植民地と化しているではありませんか。英国はマレー半島や、シンガポール、香港に進出。土着の人々を鞭で打ち、仕事をさせる。まるで人間が畜生扱い。列強大国の植民地化の波が、インドから東南アジア、清国へ、次なる餌食は朝鮮、そして日本へと向けられているのは明らかでありました。
 こんな時代背景の中で、日本は大変だけど、独立国として、一等国を目指す方針へ。農業以外にこれといって産業のない国日本を、殖産興業化政策により、国を興し、軍隊を強くしてきました。
 こんな時代に登場したB級グルメが『たまごかけごはん』です。これは私の勝手な解釈ですが…。
 たまごかけごはんを初めて提唱した人は岸田吟香(きしだぎんこう1833〜1905年)と言われています。岸田吟香は、日本初の従軍記者として活躍しました。
 岸田吟香は名前のイメージからすると女性かなぁ〜と思われるかもしれませんが男性です。美作国久米郡(当時は津山藩)に生まれます。1852(嘉永5)年、19歳で江戸に上京。儒学を学び、23歳の時、大阪で漢学を学んでいます。親友が幕府に追われ、彼も疑いをかけられたようで、しばらく上州伊香保で隠れて生活。もしかすると坂本龍馬などの、幕末の志士と縁があったかもしれませんね。
 1873年、東京日日新聞の従軍記者として台湾へ。その頃に彼が、たまごかけごはんを提唱したと言われています。軍隊は体が資本です。それに従軍する記者ももちろん、体が資本です。早くて、安くて、美味くて、栄養価の高い食べ物が、たまごかけごはん。彼は、たまごかけごはんを知りあいに口コミで広めました。気がつけば、旅館や民宿の朝ご飯の定番として定着しました。
 たまごかけごはんは、岸田が提唱して、約145年。いつでも、どこでも、だれでも、簡単で手軽にできる、たまごかけごはんは、黎明期ニッポンにおけるB級グルメの横綱であると思います。みなさんの中には、今朝、朝ご飯で、たまごかけごはんを食べた人がいるのでは?

◆たまごかけごはんに合う日本酒
 今回は酒の話題が登場しませんでした。たまごかけごはんにあう日本酒、あります。芳醇で旨口のタイプの日本酒は、卵料理全般で相性がよいです。だしの濃淡で、淡麗〜芳醇系のタイプをチョイスすると楽しいでしょう。


861号 2017年7月2日

(130)B級グルメと地酒B 大正時代編

◆大正時代のB級グルメ
 今日は答えからズバリ発表します。大正時代、日本の庶民の食卓に普及したB級グルメランキング第1位は『カレーライス』です。
 カレーという食べ物は、インドやインドネシアなど、東南アジアに一般的にあった料理です。英国ではインドを植民地とした時代にカレーが持ち込まれ、欧風に改良されました。そして、19世紀には、英国においてカレーパウダーが製品化されて世界各地へ広がったようです。
 一方、日本において、カレーが文献に登場してくる最も古い資料は、江戸時代末期1863(文久3)年、幕府高官・三宅 秀が遣欧使節として派遣されます。彼が乗った船の中で、カレーを食するインド人の様子が彼の日記に残っています。
「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」
 カレーを食べたかどうかは分かりません。きっと食べてはいないかもしれませんが、カレーというものがどうであれ、彼は、手づかみで食する風習に驚きを覚えた様子が分かります。
 時代は変わり、明治維新に。横浜や神戸には欧米の商館などが立ち並ぶようになります。洋食屋でカレーが登場する時代を迎えます。東京・洋食食堂 風月堂でカレーがメニューに登場したのが最初と言われています。西南の役が勃発した明治10年のことです。庶民がカレーを楽しめるようになるのは、日本版カレーパウダーを開発した大阪の今村弥(現在のハチ食品)の登場後でしょう。これは明治の後半のことです。
 カレーと言えば、現在、海上自衛隊の「金曜カレー」が有名ですが、旧日本海軍の艦内メニューにカレーが登場してくるのは、明治41年に出された海軍割烹術参考書からです。
 欧風のカレーが、日本版カレーパウダーの発売、海軍割烹術参考書の登場により、日本流にアレンジが進み、大正時代に全国の庶民の食卓に浸透したのがカレーライスです。
 野菜の三種の神器、じゃが芋、人参、玉ねぎ、それに豚肉や牛肉や鶏肉を入れて煮込み、カレーパウダー入れると出来上がり。簡単で、美味しいカレーは瞬く間に日本の食卓に浸透したようです。
 野菜の三種の神器を煮込み、シチューパウダーを入れるシチューも大正から昭和にかけて普及しています。パウダーを味噌に換えれば、単なる豚汁(牛汁、鶏汁)なのです。洋風調味料の登場で庶民の食卓にもバリエーションが増えた時代が大正時代でした。この時代らしく、ちゃぶ台の上のデモクラシーを感じます。


866号 2017年8月6日

(131)B級グルメと地酒C 昭和時代編

◆昭和時代のB級グルメ
 今回は、戦前の昭和時代に熊本で誕生したB級グルメを紹介します。太平燕(たいぴーえん)をご存知でしょうか? 太平燕はもともと、中国福建省地方の中華料理でした。太平燕は一言で言い表すとスープ春雨料理です。およそ100年前、福建華僑が九州に渡ってきて、創作を加え、熊本流にアレンジされ、現在の太平燕が生まれたと言われています。
 熊本の中華料理屋で、太平燕がメニューとして登場し始めるのは、1933(昭和8)年〜1934(昭和9)年頃と言われています。熊本での太平燕発祥の店は、紅蘭亭(熊本市安政町)説、会楽園(熊本市新町)説、中華園(元県民百貨店8階)説とさまざまな説があります。どの店も創業が昭和8年前後であり、それ以降に太平燕がメニューに登場して、熊本の人々が食したことは事実です。いずれにしても、華僑という組織は、横の繋がりが強いので、レシピなどについても相互に情報交換をして、よりおいしく、より熊本人の好みの味に改良されていったことも事実でしょう。
 太平燕をB級グルメで紹介するのは太平燕に申し訳ないかもしれませんが、戦前の食の中で、世界各地からさまざまな食材が持ち込まれ、大正のモダンで自由な時代を過ごし、最終的な完成系に達したのがこの時代のように思います。ですから、太平燕はB級グルメではなく、A級グルメかもしれません。
 多くの人が九州・熊本の麺と言えば、とんこつラーメンをイメージされると思いますが、もしかすると太平燕の方が歴史ある食べ物かもしれません。太平燕は家庭で作ることができますし、学校給食のメニューとして登場するほど熊本では一般的な料理です。
 長崎ちゃんぽんの麺が春雨麺に替わったものですので、肉や魚、野菜をたくさん食べることができ、子どもから大人まで大人気です。

◆平燕の簡単レシピ
〜用意するもの(2人前)〜
●緑豆春雨80g   ●ショウガ薄切り数枚  ●豚肉50g  ●イカ50g
●エビ50g  ●ニンジン15g  ●しいたけ1枚  ●キャベツ200g
●青ネギ1/2本  ●かまぼこ(ちくわ可)半個  ●卵1個   ●キクラゲ(あれば少々)
●水3カップ(600ml)  ●鶏ガラスープの素 大さじ1  ●塩 小さじ半分
●胡椒 少々  ●日本酒 大さじ1  ●薄口しょうゆ 大さじ1

〜作り方(意外と簡単に作れますよ)
@ 材料は食べやすい大きさに切る。春雨は水かぬるま湯で戻す。

A 中華鍋を熱して油大さじ1〜2を入れ、ショウガ、豚肉、イカ、エビ、ニンジン、シイタケ、かまぼこ、ネギを炒め、塩胡椒して、最後にキャベツを炒める。

B 炒めた具の2/3量を鍋から取り出す。

C 湯とスープの素を加えて、酒、薄口しょうゆを加え、ひと煮立ちさせる。

D 春雨を入れて取り出した具を戻し、器に盛る。

E ゆで卵のしょうゆ漬けを半分に切って乗せる。

 太平燕には、熊本の泰斗(千代の園)、香露、瑞鷹などの芳醇な味わいの日本酒がぴったりです。男の手料理で、一献どうでしょうか?


869号 2017年9月3日

(132)地酒途中下車 小海線 臼田駅(長野県)
今が旬 佐久の花「秋の純米吟醸」

◆「佐久の花」を醸す佐久の花酒造鰍ノついて
 明治25年小海線三反田駅前(現・臼田駅)で創業。酒蔵の100m位西側に千曲川の清流があり、仕込み水は八ヶ岳からの清冽な伏流水で仕込みます。臼田は小さな街ですが、江戸時代は天領であった関係から、街の規模から比較すると造り酒屋の件数が多いです。長野県で開発された新しい酒米「ひとごこち(新美山錦)」と長野アルプス酵母をベースに、香りが高く繊細な新しい味わいで、一躍知名度を高めています。大吟醸から本醸造にいたるまで、手洗い、手造り麹を基調に新しい時代の酒を醸(かも)す銘酒「佐久の花」、信州の銘酒から全国の銘酒に羽ばたきます。

◆原料米「ひとごこち」について

 「ひとごこち」は「白妙錦」を母とし、「信交444号」を父とした交配の組み合わせから育成された品種です。「ひとごこち」は穂の出る時期や実る時期は「美山錦」よりもやや遅いので、今まで問題となっていた、穂の実る時期の雀による食害を避けることができます。また、米の粒の大きさは「美山錦」よりも大きく、粒の厚さが厚いため収量は上回っています。「ひとごこち」は粒の中心の「心白」という白い部分が多く、また、大きくなるため、外観の品質が良く、お酒に加工しやすいという特徴を持っています。また、草丈が短いため「美山錦」よりも倒れにくく、いもち病や冷害にも強く、農家が作りやすい品種です。
 「ひとごこち」の良さを十二分に発揮したお酒が佐久の花です。火入れは、瓶詰め一発燗火入れです。風味を損なうことなく、その後、ゆっくり壜内で熟成していきます。ソフトな酒質で、フルーティーで、すっきり辛口タイプに仕上がっています。

◆ひとあし早い「ひやおろし」

 この度、新発売された「秋の純米吟醸」。読書の秋にちなんで、ラベルに楓の葉と本があしらってあります。ユニークなラベルです。
 酒米は「ひとごこち」を59%に精白して、厳冬期に仕込み、できた純米吟醸を今年の3月に瓶詰め火入れしました。蔵内の冷暗なところで瓶詰めのまま約半年間熟成させて、この度、入荷しました。搾りたての炭酸ガスのチリチリ感がありますが、半年間瓶熟成させたことにより、新酒らしい爽やかさを感じる香りが迫り、吟醸香の高い酒に仕上がっています。しかも、熟成による滑らかな口当たり。新酒と熟成酒の良いところ取りの酒質です。口に含むと、香りの成分が口いっぱいに広がり、丸みを帯びた旨味が広がり始めます。新酒のフレッシュさ、お米の旨味、キレがよく、また口に含みたくなる芳醇・柔らか系の美酒です。秋のお料理のお供にどうぞ。

【佐久の花「秋の純米吟醸」】
原料米 長野県産 ひとごこち
精米歩合 59%
日本酒度 +1.0
酸 度    1.6
度 数    17.3%
酵 母    アルプス酵母

価 格  1800ml 2600円     
       720ml 1350円(共に税別)


873号 2017年10月1日

(133)地酒途中下車 北越急行ほくほく線 
うらがわら駅(新潟県)雪中梅 純米酒

 10月1日(日)は日本酒の日です。私が恋い焦がれた酒「雪中梅」について書いてみたいと思います。

◆越乃三梅
 高度経済成長時代、大手ナショナルブランドを中心に、添加物の多い日本酒が日本中を席巻していました。そんな中で、かたくなに、お米を白く磨き、厳冬期に低温長期醗酵させた日本酒がありました。
 1970(昭和45)年、大阪万博終了後、当時の国鉄は、激減する旅客需要の確保を目的として「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンを打ち出しました。多くの日本人が全国津々浦々を旅する引き金となりました。その結果、地方の美味しい銘酒が発掘され、新潟、秋田、石川、富山、岩手、宮城、長野から美味しい地酒が一躍脚光を浴びました。第一次地酒ブームの始まりです。なんといっても、越後・新潟の酒が群を抜いて有名になりました。
・「越乃寒梅」(新潟市石本酒造)
・「雪中梅」(上越市丸山酒造場)
・「峰乃白梅」(星野酒造)

の3銘柄は越乃三梅としてもてはやされていました。

◆和三盆みたいな香味「雪中梅」
 淡麗辛口・水のごとくスイスイと飲める酒が特徴の新潟の中で、ひと味違う美酒がありました。雪中梅です。
 口に含むと、上品な干菓子を食べているような、和三盆糖のような甘味が広がります。1990年に初めて飲んだ時、「美味い酒だなぁ〜」と思いました。
 雪中梅を醸造する丸山酒造場は、明治30年創業。旧頸木郡三和村(現・上越市)に蔵があります。現在もある本蔵は、カヤを葺(ふ)いた趣のある建物です。雪深いこの地で、地元の方々に愛飲される品質志向の酒を醸(かも)し続けています。
 私はこの酒を熊本の方々にも飲んでもらいたい、感動を伝えたいと思い、何度も何度も、蔵元を訪問しました。全国的に名声が高まった雪中梅は、地元で造っても造っても足りません。ずっと、けんもほろろにお断りをされていました。27年間、通い詰め、ようやく特約店として「雪中梅」がお目見えすることができるようになりました。
 雪中梅の蔵元・丸山郁子氏は女性です。嫁ぎ先で、夫に先立たれ、女で銘醸蔵を守り続けた方です。派手さはなく、男世界の日本酒の世界で女で一人、歩み続けた彼女は、苦労の連続であったと思います。そんな苦労をみじんも感じさせない優しい方です。私は「雪中梅」の酒に惚れ、それを醸す人に惚れました。そんな「雪中梅」の酒をぜひ味わって、感動を分かち合えたら嬉しいです。

  【雪中梅 純米酒】

 原料米  新潟県産五百万石     アミノ酸度 1.5

 精米歩合 63%            度  数   15.5%

 日本酒度 −4             酵  母   教会7・10号酵母

 酸  度  1.7

 価  格  1800ml 2800円(税別) 720ml 1400円(税別)


878号 2017年11月5日

(134)勤労感謝の日に「戴きます」を考える 

◆11月23日は勤労感謝の日
 昭和23年からこの日が勤労感謝の日となったようですが、もともとは「新嘗祭(にいなめさい)」でした。
 日本は瑞穂の国、稲を育てて、お米を主食としてきました。晩秋のこの時期、今年の農事が終わりを迎えます。今年収穫された実りに感謝をします。新嘗とは、今年とれた穀物のことを指すそうです。この日、今年収穫した穀物の恵みに感謝するという行事が新嘗祭でした。

 2017年、今年もいろんな事がありましたね。お米を一つとってもそうです。我々の主食のお米ですが、江戸時代には一人当たりの年間消費量は、150s=2俵半でしたし、昭和20年代には120s=2俵でした。ところが平成元年ごろには一人当たりの年間消費量は70sとなり、現在では恐らく60sを割っているでしょう。
 今や日本人は年間1俵の米しか消費していないということです。米以外の穀物を食べて腹を満たしています。その穀物のほとんどは海外から輸入された穀物です。
 日本で生産されるお米の量もどんどん減少しています。平成10年に日本の米の生産量は1000万トンでした。東日本大震災の影響で、岩手、宮城、福島の穀倉地帯が、津波による塩害で栽培ができないため、815万トンと激減。その後も国内の米の生産量減少は続き、今年はおよそ800万トン程度となる予定です。
 今、農業に携わる方の平均年齢は65歳を超えていると思います。あと10年、いや5年後には、今までのように瑞穂の国を耕す人がいなくなります。震災による穀倉地の収量が減るのを見越して、熊本でも米の価格が約1割〜2割上昇し始めました。産地や農法で価格がさまざまでしょうが、だいたい熊本産・ヒノヒカリで10sの価格は4000円程度です。60s・1俵だと24,000円です。私も酒米の栽培や、鹿児島の妻の実家の栽培に携わる身として、あれだけの作業を施して栽培する米。そう考えるとかなり安いのではないかと思います。
 世の中は分業が進み、さまざまな業種がさまざまな業者によって、豊かな社会を作り上げています。人はみな食べ物を食べなければ、何もできません。財に物を言わせて、安価な輸入穀物を食べていくことが本当にいいことなのか? 疑問です。一度、人間が手を入れた農地は、人が手を入れて環境を保全しなければなりません。経済の論理だけは解決できないのが農業なのでしょう。
 今年の新米を食しました。銀色に輝く新米はそれだけで旨い。価格では表現できないものがあると感じました。
 感謝を込めて『戴きます』

【開運 純米ひやおろし】

原料米 兵庫産特A山田錦
精米歩合 55%    日本酒度 +6.0    酸度 1.5ml
アミノ酸度 0.99   度数   16.5%   酵母 静岡酵母New5
価  格 1800ml  2835円(税込) 


882号 2017年12月3日

(135)地酒途中下車 飯山線 飯山駅(長野県)
水尾の生まれる蔵 その1

 晩秋のこの時期、旅をするには山岳秘境路線が一番だ。今回は、新潟県の越後川口駅と長野県豊野駅を結ぶローカル線・飯山線に乗って、途中飯山駅のそばにある水尾醸造元・鞄c中屋酒造店を訪ねることとした。
 上越線越後川口駅に二両編成のディーゼルカーに乗り込んだ。「カランカランカラン」と軽やかなエンジン音を響かせている。キハ110型というJR東日本が開発したディーゼルカーである。信濃川は越後川口でYの字に分岐する。左側に流れるの川は名前を魚野川と改め、名峰・谷川岳に水源があり、右側に流れる川は千曲川と改め長野・善光寺平を経て甲武信ヶ岳に水源がある。千曲川は信濃川と名称を改めるが、新潟市まで全長367qの長い川なのだ。
 飯山線は越後川口から千曲川を縫うように走るローカル線だ。沿線は豪雪地帯として有名で、温泉やスキー場が多い。越後ちりめんが特産の十日町駅、豪雪地帯で有名な津南駅、スキー場と温泉と野沢菜で有名な戸狩野沢温泉駅がある。鮮やかに赤く、黄色く色付いた山々、そして千曲川。車窓を眺めているだけで飽きることはない。車窓は銀幕のどんな映画より実に面白い。越後川口から揺られること2時間。ようやく飯山駅に着いた。

◆奥信濃の城下町・飯山
 過去に書いたかもしれないが、現在の日本において、日本酒や焼酎や泡盛が文化たり得るのは、江戸時代幕藩体制の影響を色濃く残しているためだと思う。江戸時代は徳川家が代々将軍職に就くが、全国300の城下町にはそれぞれの大名が布陣している。大名は幕府の命令で国替えもあるが、江戸時代から明治維新まで約260年間、国替えのない殿様もいれば、飯山のように目まぐるしく殿様の変わる城下町もある。熊本は加藤家と細川家なので少ない方である。飯山は皆川家、堀家、佐久間家、松平家、永井家、青山家、本多家と変わり、明治維新を迎えた。
 水尾醸造元・鞄c中屋酒造店は、明治元年創業。飯山の商店街の一角にあった。前置きが長くなったが、水尾は熊本ではまだまだ無名な銘柄かもしれない。なぜならば、熊本県内に特約店が無かったからだ。今年6月から弊社たわらや酒店が特約店となり、初めて水尾が酒屋に並んだ。水尾は地域密着の地酒でありながら、世界に通じる地酒なのである。これは水尾を醸(かも)す田中家が、代々飯山の中で暮らし続けたことで、グローバルでローカルな“私に言わせれば”「グローカル」精神があればこそ水尾が育まれたように思う。
 次回、平成30年新年号では、水尾の真髄を書いていこうと思う。 〜良い年の瀬を〜

【水尾 特別純米酒】

原料米   長野県木島平村産金紋錦
精米歩合 59%  日本酒度 +1  度  数 15.5%
価  格 1800ml 2750円(税別)
       720ml 1400円(税別)


886号 2018年1月1日

(136)地酒途中下車 飯山線 飯山駅(長野県)
水尾の生まれる蔵 その2

 あけましておめでとうございます。今年、西暦2018年は明治維新から150年を迎えます。明治維新はさまざまな見方がありますが、日本の近代化、鎖国を廃し開国、廃藩置県などなど、これまでの制度が現在のような制度へと抜本的に、それも短期間に一度に変革した時代のように思います。今年、最初に取り上げる酒蔵は、クールジャパンを推進する国策の理にかなった取り組みを平成元年からやってきた酒蔵です。これからの日本酒の蔵が目指す一つのビジネスモデルのような気がしましたので、新年号に取り上げました。

◆グローバルでローカルな地酒・水尾
 水尾醸造元である田中隆太氏は1965年生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、外資系企業のシステムエンジニアとして就職をする。時は80年代後半。日本は空前のバブル経済真っただ中。1989年、結婚を機に地元・長野県飯山市の酒蔵へ戻る決断をしたという。飯山の田中屋酒造店は、明治元年創業。田中はこう語ってくれた。
 「地元流通用の普通酒がメインで、日本酒の原料である水と酒米には全く無頓着でした。私は酒を醸(かも)すことは勉強していませんでしたので、当時東京都北区滝野川にあった醸造試験所で醸造を学びました。その醸造試験所の恩師から“これじゃ〜ダメだ”と叱られ、基本からやり直しを迫られたんですよ」
 田中屋酒造店の事務所で、お茶を飲みながら当時のことを語ってくれた。『恩師の先生は?』と 尋ねると、当時醸造試験所第3研究室室長であった戸塚 昭先生というではないか。実は戸塚 昭先生は、私に醸造学を教えてくれた先生。同じ恩師から醸造学を学んだことから話が弾む。
 “うまい純米酒を造る”小さな地酒酒蔵が生き残るための命題。仕込み水を求めて東奔西走。蔵から15qほど離れた野沢温泉村・水尾山麓に湧く軟水と巡り合う。酒米は、千曲川を挟んだ特Aランクのコシヒカリを作る一帯がある。そこで酒米・金紋錦を栽培。こうして1992年に「水尾」が誕生した。
 恩師、戸塚先生も納得した酒質に仕上がったのだが、売り先が…。

 都会の有力酒屋にはつてがない。田中は困った。酒蔵の地元野沢温泉郷は、温泉とスキーの観光客でにぎわう地域。地元の温泉宿に「水尾」のうまさを説明し、地元の酒屋で当主自ら試飲販売を実行。継続は力なり、発売20年目ほどで、ローカルなブランドから長野を代表するブランドへ。そして今や日本を代表するブランドに成長。淡麗辛口でバランスのよい絶秒の味わいは、日本料理に相性が抜群。品の良さが際立つ。ローカルなインバウンド需要から、今ではアウトバウンド需要と、双方へブランド力を育んだ蔵元とその地元。本物の酒質で、本物の酒蔵が目指すビジネスモデルに触れた気がした。今年は「水尾」を飲んで、新年を祝う。
 平成30年元旦。

【水尾 特別純米酒】

原料米 長野県木島平村産 金紋錦
精米歩合 59%  日本酒度 +1  度  数 15.5%
価  格 1800ml 2750円(税別)  720ml 1400円(税別)


890号 2018年2月4日

(137)呑み鉄ご推奨の駅弁
富山駅 「ますのすし」と「満寿泉」(ますいずみ)   北陸の旅は「ます」と「ます」

 私のように鉄道に乗ることが趣味の人間を「乗り鉄」というそうですが、私はその地方の地酒を飲みながら車窓を眺めるのが好きなので「呑み鉄」でしょうか。
 最近は百貨店の催事で、全国有名駅弁大会がよく行われています。今年も地元熊本の百貨店で1月31日から駅弁大会が開催されています。全国各地の旧国鉄を8年がかりで完全乗車した私にとって、とくに印象に残る駅弁が富山駅の「ますのすし」です。駅弁大会でも高い人気の駅弁です。今回は「ますのすし」について、書きたいと思います。
 富山駅「ますのすし」の歴史はたいへんに古く、1912年(明治45年)に発売が開始されています。富山駅の開業は1899年(明治32年)。北陸本線は字のごとく、近畿地方から北陸を結ぶ大動脈。物資輸送もさることながら、駅弁が発売されるようになったのは旅客輸送が増えたからでしょう。
 丸い輪っぱに、富山県産のコシヒカリを酢飯にして、朱色の鱒(マス)を敷き詰め、笹でくるんだ押し寿司が「ますのすし」です。笹の葉の緑と鱒の朱色が色鮮やかで、まさに駅弁の芸術品と言っていいような駅弁です。北陸本線を走る特急の車内テーブルにちょうど乗るほどの大きさになっています。「ますのすし」の箱の中に付属のプラステック製のナイフが付いています。それを使って、8等分に割って食べます。押し寿司なので、おなかいっぱいになります。
 私も北陸本線を旅する時には、必ず、この「ますのすし」を2つ購入します。1つは、すぐに車内で食べます。もう1つは、お土産にします。賞味期限が切れるのですが、「ますのすし」は押し寿司でありますので、少し時間を経過しておいしくなります。お酢と鱒とシャリが馴染むのでしょう。どのくらい熟成させるかというと約1〜2日。車内で食べるできたての「ますのすし」よりも格段に旨くなります。熟成させたものを売っていればいいのですが、製造する駅弁の会社としては、賞味期限がくれば、販売することはできないため、この熟成「ますのすし」づくりは、購入した人の楽しみな作業になります。
 この「ますのすし」は、江戸時代に8代将軍・徳川吉宗が、富山藩主より献上され、たいへん気に入ったということです。きっとその時に吉宗が食した「ますのすし」も熟成した「ますのすし」であったと思います。ちなみに笹の葉は殺菌作用もあるということでくるんであるようです。先人達の美意識と知恵に感服します。
 「ますのすし」とぴったり合うのは富山市の銘酒・満寿泉(ますいずみ)です。冬季の限定酒として満寿泉リミテッドエディションをおススメします。酒米の王者・山田錦と熊本9号酵母で仕込んでいます。正統派の吟醸酒です。駅弁と地酒があれば、自宅にいながら旅をしている気分になれます。今年も「ますのすし」と満寿泉で、自宅にいながら北陸の旅を満喫したいと思います。

 

【満寿泉 生純米吟醸】

度数 16〜17%

価格 1800ml 3,000円(税別)


894号 2018年3月4日

(138)せごどん(西郷隆盛)も「びったまげる」芋焼酎
「野海棠」(のかいどう)

 ようやく梅のつぼみが膨らみはじめました。早春の陽気に誘われて、先日2月18日(日)に日本一うまい芋焼酎蔵へ行ってきました。今月はその蔵と焼酎について書きたいと思います。
日本唯一の木槽(もくそう)仕込・木桶蒸留
 今や、芋焼酎は日本の国酒として確固たる地位にあり、酒質も上々。そんな中で「これは〜旨い!」と感動を与えるスーパースターが登場しました。その銘柄は野海棠(のかいどう)です。
 酒名は、酒蔵のある霧島の麓に咲く野海棠という花にちなんで命名。野海棠の酒質は、なんといってもまろやかさにあります。その旨さは
@手作りこうじづくり   A木槽を使ったもろみ発酵
B木桶による蒸留    C洞窟の中で長期熟成
  です。

 まず、こうじづくりは日本酒、それも大吟醸でも仕込むのだろうか、と思わせるこうじづくりです。
 次に、日本で唯一の木槽によるもろみ発酵。焼酎のもろみは、伝統的な「カメ」仕込み、オーソドックスなものは「ほうろうタンク」「ステンレスタンク」で仕込まれます。しかし、野海棠は木槽で仕込まれます。木槽は厚さ7pの杉の木と組み合わせた容器です。カメやステンレスタンクと違い、木槽の最大の特徴は、素材が自然の木であるため、暑さ寒さという外的な要因がもろみの中に伝わりにくく、最後まで穏やかな発酵が、一年中、再現できるということです。

 

 出来上がったもろみは、伝統的な木桶蒸留器によって蒸留されます。こうじづくりのもろ蓋、木槽によるもろみづくり、木樽による蒸留と、「木」の素材で仕込まれているのが特徴です。
 最後は、カメ壺に入れて、蔵の脇の洞窟で、最低5年以上、じっくり寝かせます。甘い芋の香りをまとい、口に含めば、香りと同じく滑らかで甘味を帯びた味わいが口いっぱいに広がります。ほんのり木の香り。信じられないほど滑らかです。さすが、鑑評会で毎年上位入賞するわけです。そして平成28年度と29年度、2年連続、鹿児島県本格焼酎鑑評会総裁賞代表受賞。静かなブームを呼んでいます。きっと、こげなうまか芋焼酎を、せごどん(西郷隆盛)に呑ませたならば、びったまげらすどなぁ〜。
 究極の芋焼酎・野海棠。新たな芋焼酎の世界感が発見できる逸品です。

 

 

  【野海棠(芋)】
  原 料  芋(黄金千貫)
  麹 菌  白麹
  蒸 留  常圧
  度 数  25.0%
  熟成期間 5年以上
  価 格   1800ml 2,838円税別   720ml 1,429円税別


898号 2018年4月1日

(139)安い日本酒はこうしてできる
三倍増醸造酒の生い立ち 前編

 今日は4月1日で「エイプリルフール」ですが、これから書くことは嘘でもない本当の話です。平成の米余りの時代にも関わらず、戦後の米不足の法律が生きており、半ばだまされた日本酒を飲んでいませんか? 消費者が賢くなる以外、手立てがありませんので、今回、日本酒の影の部分にスポットを当てたいと思います。

◆日本酒のアキレス腱
 日本酒の消費低迷とその打開策について、酒屋の現場で見えることを書いてみました。その文章の中で、安い酒とか三倍増醸酒(三増酒・さんぞうしゅ)が登場してきます。そのことについて触れておく必要があります。

 日本酒は何からできているでしょうか? という質問には、「米と米麹」と答えます。純米酒は正解ですが、それに「醸造アルコール、糖類、酸味料」という文字が原料名に登場してくる日本酒をご存じでしょうか。

 本来、日本酒は米と米麹だけで醸(かも)した純米酒でした。近い過去で、米に困窮した大東亜戦争(昭和16〜20年)においても、日本酒は米と米麹で造るという姿勢は崩れませんでした。戦時中で何かと米は貴重であったでしょうが、日本酒の伝統文化を守るという側面から捉えると、この判断は正しかったし、それを守った官僚は偉かったと思います。

 三倍増醸造酒が認められるのは、実は昭和23年のことでした。米不足が若干解消された時代、解消されたとはいえ、まだまだ食糧難の時代でした。この悪法を許したことが、日本酒消費を長期低迷に陥(おとしいれ)るアキレス腱となってしまいました。

◆日本酒の境界線(ボーダーライン)

 日本酒は米と米麹で造られる純米酒があります。純米酒は、添加物は全くありません。純米酒に添加物である醸造アルコール(エチルアルコール)を添加して三倍増醸造酒が登場しますが、どこまでも無限に醸造アルコールを添加できるという訳ではありません。そこには限界が決められています。

 では、どこまでが限界なのでしょうか。白米(玄米を磨き日本酒を作る原料の米)1t当たり原料アルコール(100%エチルアルコール)を720リットル未満まで添加できます。白米1t当たり、酵母による発酵で得られるアルコールは約360リットル/t。つまり、純米酒1に対して外部からその2倍量のアルコールを添加できるという訳です。純米酒1から3の酒が生まれます。だから三倍増醸造酒なのです。

 しかし、アルコールを入れ過ぎるため、酒が非常に辛くなります。焼酎に近い香味になります。それを改善というか改悪・補整するために、甘みの成分を補う「水飴(糖類)」を添加し、旨味の成分を補うために「グルタミン酸ソーダ等(酸味料・人口調味料など)」を添加して、日本酒の味に近づけるというものです。

 米不足の時代の暫定的な措置が、米余りの今日まで続き、日本酒全体のイメージを悪くしている日本酒が三倍増醸造酒なのです。

続く


906号 2018年6月3日

(140)安い日本酒はこうしてできる
三倍増醸造酒の生い立ち 後編

前回の続きです。

では一体、いくらぐらいで出来るのでしょうか?概算をしてみましょう。

【純米酒60%精米 1800mlの原価】

●原料米1俵(60kg) 15,000円 ●玄米20俵で純米酒を仕込むとします。

原料原価:15,000円×20俵=30万円

20俵=20×60kg=1200kg

60%にまで精米するとその重量は

1200s×60%=720kg

総米720kgの仕込みとなります。白米1トン当たりの、発酵によるアルコール生成量は、320リットル/tですから、総米720kgの仕込みだと、発酵から得られる純粋なアルコールは、0.72t×320リットル/t=約230リットル。アルコール度数16%の純米酒であれば、230リットル÷0.16=1438リットル =1升瓶換算で約800本の純米酒が得られます。純米酒一升瓶1本当たりの原料米の原価は、30万円÷800本=375円、純米酒1800mlの原価=375円を覚えておきましょう。

次にこの純米酒を三倍増醸造酒に加工するとします。総量1t当たり720リットルまでの醸造アルコールを添加できるので、総米720kgであれば、518リットルの純粋なアルコールを添加できます。醸造アルコールの原価は、1kl当たり16万円なので、1リットル当たりの原価は

160円/リットル。この仕込みの醸造アルコールの原価は、518リットル×160円=82,880円。

三倍増醸法で得られる酒量は、発酵によるアルコール量230リットル+添加する醸造アルコール量518リットル=748リットル。これをアルコール度数16%に換算すると748リットル÷16%=4675リットル=一升瓶換算で2597本となります。

原価は、原料米原価30万円+添加する醸造アルコールの原価82,880円=382,880円。これに糖類や酸味料の原価を加算すると約40万円となります。三倍増醸造酒一升瓶1本当たりの原価は、40万円÷2597本=154円、三倍増醸造酒

1800mlの原価=154円を覚えておきましょう。

日本酒の酒税は、清酒15度以上16度未満、1キロリットル当たり140,500円。15度を超える1度ごとに9,370円を加算となります。16%未満の清酒1本当たりの酒税は、1升瓶1本当たり253円。純米酒の原料+酒税=628円、三倍増醸造酒の原価+酒税=407円ということになります。これに、製造コストや流通マージンを加えて、三倍増醸造・清酒の一升パックで1,000円未満(税込)の製品が市場に流通することになります。この種類の日本酒が日本酒全体の半分以上を占め、日本酒全体を「美味しくない」「まずい」とイメージに染めてしまっているのが現状です。あなたはどの日本酒をチョイスしますか? 安価な酒?それとも、まっとうな酒?


910号 2018年7月1日

(141)地酒途中下車越後線小島谷駅(新潟県)
夏子の酒「清泉・亀の王」純米吟醸酒

 東西に広大に広がる越後平野。信濃川が作った広大な平野は、日本屈指の米どころです。越後平野の新潟駅から柏崎駅までの83.8kmを、大動脈の信越本線より海沿いを走るローカル線が越後線です。途中駅の小島谷駅という無人駅に下車してみました。駅の周りは一面田んぼ。この時期はカエルの大合唱が聞こえてきます。この駅のそばに今月話題の酒蔵があります。清泉(きよいずみ) 亀の王(かめのお)を醸(かも)す久須美酒造へご案内致します。

◆夏子の酒
 1988年〜1991年の間、週間モーニングで連載された尾瀬あきら著の漫画「夏子の酒」はご存じでしょうか。私はちょうど大学生で毎週楽しみにして読んでいました。
 夏子の酒のストーリーをかいつまんで話します。〜実家を継ぐ予定の夏子の兄が倒れた。東京で広告代理店に勤める夏子は知らせを受け、故郷に帰宅する。新潟で酒蔵を経営する実家は何も変わらず、兄も元気そうであった。兄は自分の夢を夏子に聞かせる。「幻の米、龍錦を栽培し、いつか日本一の酒を造りたい」と。その後、兄は他界。夏子は兄の夢を実現すべく、酒蔵に入り、稲を育て、酒を醸す。〜夏子の酒に描かれているのは伝統を守る蔵と、そのまわりに住む人々のさまざまな関わり、環境・農業・後継者問題、農村と都市の格差などなど。間接的に問題提起をしました。そして最後、龍錦を使って今までに飲んだことのない酒を完成させるという物語です。

◆夏子の酒のモチーフ・久須美酒造
 夏子の酒の幻の酒米・龍錦は実は「亀の尾」のことです。これは物語ではなく、実際に久須美酒造(清泉・亀の王醸造元)が歩んで来た物語なのです。
 1980年代、久須美記廸氏が専務時代のこと。越後杜氏の長老・河井 清杜氏から「昔飲んだ『亀の尾』で造った酒の味が忘れられない」と聞いたことがありました。新潟県農業試験場からわずか1500粒(35g程度)の種籾を入手。これを自家田で栽培。収穫にみごと成功。その酒米で造った清泉「亀の翁」という純米大吟醸を世に問うたのです。そのストーリーと酒が一躍脚光を浴び、清泉は多くのファンを造るに至りました。

◆夏酒一献 清泉「亀の王」
 清泉「亀の王」は、「亀の尾生産組合」が栽培した「亀の尾」を掛米に、麹米には兵庫県産の「山田錦」を用いて「麹蓋(こうじぶた)」による丁寧な麹造りを行い、それぞれ55%まで精米し、厳冬の時期に低温でじっくりと醸された酒です。出来上がった酒を蔵内で約3ヵ月熟成させて、弊店に6月6日にお目見えしました。

○酒のコメント…酒名のごとく、繊細で清らかな上品な香味です。ほのかにフルーティーな吟醸香があり、口に含むと同じ香りが上品に広がります。単なる淡麗というのではなく、心地よい米のほのかな旨さが絶妙です。暑い夏に、冷ややロックで飲みたい一本です。日本料理はもちろん、洋食との相性もよく、昔の酒米「亀の尾」とそれを醸した久須美酒造の凄さを感じました。

【清泉 亀の王 純米吟醸 生貯蔵酒】
原料米 麹米:山田錦  掛米:亀の尾   アルコール度数 14.0%
1800ml 2,858円(税別)   720ml 1,429円(税別)


914号 2018年7月29日

(142)夏の甲子園100回記念大会に思うこと
平和な時代をつないで行こう!

◆夏の甲子園100回の歴史
 日本の夏の風物詩となっている夏の甲子園大会が、今大会で100回目を迎えます。
 夏の甲子園大会の正式名称は、「全国高等学校野球選手権大会」といいます。第1回大会が開催されたのが、1915(大正4)年のことです。甲子園の長い歴史の中で、開催されていない年があります。
〇第4回大会・1918(大正7)年。米騒動のため。
〇第27回大会・1941(昭和16)年。日華事変の激化。
その後、翌年(1942年)から昭和20(1945)年まで、甲子園の開催がされていません。戦後、復活したのは、1946(昭和21)年の第28回大会からでした。

◆高校野球の甲子園、日本酒の品評会
 余談ですが、「全国高等学校野球選手権大会」が開催された時、まだ甲子園球場ができていませんでした。球場で大会が行われるようになったのは、1924(大正13)年・第10回からでした。
 日本酒の業界でも、この時期に全国大会が開催されるようになりました。日本酒の品質向上を目指して、大蔵省は、東京都滝野川に、醸造試験所を開設。1911(明治44)年から、隔年開催で、全国清酒品評会が開催されるようになりました。品評会出品用に、特別に吟味した米を、高度に精米して、低温でじっくり醗酵させた日本酒を、いつの日か吟醸酒と呼ぶようになりました。
 品評会で金賞を受賞すると、蔵の酒が売れることにつながり、大正時代には、全国清酒品評会が活況を呈してきました。エントリーする蔵元も、回次が進むごとに多くなりました。しかし、全国清酒品評会も、1936(昭和11)年を最後に開催されなくなりました。戦前、統制経済の下で、贅沢に吟味して醸(かも)す吟醸酒は製造できなくなったのです。

 今年も夏の甲子園が開催されます。球児たちの熱戦が楽しみです。忘れていけないことは、甲子園が開催できることも、清酒鑑評会(戦後は鑑評会に)ができることも、平和な時代が持続しているからなのです。平和な時代を、今後も守らないとならないと思うのです。


918号 2018年9月2日

(143)お月見に『得月』究極の純米大吟醸はいかが

◆お月見

♪う〜さぎ・うさぎ 何見て跳ねる… 十五夜お月様 見て跳ねる♪

 ご存じ、童謡「うさぎ」です。この童謡、誰が作詞・作曲をしたのか分かりませんが、中秋の名月の時に、母が子をおんぶして、歌う、そんな歌ですね。
 旧暦の8月15日は中秋の名月です。今年の中秋の名月の日は、9月24日(月 振替休日)です。日本人は古くから、中秋の月を愛でてきました。月の見える窓側に、ススキを花瓶にさし、三方に月見団子、栗、里芋(きぬかつぎ)、芋などをお供えします。そして、翌月の十三夜(栗名月)まで月を愛でたのでしょう。

◆得月の酒名
 『得月』は、中国の蘇鱗が詠んだ詩「近水樓台先得月(水に近き楼台は、先(ま)ず、月を得る)」に由来するそうです。
 「得月」には、水面に映った月を見るという意味を含んでいますが、広く“お月見”においてお楽しみいただけたら、という思いを込め、引用したそうです。

◆お月見用の究極の純米大吟醸酒『得月』
 『得月』の精米歩合は28%です。お米の芯だけで仕込んだ究極の純米大吟醸なのです。『久保田』を醸(かも)す朝日酒造鰍フ中で、原料米を最も白く磨いている酒が『得月』なのです。
 久保田の原料米は「五百万石」という酒米です。この米ですと35%まで磨くのが限界です。これ以上磨くとなると粉々になってしまうのです。ちなみに、久保田萬寿の精米歩合は35%。「得月」の原料米は「ゆきの精」です。母系に「越路早生」、父系に「コシヒカリ」を掛け合わせて生まれた品種です。「ゆきの精」は、「五百万石」以上に高精白が可能な米です。さらに磨き、28%まで磨きました。真珠のように真っ白な米粒。実に神秘的。これで酒を醸すとは、贅沢の極みであります。

 9月になりますと空気が乾燥し始めます。空気が澄んで、お月さまがとっても美しく見えるようになります。外に出てみても、しのぎやすく気持ちがいい。ご自宅の縁側やテラスで、『得月』を飲みながら、今年はお月見をしてみませんか?
 
朝日酒造梶@『徳月』

原料米 ゆきの精
精米歩合 28%
日本酒度 +2.0
酸  度 1.3
酵  母 金沢酵母
価  格 720ml  4370円(税別)


923号 2018年10月7日

(144)グリーン車と大吟醸

 グリーン車ってご存じでしょうか? 全国のJRの路線の中で、幹線を走る特急列車には必ず連結されている優等車両のことです。東海道新幹線には編成の中央に2両連結されています。
 グリーン車特急料金は、通常の特急料金よりも割高ですが、シートピッチが広く、附帯するサービスもぜいたくです。通路はじゅうたんが張られ、車内空間もかなりリッチな感じがします。1969年(昭和44年)以前は、グリーン車よりももっとぜいたくな車両が存在していました。1等車、2等車、3等車と分かれていました。

1等車⇒「イ」 車体帯の色「白」
2等車⇒「ロ」 車体帯の色「青」
3等車⇒「ハ」 車体帯の色「赤」

 1等車からイロハ…の順番でした。1等車はグリーン車以上にぜいたくな内装になっていたようです。今のグリーン車は実は、昔の2等車です。車体番号に「ロ」の字が表記されているものがグリーン車です。「ハ」の字が標記されているのが普通車です。余談ですが、JR九州が運行しているクルーズトレイン「ななつ星」は「イ」車で、久々に1等車が復活したことになります。

◆日本酒のグリーン車「大吟醸」
 焼酎と違い日本酒には等級が存在します。平成4年まで日本酒には「特級」「一級」「二級」と級別がありました。現在、級別制度は廃止になり、代わって日本酒の品質によって酒を選ぶ時代になりました。
 「普通酒」「本醸造」「純米酒」「(純米)吟醸酒」「(純米)大吟醸」のように、使用するお米の原料をどれだけ磨く(精白)するかでランクが分かれます。「本醸造」や「純米酒」は精米歩合70%以下、「吟醸」は60%以下、「大吟醸」は50%以下です。原料米を磨けば、このような特定名称を表示できるのです。が、ここで問題なのが、会社(蔵元)によって、基準が違うということです。
 真摯(しんし)な蔵元ならば、お米を精米した上で、出来上がった酒の香味が、その特定名称にかなったものになっているかどうかで判断します。しかし、悪徳とまでは言いませんが、あまり良心的でない蔵元は、お米を磨いたということで、特定名称を標記します。
 弊店にこんな声がよく来ます。
 「あのお店で、お手頃価格で大吟醸があったので買ったのだが、美味しくなかった…」大吟醸の標記も自主基準。蔵元の良心で表示が決まります。開栓しないと香味が分かりませんので、良心的な蔵元のお酒を、選んでくれるかどうかは酒屋の腕の見せどころです。弊店にはお手頃価格でグリーン車クラスの酒があります。
 10月1日は、日本酒の日でした。これから熟成したお酒が美味しくなる季節を迎えます。あなたにお好みの日本酒をお見立ていたします。


927号 2018年11月4日

(145)おめでとう!「泰斗(たいと)」
純米吟醸蔵マスター2018 金賞受賞

◆おめでとう、熊本の銘酒「泰斗」
 「泰斗」については、過去に紹介しましたので、詳細は省きます。熊本限定の地酒で、製造元は山鹿市の千代の園酒造で、1995年の発売以来、23年が経過した現在では熊本を代表する品質のよい地酒として評価されています。
 このたび、嬉しいニュースが舞い込んできましたので、それをご紹介するとともに、千代の園酒造の歴史をご紹介したいと思います。
 昨年からフランス人トップソムリエ58名による日本酒コンクールが始まり、審査委員長はホテルクリオンのシェフソムリエのグザビエ・チュイザ氏。ソムリエでありながらシェフである彼は、常に食事の中の日本酒を意識して品質を厳しく見極めると言われています。第2回目の今年、全国の銘酒650銘柄の中から、熊本の「泰斗」純米吟醸酒が、見事、金賞を受賞することになりました。飲み飽きのこない、香味のバランスがとれた食中酒として、フランスの一流のソムリエたちから高く評価されました。たいへん喜ばしいことです。

 

◆銘酒は一年にしてならず
 山鹿が今以上に栄えていた時代、「泰斗」醸造元・千代の園酒造は産声を上げました。創業は明治29年(1896年)。菊池平野で収穫する肥後米はいったん山鹿で集積され、遠く大阪へ海路または陸路で運ばれました。当時、熊本米の価格が全国の米相場を動かすほど力があり、山鹿の穀物商・本田家(蔵元)も米から酒に加工をと思いつき、酒蔵を始めました。
 昭和9年、初代・喜久八が他界し、2代目当主・本田勝太郎(現会長の父)が就任しています。戦前の品評会は隔年の開催。第12回大会(昭和5年)から第16回大会(昭和13年)にかけて4度の優等賞を受賞しました。もし、喜久八が吟醸酒を作っていたならば、間違いなく第14回大会(昭和9年)も優等賞を受賞したでしょう。連続3回優等賞を受賞した時は、その栄誉をたたえ「名誉賞」となりました。第14回大会が悔やまれます。
 第16回大会(昭和13年)を最後に、戦前に品評会は開催されていません。戦後、純米酒の普及、吟醸酒の市販化と、未来志向・品質志向の日本酒を醸造してきた千代の園酒造。100余年の研鑽を積み重ねた結果が、フランスのソムリエたちを酒質で魅了したのだと思います。銘酒は一年にして生まれるものではありません。しっかりした長年の研鑽の礎に生まれるのです。ですから、皆さまに広く、日本の伝統や文化が育んだ日本酒を飲んでもらいたいのです。
 晩秋のこの時期、熊本の地酒「泰斗」を飲んでみませんか? 「泰斗」は、世界に誇れる熊本の地酒です。Sante=仏語サンテ=乾杯。

 

【泰斗 純米吟醸】
原料米:熊本県産山田錦  精米歩合:55%  日本酒度:+5.0
酸度:1.5ml  度数:16.5%  酵母:熊本酵母
価格:1800ml/3000円(税別) 720ml/1500円(税別)


931号 2018年12月2日

(146)分かりやすい日本酒の世界@
日本酒の味の秘密と豆腐で一献

◆なんといっても日本酒が一番
 世界中の酒類の中で、最も繊細な美酒といわれている日本酒。私は大学で醸造学を専攻したこともありますが、「こんな不思議な酒を、よくも造ったものだなぁ〜」と感心するぐらい日本酒が大好きです。身近にありすぎて、日本人が意外と知らない日本酒の話題を分かりやすく解説したいと思います。
 

◆ふくよかな米の味を表現
 日本酒の原料は何ですか? みなさん即答できると思います。そう、「お米」です。厳密にいうと、私たちが普段食べているお米は、食用米といい、日本酒を造るために適しているお米を酒米と区別します。だけど、お米には変わりはありません。原料のお米に、麹菌と日本酒酵母を加えて発酵させた液体を、濾したものが、日本酒です。ですから、味の大半は原料となるお米に由来するのです。
 そして、「甘口、辛口」という日本酒の味を左右する糖分も、原料となるお米から由来しています。お米は、主にデンプンでできています。麹菌の作り出すアミラーゼという糖化酵素の働きで、デンプンはグルコースという甘い糖に分解されます。ちなみに、日本酒には2〜5%のグルコースが含まれています。コカ・コーラーの1/6程度の濃度です。
 

◆日本酒の味を決める4本柱
 ご存じの方もいるかもしれませんが、日本酒の味は昆布の旨みのグルタミン酸、貝の旨みのコハク酸、グルコースの甘味、辛味のアルコール。これら4つが相互作用で複雑に絡み合い、日本酒の味を決めています。日本酒の味に地域性があるのは、そのバランスが地域や風土によって異なっているからです。
 糖と酸で、甘・辛と濃さを表現します。苦渋成分は味の濃さを表現します。グルタミン酸やさまざまなアミノ酸が味の奥行を表現します。
 

◆宇野功一おススメの肴(さかな)は湯豆腐
 木枯らしが吹く季節がやってきました。なんといっても冬の日本酒の肴には「豆腐」が一番だと思います。簡単だし、お財布にも優しいし、健康的な食べ物だし、日本酒の熱燗にぴったりですね。
 大豆は「畑のお肉」と言われていますが、国産大豆は国内流通量のわずか4%のシェアしかありません。その中で、国産大豆、それも熊本県あさぎり町産「フクユタカ」という品種の大豆だけで作った大島屋(菊陽町原水)和吉の豆腐「匠」をおススメします。濃厚な豆乳で仕込んでいますので、豆腐も濃厚です。まるでチーズを思わせるクリーミーさがあります。豆腐は容器に水が入れてありますが、「匠」は仕込みに使う濃厚な豆乳が入っています。ちょっとぜいたくなお豆腐を湯豆腐にして、ちょっとぜいたくな吟醸酒をご家庭で楽しんでみませんか?

大島屋「匠」 価 格 1丁300円(税込み)


935号 2019年1月1日

(147)日本酒新時代 泡のある日本酒
出羽桜 AWA SAKE 発売

◆日本酒新時代 泡のある日本酒
 泡が出る酒といえば、フランスのシャンパーニュ地方で生産されるシャンパンが有名です。シャンパンは盲目の修道僧ドン・ペリニヨンによって生み出されました。白ワインを瓶詰めした後、少量の補糖をして酵母を入れ、コルク栓をします。すると瓶内で再び発酵が始まります。アルコールと炭酸ガスが生まれますが、コルク栓をしてあるため、炭酸ガスは水に溶け込み、泡の出るシャンパンになります。
 泡の出るシャンパンは高貴なイメージがあり、世界中の女性を魅了してきました。日本酒でも、泡が出る日本酒の開発が進んできました。平成から新しい時代にふさわしい日本酒の世界を新年号でご紹介します。

◆泡に魅了されて昭和、平成、そして新時代へ
 平成30年12月15日、「出羽桜 AWA SAKE」が、全国限定600本で発売されました。この酒は、AWA酒協会が定める厳格な基準のもとで製造された次世代の出羽桜。美しい一筋泡が立ち上がる、クリアなスパークリング日本酒です。シャンパンと同じように、瓶内二次発酵による自然の炭酸ガスを閉じ込めることが実現でき、きめ細やかな泡が心地よい口当たりを演出してくれます。
 門外不出の吟醸酒を、手ごろ価格で商品化して、いち早く吟醸市場を先駆的に作り上げた山形県天童市の出羽桜酒造。吟醸酒の次に開発を進めていたのが、日本酒版シャンパン=泡のある日本酒の開発でした。
 極秘に研究開発をしていた平成8年2月に、私が出羽桜酒造に訪問をして、この開発のことを知りました。当時、市販化されていない「微発砲 出羽桜 純米大吟醸」のことを、私は下記のようにメモしていました。
  “(研究開発中の微発砲 出羽桜 平成8年2月) 日本酒業界でこれまで「にごり」や「澱(おり)」が絡んだ発砲性の酒はあった。この酒はにごりも澱もない発砲性の純米大吟醸。
 泡を閉じ込めたまま瓶詰めするというのは簡単ではない。これまで10年間に及ぶ試行錯誤が繰り返されているが、市販化には至っていない。だから、この酒は知る人ぞ知る幻の酒なのだ。製造過程は公表されておらず、圧力をかけたタンクの中で発酵させ、炭酸が抜けないように濾過、瓶詰めしたようだ”

 昭和、平成、そして新元号の時代と、脈々と新しい日本酒の開発が行われました。優雅に泡が出る日本酒がついに完成されました。平成最後のお正月、そして、新しい元号が生まれる時代の節目に、「出羽桜 AWA SAKE」で乾杯してみてはいかがでしょうか。

【出羽桜 AWA SAKE】
原料米:山形産 でわさんさん出羽燦々   度数:13.5%  酵母:山形酵母
価格:箱なし 720ml・4500円(税別)/箱あり 720ml・5000円(税別)


939号 2019年2月3日

(148)分かりやすい日本酒の世界A
日本酒の影の主役 麹カビについて

◆日本酒の影の主役 麹カビ
 皆さまに問題です。   「お酒はどんな飲み物ですか?」

 これはすぐに答えることができると思います。
「液体の中に、アルコール(エチルアルコール)が入ったもの」と・・・。

 日本では、酒税法によって、酒類とはアルコール分1度(1%)以上の飲料との規定があります。

 では次の問題です。  「どのようにしてアルコールを作りますか?」

 少し考えてしまうと思います。
 簡単にいうと、酵母菌が呼吸をすることで、糖分をアルコールと二酸化炭素に分解する反応なのです。これをアルコール発酵といいます。

 ブドウを利用してワインを造る場合は、ブドウジュースには糖分が入っていますので、簡単にアルコール発酵が始まります。
 ビールは、麦のままでは発酵しません。
 麦に水を含ませて、麦芽にします。麦芽には糖分が含まれますのでアルコール発酵します。
 日本酒は、米を原料とします。米はデンプンで出来ていますのでこのままではアルコール発酵しません。
 米のデンプンを糖分にする影の主役が「麹カビ」なのです。日本酒のみならず、焼酎、味噌、醤油も麹カビを利用しています。日本の食文化全体を支えているのが麹カビと言えると思います。
 日本酒を造る時に用いられる麹カビをアスペルギルス・オリゼーといいます。この麹カビは、デンプンに付着すると、アミラーゼという「糖化酵素」を作り出してくれます。また、麹カビは糖化酵素だけでなく、若干のプロテアーゼ(タンパク質をアミノ酸に分解する酵素)も作り出してくれます。この微量なアミノ酸が、日本酒の旨み・コク、ふくらみ、苦み、味わいの奥行を作り出すのです。
 味だけにとどまりません。麹カビが作り出すアミノ酸が、酵母菌に取り込まれて、日本酒に含まれる香りの成分をも作り出しているのです。私たちのご先祖の方々は、経験的に麹カビを上手に利用して、酵母菌を使って、おいしい日本酒やおいしい焼酎、そして、日本を代表する調味料である味噌や醤油を作ってきたのです。
 あまりにも身近な存在で、しかも目に見えない存在なので、意外と日本の食文化の原点を知らない日本人がいかに多いことか…。
 知っておかないと、チコちゃんに叱られますよ。
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」ってね。


943号 2019年3月3日

(149)日本最北端の酒蔵  国稀(くにまれ)酒蔵訪問記 その1

◆留萌本線 留萌駅下車
 本来ならば九州から鉄道を乗り継いで渡道を試みたいところでしたが、週末を利用して北海道を巡るとなると、飛行機を使わざるをえませんでした。
 2月10日(日)、札幌から旭川の手前に、深川という駅があります。深川から日本海の港町の留萌まで伸びる全長50.1qのローカル線・留萌本線に家族4人で乗り込みました。2両編成のディーゼルカーは、定刻の午前11時10分に深川駅を出発。一面真っ白の石狩平野から小高い山を登り始めました。峠下駅から下り勾配となり、およそ1時間で、12時7分に留萌駅に到着。

   

 昭和62年3月に訪問して以来、32年ぶりの留萌駅訪問。当時は留萌が終着駅ではなく、そこから増毛駅と日本海沿いを北上する羽幌線が伸びていましたが、廃止となり、駅前もすっかり寂しくなってしまいました。ここからバスで約30分、旧増毛駅へ。2年前に留萌〜増毛間が廃止となり、バスが唯一の交通手段となってしまいました。13時9分、旧留萌駅前に降り立つと、日本海側から突風で、雪が体に勢いよく当たり、吹雪の歓迎を受けました。このバス停から徒歩で350m、国稀(くにまれ)酒造へ。駅前の商店街なのですが、冬季営業するお店はなく、ただただ雪がふぶいている人気のない街でした。気温は−15℃で今年一番の寒気も歓迎してくれました。

■日本最北端の酒蔵「国稀(くにまれ)」
 熊本から2300q。日本酒を醸造している最北端の酒蔵が國稀(くにまれ)酒造です。  
 江戸時代、北海道には酒蔵が存在していませんでした。明治になり、北海道開発が行われ、酒蔵がぽつぽつと産声を上げました。北海道内で日本酒を造る蔵は15社。面積の割に酒蔵がないのはそのためです。
 木造2階建ての風格のある建物。蔵の中は、外のふぶいているところと違いあたたかく感じました。「いらっしゃいませ」と國稀酒造・佐藤敏明さんが出迎えてくれました。長年、酒蔵に仕えて、番頭さんのような存在です。「今日は、札幌ゆきまつりの会場へ、社員総出で出張していますので、私が案内をします」とのことでした。玄関があり、帳場があり、奥に通路が伸びて、その奥に土蔵の酒蔵をこしらえた、日本海沿いの酒蔵に共通する様式の建物でありました。帳場から女性の事務員さんが、酒粕をお湯で溶いて温めた甘酒を出してくれました。
 吹雪で冷えた体を、体の中から温めてくれる甘酒のおもてなしはとても嬉しく、そしておいしかったです。
 厳冬の最北端の酒蔵訪問記、次に続きます。


948号 2019年4月7日

(150)日本最北端の酒蔵  国稀(くにまれ)酒造訪問記 その2

◆日本海沿いに栄えた日本酒蔵 日本酒文化、北へ北へ…

 北海道の歴史について簡単に書きます。北海道はもともとアイヌ民族の大地でした。江戸時代になり、北前船で本州との物流が盛んになり、北海道からは昆布や鮭が本州に送られ、北海道にはさまざまな生活物資が入ってきました。北海道には日本酒をつくる酒蔵もありませんし、お米をつくる田んぼもありませんでした。
 北海道で日本酒がつくられるようになったのは、明治維新後です。
 國稀酒造の本間家は、もともと新潟佐渡で仕立て屋を営んでいました。幕末・嘉永3(1849)年、本間家三男として生まれた本間泰蔵は、ニシン漁でにぎわう北海道増毛の地にたびたび訪れ、商いを始めます。明治8(1875)年に増毛に移り住み、呉服屋を創業したそうです。泰蔵25歳でした。
 明治8年と言いますと、佐賀県で江藤新平らの佐賀の乱が勃発した年であります。江戸時代の武士階級の方々が新政府の政治に不満を持ち政情不安定な頃です。この年5月7日に、駐露特命全権公使・榎本武揚がロシアのサンクトペテルブルグ(当時の首都)において、千島・樺太交換条約を結び、ロシアと日本の国境線が確定した年です。その中で、択捉・国後・歯舞・色丹は北海道付属の島と提起。本来ならば、樺太と千島列島を交換したのですから、カムチャツカ半島の占守(しゅむしゅ)島までが日本だと言いたいのですが…。
 北海道には日本酒がありませんから、本州から日本酒を船で運ばねばなりません。年々、ニシン漁は栄え、本州から移住する日本人でにぎわいを増します。泰蔵は明治15(1882)年に日本酒をつくることを決意。呉服問屋の敷地内に、小さな酒蔵を建て「丸一本間」の銘柄で細々と日本酒づくりを開始します。本間家はもともと新潟佐渡の出であり、佐渡流儀の酒づくりを模倣して創業をスタートしたといいます。
 ニシン漁はさらに活況を呈します。ニシンの漁民だけでなく、さまざまな商品を商う商人、北前船で物流を担う海運業者等で、丸一本間の酒は足りなくなります。創業から20年後の明治35(1902)年に、現在の酒蔵が完成して、増産体制で日本酒づくりを再スタートしました。この建物は日本海沿いの酒蔵に多くみられる建築様式です。お店が街道沿いにあり、帳場の奥に蔵元の居住屋敷があり、帳場から奥に通路が走り、奥には日本酒を仕込む酒蔵がある、といった間取りを踏襲しており、まさに日本海沿いの酒蔵建築様式です。次回につづきます。

追伸:平成時代の原稿はこれが最後。次回からは『令和』。なんだか感慨深いものがありますね。

 

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