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三里木区 たわらや酒店 宇野功一A
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435号 2008年11月2日
(31)歳時記・日本の米づくりE 米の検査と糖米
◆ 米の検査
9月28日に収穫した酒米「神力」は、脱穀といってモミと原米に分けます。収穫したばかりの原米は水分量が多いので、天日に干したり、最近では乾燥機を使って適度な水分量になるように乾かします。そして、粒を選り分けます。今では機械を使いますが、機械の中には網があり、網をふるって、未熟な米と整粒を選り分けるのです。
ここまでは、私たちが口にする食用米とまったく同じです。酒を造るための米は「酒米」=「醸造用玄米」といいます。大粒で米の中心部に心白があり、蛋白質の含有量が少ないといった特徴があります。麹菌が繁殖しやすく、醪(もろみ)によく溶け、アルコールの醗酵が順調に進みやすいため、酒造業界では「酒造好適米」と呼んでいます。「山田錦」「五百万石」「美山錦」「雄町」などが代表的な品種です。
米の検査は11月12日に行われました。食糧事務所などで農産物検査官が全ての酒米の袋から任意にサンプリングします。肉眼鑑定や計測によって「特上(特A)」「特」「1等」「2等」「3等」「規格外」が決定されます。規格外を除き、等級を示す印を袋に打たれます。特定名称をめざす酒は、「3等」以上でなければなりません。今年の神力は全量が「2等」でした。平成7年から栽培している「神力」ですが、全量2等だったのは初めて。私にとりましてとても嬉しいことでした。ちなみに「等級外」は「普通酒」にしかなりません。
◆ 精米「お米を磨く」
12月2日、検査を終えた「神力」の原米は、山鹿市の千代の園酒造へ納入しました。いよいよ酒づくりがスタートします。酒づくりの第一歩は「精米」です。酒づくりでは精米することを「磨く」と表現します。米が割れないように、少しずつ磨いていきます。摩擦により米の温度が上がらないよう、時間をかけて丁寧に磨いていきます。農家の方々の汗と涙の結晶が「神力」の一粒一粒であります。大切な原料米ですので、醸造元・千代の園酒造では精米を醸造元で行う「自家精米」(注1)でやっています。「神力」は「山田錦」などの酒米に比較するとやや硬質です。精米するのにはたいへん気を使うそうです。昼夜連続3日がかりで、精米歩合44%まで磨いていきます。
米の芯の部分の44%だけが酒づくりの原料となり、もったいないことですが、外側の56%は「米糠」となって酒づくりの原料にはならないのです。外側の糠の部分は、美味しい酒にするのにふさわしくない成分が多く含まれているため、たいへんもったいないことですが、米の芯だけで「神力」は酒にしていくのです。
12月中旬よりいよいよ酒づくりがスタートします。次回以降は神力の酒づくりの様子をお伝えします。ご期待ください。
(注1)醸造元で精米しない場合もあります。精米所に委託して精米することを「委託精米」といいます。 |
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444号 2009年1月1日
(32)歳時記・日本の米づくりF 酒を仕込む
◆ 麹づくり
「一麹(いちこうじ)、二酒母(にしゅぼ)、三(さん)造(つく)り」と言われるほど、酒質に一番の影響を与えるのが麹のでき具合です。よい麹を造ることができれば酒づくりは大方成功と言えるのです。よい麹を造るために、精米、洗米、蒸しがどれだけうまく言っているかどうかが関わってきます。「神力」の麹はすべて手作り麹です。
蒸した米のあら熱をとります。米の品温が40℃程度になったら麹室へ米を移動。麹室は乾燥した室温30℃の部屋で、通気のよい仕切った部屋です。ここでおよそ2日間かけて麹米が造られます。目的とする酒質によって使用する麹菌が違います。
麹菌のことを蔵人は「もやし」と呼んでいます。まず、床で種切作業をします。「もやし」(種麹)を篩(ふるい)に入れます。篩を使って、米の表面に麹菌が均等になるようにふりかけます。薄くかつ均等にふりかけることがポイントです。1日後、麹米は約1.5sづつ木製の「もろぶた」に移され、ひとつひとつ手入れ作業を行います。深夜の作業もあります。
遺ソを使って麹菌を撒く様子
奄烽ぶたに1.5kgずつ盛る様子
◆ 酒母(しゅぼ)づくり
醗酵のスタートのことです。仕込み総量の10%弱のスケールですが、この酒母が親となって、あとの酒質を決定する重要な役目を果たします。酒母を平たく言えば、少しの量の酒を仕込む作業です。本仕込みと違って段仕込みではありませんが、溶液中に健全な酵母を培養することが目的です。
神力は「熊本県酒造研究所」(香露の酒蔵)で分離された「熊本酵母KA4号」を使用しています。この酵母は香が上品で、新酒の時には華やかな香がたち、熟成させるとしっとりと落ち着きのある香味を与えてくれる吟醸用の優れた酵母です。全国的に有名な酵母です。日本酒の6割の酒は香露の酵母を使用しています。酒母の溶液中1ml中に、なんと2億個の酵母が存在します。
酒母にもいろんな工法があります。神力は「高温糖化酒母」で仕込みます。57℃の温度で麹米と蒸米を入れ、いっきに糖化を行ないます。神力の「甘酒」を造ります。高温にすることにより雑菌が淘汰されます。温度をいっきに下げた後に、熊本酵母を添加します。冬の時期、温暖な九州の蔵ではこの工法で酒母を造るのが一般的です。約1週間で酒母が完成します。
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447号 2009年2月1日
(33)歳時記・日本の米づくりG 酒を絞る
◆ 醪(もろみ)
前月でお話しました「酒母(酒の種)」に「麹米」と「蒸米」を3回に分けて加える「三段仕込み」によって並行複醗酵をさせる工程です。
モロミの中では、「麹菌」が造った「アミラーゼ(糖化酵素)」によって、米のデンプン質が少しずつ糖分に変わり、糖化された糖分を「酒酵母」が取り込んで、アルコールに変えます。糖化とアルコール発酵が同時に行われているので「並行複発酵」といいます。
これは、世界の酒類の中で、日本酒の独特の製法で、世界のどの醸造酒よりもアルコール度数が高くなります。
モロミの温度の管理がおいしい酒を造る時に大切なポイントとなってきます。杜氏たちの腕のみせどころです。モロミの初期にはゆっくり温度を上げてゆき、後半に温度を下げるのです。それでもお酒のモロミの最高温度は13℃程度で酵母は寒い環境な中で必死に生きようとします。温度が高ければ、酵母はどんどんアルコールを生成して醗酵がすぐに終わります。温度が低い環境ではゆっくりゆっくり醗酵し、アルコールの他に有機酸(うま味の成分)や高級脂肪酸(芳醇さまろやかさの成分)エステル類(香気成分)を生成し、吟醸酒特有の芳しい香味を作り出してくれます。米から産まれた香とは思えないフルーティーな香気は酵母が作り出してくれます。
蔵人はもろみの温度をチェックすると共に、表面の泡の状態を観察します。「状貌を見る」といい、筋泡、水泡、岩泡、高泡、落泡、玉泡、地などと表現します。
発酵させる期間をモロミ日数といいます。温暖な地域のモロミ日数は短くなる傾向にあり、寒冷な地域のモロミ日数は長くなる傾向にあります。モロミ日数は20〜40日程度です。神力は25〜28日のモロミ日数で、酒を搾ります。
◆ 上槽(じょうそう)=お酒をしぼる
モロミを「酒 (液体)」と「酒粕(固体)」に分離する工程のことで、どれぐらい醗酵させてから搾るかが最も重要です。酵母の働きは「糖分」を「アルコール」に変えますから、時間が経つにつれ、酒はだんだん辛くなる傾向にあります。が、酒は辛いから旨いのではなくて、あくまでバランスですので、どのタイミングがその酒にとって一番最良なのかを経験的に身に付けた杜氏が最終的に判断し、お酒を搾り、醗酵を終了させるのです。毎年のことですが上槽の作業は子どもが生まれる出産日の気持ちになります。夜中に電話で「明日、早朝に上槽します」と連絡があることもあります。生まれてくる酒はどんな酒だろうか、期待と不安がいっぱいです。
「神力」は機械を使うことなく、酒袋にモロミを入れ、その袋からほとばしる酒を製品にしています。どこかの製薬会社の化粧品のように「ポトリ、ポトリ」と落ちてくる雫。なんとも贅沢な香味の酒が出来上がった瞬間です。
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451号 2009年3月1日
(34)ワンカップから見た日本再生論
◆ 時刻表・駅弁・ワンカップ
春になりました。時刻表を片手にぶらりと「旅」に出るのもいいですね。お供は、もちろん「駅弁」と「ワンカップ」。最近では「駅弁」も各地でユニークなものが登場していますね。訪れた街で、ご当地の名物のものが「駅弁」に盛り込まれていて、選ぶのに悩むことが多いです。また、ご当地の地酒のワンカップを選ぶのも、大人の鉄旅(鉄道旅行)の楽しみの一つではないでしょうか。
◆ ワンカップ登場
お馴染み「ワンカップ」ですが、主に日本酒の一合瓶を指すものです。ワンカップは実は、灘の大手メーカー「大関」の商標です。勿論、ワンカップを世に出したのは「大関」です。登場は1964年(昭和39年)10月10日。折しも、東京オリンピック開催の日です。日本酒に「ワンカップ」という、日本的英語の商品名のインパクト、携帯性に優れ、中身はそこそこの美酒ということで、瞬く間に全国に広まりました。
◆ 新幹線の普及でブルートレイン全滅
ワンカップが発売した年に、新幹線が開業するというのも歴史のおもしろさです。ワンカップが似合うロケーションは在来線。九州新幹線には、車内販売どころか、自動販売機でもビールを含め一切の酒類を売っていません。すぐに着くから飲むなとお客に言っているようでもあります。
1958年(昭和33年)に20系寝台車が颯爽と登場しました。深い青い車体、窓の下に一つ字の白い帯。いつしか、鉄道ファンの間でブルートレインのニックネームがつきました。3月13日を最後に、半世紀にわたるブルートレインが全廃となります。最盛期には九州から本州へ向かうブルートレインは「さくら」「みずほ」などがありました。最後まで残った「はやぶさ」と「富士」も3月13日を最後に引退となります。これも時代なんでしょうか。
◆ 日本型社会の再形成
人は移動をする手段として乗り物が必要です。ビジネスマンには安価で所要時間が短い交通手段が便利です。旅をする人には快適に過ごせる交通手段が最も思い出に残るものになると思います。そこには食べ物(駅弁など)や飲み物(酒やジュースなど)があり、その土地その地域で育まれた伝統の味があります。それがぎっしりと詰まったものが駅弁や地酒に現れます。百年に一度の不況の中で、日本経済の脆さが露呈し、外需依存の割合の高さが問題と指摘する声もあります。内需拡大政策の典型は、旅行や外食を含めた「レジャー」です。例えば、ブルートレインに客が乗らないから廃止するのではなくて、価格が高くても「オリエント急行」や「トワイライトエクスプレス」のように「ゆとり」の時間を演出してくれる空間を提供すべきです。
バブルの時代と違い、本当に価値のある物を生み出すさなぎ(停滞)の時期。きっと、日本文化が、蝶のように、再びはばたく日をみんなで創造したいと思います。
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456号 2009年4月5日
(35)旬酒 春に美味しい酒
◆ 早春は日本酒蔵に美酒あり
先日、夜行列車に乗って愛知県南部にある「義侠」醸造元・山忠本家酒造を訪問した。毎年3月上旬に今年出来上がった酒を利くことができる。私がこの酒蔵のきき酒会に参加したのは23歳の時。今年で17回目になる。杜氏も代わったし、昨年から社長のご子息が酒づくりに加わる。同じラベルの酒でも、造り手が代わり、香味もそれなりに変わってきた。進化したと言っても過言ではない。
私がこの蔵へ、毎年通うのにも意味がある。山忠本家酒造・山田明洋社長は「酒づくりは米づくりから」の信念のもと、昭和50年代から兵庫県東条地区の酒米農家をたずね、ともに酒米の王者「山田錦」の栽培に取り組んでいる。そして、この日、昨年秋から今年の春先にかけて仕込んだ新酒をタンクごとにきき酒することができる。今年の特上の酒米・山田錦で仕込んだ日本酒の香味の傾向を探ることができるのだ。
◆ 酒を利く
酒を飲むことと、酒を利くことは大きく違う。利き酒では、口に酒を含むのだが、吐き器に吐き出す。もったいないことだが、仕方がない。連続で、数十点いや多い時には200点もの酒を瞬時に利き分ける。酒を白磁の利き猪口(ちょこ)に注ぐ。利き猪口の底には青帯の蛇の目の模様があしらってあり、お酒の「色」や「てり」、「清いか濁りか」を確かめる。次に猪口を鼻に近づける。その酒が持つ「立ち香」をかぐ。花や草、鉱物など、瞬時に浮かぶインスピレーション。その酒の放つ香りを言葉で表現してみる。そして、その酒を口に含む。およそ30ml程度。酒を舌の上で転がすと香りが口いっぱいに広がる。これを「口中香」とか「含み香」という。初めに香った香りと、口の中に入れたときの香りが同じか、強いか、弱いかを比較する。酒を含んで心地よいかをチェックする。
余談だが、私は酒屋であるから、次のようなこともチェックする。「たくさん飲める酒か、少しだけ飲むのが楽しい酒か」「1升瓶ならいくらで売れるか(値踏み)」。自分が値踏みした金額よりも、小売価格が安ければこれは買いの酒となるし、逆に高ければ酒を仕入れることを見合わせるといった具合。利き酒は、酒蔵にとっても、酒屋にとってもまさに真剣勝負なのだ。
◆ 飲み頃はいつ?
ワインと同じように日本酒にも飲み頃の時期がある。今年できた新酒の生酒は、日本酒のヌーボーといったところだ。今美味しい酒もあれば、秋まで熟成させて美味しくなる酒もある。新酒のこの時期に、いつ飲みごろを迎えるか五感を使ってチェックする。
大きなメーカーであれば、常に飲み頃の時期の日本酒を瓶詰めしているため、酒屋がチェックすることはない。小さな地酒メーカーであればこそ、酒屋のとぎすまされた官能がものをいう。また、タンクごとに香味が違うのも飲み分ける日本酒ファンには堪らない魅力なのだ。
今年の酒は、全般的に綺麗な酒が多い。飲み頃も春先から楽しめるものも多かった。義侠らしく芳醇にして上品な香りと、膨らみのある酒だ。第一陣として入荷した分はすでに完売。4月には第二陣の「火入れ酒」が入荷する。入荷が待ち遠しい。
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460号 2009年5月3日
(36)ブランド回復の一手は
酒類、特に熊本県産ブランドの日本酒が大きく信頼を失った事件が起こった。おもしろ小話というお題目であるので、本来ならば、ためになる、おいしい話題を伝えたいと思っている。が、本当のことを、私の知る限りお伝えすることで、すこしでも、飲み手(消費者)の不安が解消されればと思い書くことを決断した。
昨年10月号(VOL29)「安心安全な日本酒・焼酎」というお題目で、安い酒にはわけがあることを皆様に伝えた。これと重なるところもあるが、安心安全は食品に限らず、さまざまな業界でベースとなることで、その上に「美味しさ」だったり「文化」だったりと、メーカー独自の独創性が造られるものであると思う。
◆ その手があったか
九州の大手酒造会社B社は昨秋、汚染米を購入(知らずに押し付けられたと答弁)したとして話題になった。4月1日未明のNHKラジオニュースによると、B社は酒造好適米の精米を三笠フーズに委託し、安価米を引き取り差額を裏金として受け取っていたという。
「へぇーっ、そんな手もあったのか!」と眠気が覚めた。「一本一本に感謝を込めて・・・」というのは何に感謝を込めていたのだろうか?食品偽装が取りざたされた昨今、酒類業界は偽装がしにくいと思っていたが、そんな手があったかと正直思った。 原料米の差し換えで裏金を受け取ったということで法人税法違反だけで済む話であるが、これでは済まない。それどころか、熊本県産酒全体の信頼が揺らぐ事件に発展しかねない。
◆ ブランド回復の一手
ワインの業界で進んでいる「原産地呼称制度」というものがある。行政など第三者が、酒類の原料となる農産物の品種や品質を定め(保証)その原料を使って、ある一定基準以上の味わいの商品を、原産地呼称品として認定書を発行する制度だ。認定された商品には、認定のシールやマークがラベルにあしらわれている。消費者はこのマークがあるのを見て、安心して商品を購入することができる。
原産地呼称のついた酒が全国では「長野県」「新潟県」「佐賀県」「山形県」「石川県(白山市)」など、焼酎では「鹿児島県」と「球磨」が発売されている。
熊本県産の日本酒のブランド回復の一手として、すぐにでも取り組む一手であると思う。
私は熊本の酒推進委員会加盟の酒屋として、消費者に正しく、美味しく、安全で安心な熊本ブランドの構築に一肌ぬぐ覚悟だ。どうか、郷土熊本の酒の復活を見守って欲しいし、晩酌には安心安全な県産酒を飲んでもらいたい。
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464号 2009年6月7日
(37)菊陽の地酒誕生 〜にんじん焼酎 酔紅〜
◆ 街には街の酒がある
私は旅が大好き。旅の醍醐味はなんといっても、風光明媚な眺めに出会うこと、人と出会うこと、そしてご当地の郷土料理と地酒と出会うこと。それぞれの街にはそれぞれの風土で育まれた料理と酒がある。 菊陽町には戦前までは酒蔵があったようだが、私が記憶する限り酒はない。だったら造ろうじゃないか!!と言い出したのは松永政秋副町長。平成19年秋だった。
◆ 菊陽特産のにんじんによる酒づくり
みなさんご存知のように、菊陽はにんじんの産地として名高い。国からも県からも奨励品種(質・量)としてお墨付きをいただいている。にんじんを利用してさまざまな加工品が考えられた。私には「酒」に加工できないかという相談を菊陽町商工振興課からいただいた。にんじんを利用した焼酎は、他県で試みられているが、熊本県内で取り組むのは初めてのこと。即答をする自信が無かった。
平成20年正月、人吉市にある深野酒造本店に、菊陽産にんじんを使った焼酎づくりの試作を行った。にんじんは意外とアクが多い。発酵途中、アクがモロミの表面に出てくる。最初の仕込はにんじんの量を少なくして仕込んだ。出来上がった酒は、にんじんの風味があり、半年ほど熟成させたら味わいは上々。 これならいける!平成20年秋には、にんじんの量を多くしたり、芋を加えたりして、3種類の試作醸造がスタートした。
◆ オール菊陽産 6月10日より発売
にんじん焼酎の名前は公募によって「酔紅(よいべに)」と決まった。応募は200点ぐらい寄せられた。ラベルを巨人の星の作者である川崎のぼる先生(菊陽町在住)が作ってくれた。ネーミング、ラベル、原料すべてが菊陽産。
6月10日より、4種類の試作醸造したにんじん焼酎「酔紅」が発売される。限定870セットで町内の14店舗の酒屋で購入できる。(300ml入り4本セット+ 特製「酔紅」グラス1個付 2700円税込)なにより、今年の秋から本格的ににんじん焼酎「酔紅」を本格製造するが、4種類の中から一番好評だったレシピで仕込が始まる。どのレシピになるかは試作品をテースティングした方々が決めるということなのだ。
◆ 菊陽町の親善大使「酔紅」
願わくば、菊陽町の方々に愛飲していただきたい。そして、酔紅を菊陽町以外の方々に伝えていただきたい。にんじん焼酎「酔紅」が菊陽町の親善大使として活躍できれば嬉しい。にんじん焼酎「酔紅」が菊陽の地酒として、新しい出会いを醸し出してくれたら嬉しい。そんな想いで6月10日の発売の日を迎える。
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468号 2009年7月5日
(38)リサイクルに優れた酒の瓶
◆百年前からリユースされた一升瓶(優れた輸送容器)
江戸時代から明治初期にかけては、欧米からもたらされるガラス瓶が非常に珍重されました。ビール、ワイン、清涼飲料水の容器に使われ、貴重な資源としてリユースが行われていました。
何故、瓶に入れて物を運んだのでしょうか?空気や液体を通さず安全性、品質特性に優れたガラスびんは、代表的な飲料容器としての長い歴史を持ち、世界で利用されてきました。現在は軽量化、コンパクト化に伴って、酒類業界でも缶化が進んだりパック化が進んだりしています。しかし、美味しいお酒を出し、またお客様にサービスする飲食店においてはまだまだ瓶入りの日本酒、焼酎、ビールが主流です。もし飲食店で缶ビールが出てきたり、パック酒が出てくると、なんとなく「安っぽく」感じますね。
高価な物質を運ぶ時、どうしても瓶を使います。美味しい日本酒・焼酎も必ず瓶ですし、もっと高価な物質として「薬」があります。薬の容器も瓶が多いですね。瓶は薬剤とも反応せずに、安定して輸送できるからでしょう。実験室の「塩酸」や「硝酸」の劇物も瓶ですね。
リサイクルという言葉さえ無かった100年以上も前の1901年には、リターナブルびんの原点である一升びんが生産され始めました。リサイクルの中でも、洗浄して何回も何回も使う一升瓶や5合瓶、4合瓶のことを「リユース瓶」といいます。
リサイクルは使った後に一度粉砕して、再度溶かして、瓶に再生するのに対して、リユースは洗浄して使うという瓶です。ビール瓶や一升瓶は5回〜10回も製造元と消費者を行ったり来たりしています。何度も使っていると傷が入り、もろくなりますので、使えなくなったら粉砕し再度再生となります。
◆素晴らしい輸送容器
瓶は破損しますし、かさばるし、缶や紙パックよりも重いと思います。しかし、缶はアルミニウムで出来ています。最近は、アルツハイマー病発症原因はこのアルミニウムイオンが脳細胞に影響して発症するということも言われています。また、紙パックは1個作るのに、トイレットペーパー3個分の上質な紙を使うのです。紙は木材です。熱帯雨林のジャングルが伐採されて砂漠化して深刻な問題を起こしています。
美味しさ、安定性、リユースのことを考えれば、瓶入りのお酒を買って、お酒屋さんに戻してください。簡単にできるエコ活動ですね。 |
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472号 2009年8月2日
(39)ラジオ体操と吟醸酒
◆♪新しい朝が来た〜
夏休みになると午前6時30分、近くの公園で「ラジオ体操の歌」が聞こえてきます。世代を超えた懐かしさすら感じるものですね。実はこのラジオ体操の歌は1956年(昭和31年)から採用されて現在に至ります。藤浦洸作詞・藤山一郎作曲。この歌で実は三代目なんだそうです。初代のラジオ体操の歌は昭和6年、二代目は昭和26年に発表されています。私は初代も二代目も全く知らないのですが、きっとご家族の長老のおじいちゃん、おばあちゃんは知っている方もいらっしゃるのではないかと思います。
◆ラジオ体操と吟醸酒
ラジオ体操と吟醸酒全く無縁の両者ですが、実は関係があるのです。強引なこじつけかも知れませんが。ラジオ体操のルーツは、旧逓信省簡易保険局が制定した「国民保険体操」が原型といわれています。国民の健康増進を目的として、1927年(昭和2年)にラジオ体操の実施を決定して、翌年の1928年(昭和3年)11月よりラジオ体操がスタートしました。81年の歴史があったんですね。
ラジオ体操が始まった昭和3年ごろ、現在の酒質とほぼ同じような吟醸酒が生まれました。吟醸という言葉は、明治時代からあったようです。江戸時代から明治・大正時代にかけて、精米は水車精米や脚こぎ精米が主流でした。この精米方法では、米を磨いたとしても1〜2割程度しか磨けません。精米歩合が90〜80%ということになります。
現在の吟醸酒は60%以下にまで米を磨きます。究極の精米歩合は現在25%とも言われています。外側の部分を糠にして、米の芯だけで仕込む吟醸酒はまさに贅沢の極みです。このように高度に米を磨けることができるようになったのは、昭和初期に広島で佐竹利一氏が精米機を開発してからです。現在も「サタケ」という精米機メーカーがあります。これによって米を60%まで精米することが可能になりました。
ラジオ体操が始まったころ、吟醸酒が誕生したのです。
◆戦争そして吟醸酒復活
吟醸酒が何故誕生したか、それは戦前に隔年開催で全国清酒品評会が開催され、全国の蔵元がこぞって特別に仕込んだ吟醸酒を出品して、品質を競いました。より米を磨き、より低温でじっくり醗酵させて、美味しい日本酒を醸す。そしてそこで培われてた技術を市販酒にフィードバックさせる。このことで、全国各地の日本酒の技術は短期間にめきめき成長したのです。
悲しいことに昭和13年・第16回全国清酒品評会を最後に、吟醸酒を仕込むことができなくなりました。お米を高度に精米することが禁止されたのです。戦時色が強くなり、全国の決まった蔵元が、少量の清酒を醸すだけで、大半の中小の蔵元は一時休業となりました。
戦争も終わり、全国各地の蔵で日本酒が製造できるようになりました。が、米が不足して、極度に磨く吟醸酒を仕込む蔵は少なく、仕込んだとしても市販することはなく門外不出の酒でした。昭和40年後半になるとようやく吟醸酒の市販化が進みます。
先人たちが、究極の美酒を追求して仕込んだ吟醸酒。その究極の香味を味わえるのは「平和」であるからだと思います。昭和13年に絶えて、以後、吟醸酒が飲まれるようになるのは、昭和50年代です。当たり前に市販されている吟醸酒ですが、また吟醸酒が造れない時代が来ないことを私たちは不断の努力でもって守っていかなければならないと思います。(今年の終戦の日を迎えるにあたって私の思うことです)
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476号 2009年9月6日
(40)秋の味覚に「山廃」の酒
◆山廃(やまはい)について
最近、日本酒のラベルやパッケージに「山廃」とか「山廃仕込」と書いた商品があります。これは一体何でしょうか?うちのお店でも『「山廃」って何ですか?』という質問をしてくる方も多いです。いかにも美味しそうな感じがしますが、「山廃」って何?と尋ねられると、答えに困ってしまいます。
「山廃」は吟醸や本醸や純米のようにお酒のランク(特定名称)を標記するものではないことを先ずご理解ください。「山廃」は正式にいうと「山卸廃止仕込酒母」(やまおろしはいししこみしゅぼ)もしくは「山卸廃止仕込」を略して「山廃」といっているのです。
◆山卸廃止仕込とは?
山卸(作業)とは、精米が水車などでされていた江戸時代、半切り桶の中に蒸米と水を入れ、櫂(かい)ですりつぶす作業のことを言っていました。現在は精米機で精白することができるようになり、麹の酵素が十分に白米に吸収されるので、蒸米をつぶす(山卸作業)必要がなくなり、「櫂(かい)でつぶすな 麹で溶かせ」と言われるようになり、山卸の操作(作業)を廃止するようになりました。
◆ふつうの日本酒とどこが違うか?
「山廃」は生?(きもと)系酒母を代表する?(もと)で、ふつうの日本酒(速醸系酒母)と比べると、育成日数が長く(山廃26日〜30日、ふつうの酒(速醸)7〜14日)、室温が5℃以下で仕込みます。製造がとても難しいのです。酒母そのものにアミノ酸(旨味成分)が多く、濃厚な味で、製成酒も濃醇酒ができます。
また、枯らし日数(酒母完成から本格的に日本酒を仕込むまでの日数)が長くなっても酒母の力が低下しません。山廃の製造は、仕込水・麹などからくる硝酸還元菌・乳酸菌を低温で増殖させ、その働きを利用して雑菌や野生酵母を淘汰するとともに、酒母に必要な乳酸を生成させます。(ぺーハー3.5程度 強い酸性です)
自然の摂理を巧妙に利用した山廃仕込の技法は、先人たちの知恵と経験の集積です。しかし、残念なことに、製造に手間と時間がかかるため、合理化と省力化の名の下に、山廃を仕込む蔵が少なくなり、杜氏の世界でも山廃の技術が忘れられてきたことは、非常に残念なこととしか言えません。山廃で仕込んだ酒は、香が芳ばしく、濃醇で腰が強く、いくら水で薄めてもちゃんと酒の味がします。高級ウイスキーにも同じことが言えると思うのですが、高級ウイスキーは水割りで水の割合を多くしても、ウイスキーの味がちゃんとするのを、皆様も経験されているのではないでしょうか。
◆山廃の酒もいろいろ
山廃は銘柄やランクを示す用語ではありません。伝統技法によって作られるお酒の製造過程を示しています。特性上、東北・北陸地方でこの技法によって酒が造られます。いろんな蔵元で山廃仕込みの酒があります。また、脂ののったサンマと山廃の酒は相性がバッチリ。お燗をするとさらに旨味が増します。今年の秋は、あなたのお気に入りの山廃を見つけるのも楽しいのではないでしょうか。
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480号 2009年10月4日
(41)十六夜の酒
◆月と酒
花札ではないが、お月見には酒がつきもの。今年の十五夜(旧暦8月15日)は昨日(10月3日)でありました。今日は十六夜(いざよい)ということになります。みなさんはお月見はしましたか?余談ですが、お月見のときに、三方に丸いお団子を供えます。個数はその年の旧暦の月数です。通常は12ヵ月なので12個なのですが、今年は5月に閏月がありましたので、いつもの年より一つ多い13個のお団子を供えます。
十五夜は夕方6時頃東の空から昇り始めます。十六夜は50分遅く6時50分頃、十七夜は7時40分頃、十八夜は8時30分頃、十九夜は9時20分頃東の空から昇り始めます。古人は十六夜を「いざよいの月」、十七夜を「立ち待ちの月」、十八夜を「居待ちの月」、十九夜を「臥し待ちの月」と言いました。最も月の美しい時期、毎晩のように月を眺めていたのかもしれません。満月ではなく、少しかけた月こそ、日本人の美意識を垣間見ることができますね。
◆10月1日は日本酒の日
さて、10月1日は日本酒の日でした。酒という字は「酉」に由来します。十二支の10番目は「酉(トリ)」であり、酉という字は酒壺の意味を表わす象形文字です。新米が収穫されはじめ、いよいよ酒づくりが始まるこの季節、酒蔵では「酒造元旦」としてお祝いをしていました。昭和53年に日本酒造組合中央会が、この日を「日本酒の日」として決めました。
昭和40年以前の酒造年度(BY=Brewery Year)は10月〜翌年9月でした。現在は7月〜翌年6月になっています。まさに10月は酒造業界のお正月であったようです。
◆食欲の秋、お酒も美味しくなる
昨年の秋に仕込んだ酒が春に出来上がり、半年以上かけてじっくり熟成を経て、この時期に美味しくなります。土蔵の蔵の内側の温度と、外気温度が同じになるこの時期に酒が飲み頃を迎えます。「秋あがり」とか「ひやおろし」という呼び方をします。
10月頃から全国各地の酒蔵では、今年収穫した米で酒の仕込みが始まります。早いものでは11月中旬頃から新酒として発売されます。旨味ののった熟成した酒とフレッシュな新酒の両方が楽しめる時期です。食欲の秋に相応しく、酒の味わいも堪能できる時節ですね。
◆十六夜の酒
今宵は十六夜。小さな里芋を皮のまま蒸した「きぬかつぢ」を食べながら、コクと旨味のある秋あがりの酒で一献楽しみたいと思います。乾杯・・・。
追伸:貴方様の召し上がるお料理にピッタリの日本酒をアレンジいたします。お気軽におたずねください。
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484号 2009年11月1日
(42)ボジョレー解禁 騎士道VS武士道
◆ボジョレー解禁
11月の第3木曜日というと、ボジョレーヌーボーの解禁日ですね。ボジョレーを世界一消費している国は、日本なのです。生産国であるフランスよりも日本で多く消費されているというのは意外です。お祭り好きの日本人らしいといえばそれまでですが。
◆赤い新酒誕生の秘話
フランスといえばワインというのが一般的。ではボジョレーヌーボーはいつの時代から生まれたのでしょうか。赤ワインは熟成して美味しくなります。新酒で飲める赤ワインというのが「ボジョレー」の売り。ボジョレーの赤ワインは「ガメー種」というブドウで仕込まれます。言い方は悪いですが安酒にしかならない駄種でした。造っても造っても、安酒にしかならないということで、ある年、ある醸造元は、収穫した大量のブドウを、タンクの中に入れてふたを閉めて放っておきました。数週間後、醸造元は驚きました。腐っていると思ったブドウが、フレッシュでこれまでに飲んだことのない赤ワインに生まれ変わっているではありませんか。
タンクを密閉したことによって、酸素のない状態で醗酵がはじまり、美しい色だけが液体に溶け込みました。後の、1872年フランスの科学者、パスツールによってこの現象が解明されました。
綺麗な赤の新酒「ボジョレーヌーボー」が生まれたのは100年前、一般的になったのは50年前ですが、日本に上陸したのは25年ほど前のことです。
◆騎士道の酒、武士道の酒
ワインは西洋のものと思っているのは間違いです。日本にブドウを初めて伝えたのは弘法大師。中国からブドウを持ち帰りました。そのブドウは山梨甲州で育ち、日本屈指の葡萄酒の産地を形成しました。西洋のワインが騎士の酒ならば、日本の葡萄酒は武士の酒となります。
数年前、弊店にワインを売り込みにきたメーカーがありました。うちではワインは売れないというと、その蔵元は「葡萄で醸した日本の醸造酒です。是非一度見学に」と言います。もの好きな私は、山梨県勝沼にある蔵元をさっそく訪ねました。酒蔵は奥ゆかしい日本家屋風で、日本酒や焼酎を醸す醸造元と変わりません。しかし酒蔵の中で仕込まれているのは、葡萄を搾ったワイン。蔵元のまわりは、水田でなくて、葡萄畑でした。応接室は畳敷で、正座で蔵元の話を聞きました。なるほど、武士の飲む葡萄酒かと思いました。
社長の有賀氏は「わさびや味噌、醤油で味付けした料理に馴染むのは、やはり甲州種のワイン」と力説。それから数年後から、有賀氏が仕込むワイン(勝沼醸造)は、世界のワインコンクールで優秀な成績を修め続けます。ワインは西洋のものも優れていますが、今や、日本のものも優れている時代が来たようです。
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489号 2009年12月6日
(43)好みのお酒を選ぶには ラベルを読む@
◆難しい日本酒のラベル
日本酒のラベルは、さまざまな標記がなされているために、求めるお酒になかなかめぐり合わないケースが多いのではないでしょうか。日本酒を楽しむためにも、ラベルをある程度、読み解く力が必要です。日本酒に限らずワインも同じですが…。
日本酒の一升瓶や四合瓶には2〜3つのラベルがあります。一番大きなものが「胴貼り」です。次ぎに上部のくびれたところにあるのが「肩貼り」です。そして、裏にラベルが付いているものを「裏貼り」といいます。「肩貼り」や「裏貼り」がないものもあります。
胴貼りに一番目立つように記載してあるのが「銘柄」です。そのそばもしくは肩貼りに「(純米)大吟醸、(純米)吟醸、純米酒、本醸造」などを標記があります。これは特定名称酒であるという、ランク(品質)を表わしたものです。特定名称の標記がない酒は普通酒(一般酒)ということになります。
◆お米の磨きでランクが分かれる 〜特定名称酒〜
原料であるお米を70%以下まで磨き、酒を仕込んだ場合、「純米酒」になります。原材料のところは「米、米麹」です。
純米酒に、ちょっとだけ醸造アルコール(焼酎)を添加したものが「本醸造」になります。原材料のところは「米、米麹、醸造アルコール」です。
原料であるお米を60%以下まで磨き、酒を仕込んだ場合、「純米吟醸」になり、醸造用アルコールを若干添加した酒が「吟醸」になります。
同じように、原料であるお米を50%以下まで磨き、酒を仕込んだ場合、「純米大吟醸」になり、醸造用アルコールを添加した酒が「大吟醸」になります。
特定名称酒の場合、原料米の栽培地、品種名、精米歩合が小さく標記されていますので確認してください。
特定名称一覧表
精米歩合 |
純米酒(米、米麹) |
本醸造酒(米、米麹、醸造アルコール) |
70%以下 |
純米(酒) |
本醸造(酒)もしくは本仕込み、本造り |
60%以下 |
特別純米(酒)・純米吟醸(酒) |
特別本醸造(酒)・吟醸(酒) |
50%以下 |
純米大吟醸(酒 |
大吟醸(酒) |
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493号 2010年1月3日
(44)熊本の酒考 百年の歩み
明けましておめでとうございます。新年ということで、普段は日本酒を飲まない方も、日本酒を口にする機会が多いのではないでしょうか。現在造られている日本酒の約60%は、熊本生まれの酵母であることを皆さんはご存知ですか。日本酒の業界で熊本酵母の存在を知らない方は一人もいません。熊本は日本酒生産の日本南限であり、酵母生産の一大拠点です。実はすごい県なのです。
◆熊本の酒 百年
江戸時代まで、肥後藩では日本酒を造ることはご法度(禁止)。冬場も温かい日がある熊本で、健全に日本酒を仕込むことができなかったのです。赤酒が国酒で、肥後の民は赤酒を口にしました。
明治になり、物資の流通が自由になると、他県から日本酒が熊本にもどんどんやって来ました。甘い赤酒よりも、他県の日本酒を口にするようになったのです。これには、熊本の酒蔵もお手上げでした。熊本でも他県に負けない美味しい日本酒を造ろうということで、明治42年(1909年)に熊本県下の酒造メーカーが出資して、熊本県酒造研究所「香露」の蔵元を造りました。実は今年で満100年を迎えます。
◆熊本の酒の神様 野白金一先生
野白金一氏は明治9年(1876年)島根県松江市に生まれ、東京高等工業(現在の東京工業大)を卒業後、明治36年(1903年)8月に熊本税務監督局に赴任。酒類指導に従事。赤酒と清酒を造る蔵を分離することを指導され、南国熊本でも優良な清酒を醸造できる技術指導を行いました。
大正6年(1917年)に開催された第6回全国清酒品評会において「初幣」(当主・高田又七)が初の優等賞を受賞。昭和11年(1936年)に開催された第15回全国清酒品評会においては多くの蔵が名誉賞に輝きました。名誉賞受賞蔵は、美少年、明菊(益城)優等賞受賞蔵は、千代の園、錦の露、瑞鷹、菊の城、屹起、誉香、陽気、西海、香露、加富登、池月、菊源、金海。昭和初期には銘醸地熊本を全国に轟かせました。野白金一氏を無くしては熊本の清酒を語ることができません。
◆熊本酵母(協会9号酵母)
残念ながら、昭和13年を最後に全国清酒品評会は開催されなくなりました。高度に米を磨き、贅沢に造る吟醸酒は、戦時体制下では造ることができなくなりました。
戦後、昭和28年(1953年)ごろ、野白金一氏によって分離された熊本酵母は、香味ともに優れ、60年過ぎたいまでも、大半の吟醸酒はこの熊本酵母(協会9号)で仕込まれ、清酒の60%程度がこの酵母で造られます。日本酒を仕込む南限にして、最良の酵母を生み出しました。
◆2010年はこんな年に
熊本の酒をもっと知り、他県に売り込む元年にしたいです。そのためにももう少し熊本の酒を愛飲して欲しいと願います。 |
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497号 2010年2月7日
(45)好みのお酒を選ぶには ラベルを読むA 〜精米歩合について〜
◆酒米と食米の違い
「旨い」日本酒を造るには、原料となる米が決め手となります。私たちが日頃食べている米と、日本酒の原料になる米とはどこが違うのでしょうか?
米には食用の一般米(コシヒカリ、ヒノヒカリ、ササニシキなどの品種)と、酒造り専用の酒造好適米(山田錦、雄町、五百万石、美山錦などの品種)の区別があることをご存じでしょうか。
食用の米は、適度な粘りがあり、しかも粒が中粒です。一方、酒造好適米は、粒が大粒で、食用米よりは粘りが少ないのが特徴。酒造好適米を蒸した時には、「外剛内柔」な状態になり、表面がツヤツヤしています。いい酒にするには、外側の部分ではなく、米の芯に近い部分からジワジワとデンプン質が溶けだして行くことが求められるのです。丁度、カプセルの中にデンプン質を入れるような構造がいい酒造好適米になります。
酒米を食べると、パサパサしておいしくはありません。逆をいうと、適度な粘りがある食用米を使用しておいしい酒を造ることはできないのです。コシヒカリ100%使用の大吟醸など聞いたことがないのはこのためです。
◆米を磨く 精米歩合について
旨い日本酒を造るために、昔から磨いた米(精米)で日本酒を仕込んできました。精米機が開発される以前は、水車精米や足踏み精米でした。原料米を石臼に入れて、杵で米をつきます。米と米、米と杵の摩擦で、米の表面が削れて、少しずつ米と糠に分かれていきます。
日本酒の原料となる米は、外側に近いほど脂肪やたんぱく質などが多く含まれています。これらの成分が極度に多すぎると、日本酒を仕込んだ時に、雑味となって、日本酒の味を悪くします。
玄米を100%とした場合、私たちが食べる食用米は精米歩合が95%〜93%まで磨きます。日本酒を造るにはそれよりもたくさん磨きます。純米酒や本醸造で70%以下まで磨きます。純米吟醸で60%以下、(純米)大吟醸で50%以下まで磨きます。中には28%まで磨いた日本酒もあります。
精米歩合が小さければ小さいほどいいかというとそうではありません。お米を削れば、削るほど雑味になる成分も少なくなりますが、削り過ぎれば、味わいの少ない、すっきりした酒になります。日本酒はあくまでもバランスが大切です。
◆お燗で美味しい酒、冷で美味しい酒
すっきりした酒を冷やで楽しみたい時には、精米歩合が60%以下の日本酒を選んでください。さっぱりとして「ぐびぐび」飲める酒質です。あっさりした白身の魚などとの相性がいいです。
少しコクや旨みのある酒を飲みたい時には、精米歩合が高い日本酒を選んでください。米の旨みがあって「しみじみ」飲める酒質です。脂の乗った魚や肉類全般との相性がいいです。寒い時期にはお燗酒にしても美味しくなります。 |
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501号 2010年3月7日
(46)好みのお酒を選ぶには ラベルを読むB 〜日本酒に賞味期限はあるか?〜
◆日本酒に賞味期限はありますか?
『日本酒は造りたてが一番美味しくて、日が経過するにしたがって味が落ちる』と思っている方もいるかもしれません。それは誤解です。確かに、厳冬期に、酒蔵で搾りたての日本酒には、フレッシュでチリチリとした炭酸ガスが絡んでなんとも言えない香味があります。この時期、この蔵の中でしか味わえない酒であります。
ワインもそうですが、日本酒は醸造酒で、日本酒の中にはさまざまな味や香りの成分がたくさん含まれています。アルコールの他に、高級脂肪酸やエステル類、さまざまなアミノ酸などが含まれています。新酒の日本酒はフレッシュですが、どちらかというと単純な味わいなのです。これを熟成させると、旨みが増して、新酒にはない深みと複雑な味わいが出てくるのです。
◆タンク熟成と瓶内熟成
日本酒の熟成は、酒蔵の蔵内でタンクに貯蔵されている間も進行しますが、瓶に詰められていても進行します。蔵内の温度が低ければ低いほど、熟成のスピードは遅くなり、常温に近ければ近いほど、熟成のスピードは早くなる傾向にあります。日本酒の蔵元は、出荷のタイミングを見ながら、熟成の温度を考えています。
◆日本酒を放置しておいたら酢になるのですか?
日本酒は基本的に、生酒を除いて、タンクに熟成させる時と瓶詰めして出荷する時に2回の「火入れ」という作業を行います。お酒を65℃まで加温して、発酵を完全に止めます。日本酒の発酵を止めると同時に、酒の中に含まれる雑菌も死滅させます。65℃の温度で、瓶詰めすると液面が一升瓶の口のところまで来ています。そこで打栓して、急速に冷却してやります。すると、液面は下がり、ほぼ真空に近く、酸素がほとんどない状態になり、日本酒を美味しく輸送できる体制が整います。
ですので、日本酒を常温で放置しても、再発酵することはなく、酢になることはありません。
◆ラベルの日付は賞味期限ではなくて、瓶詰めした日
日本酒のラベルに記載されている年月日は、その日本酒が瓶に詰められて、蔵を出る日を表示してあります。賞味期限ではありません。
日本酒の中には、原料となるお米が収穫した年を表示したヴィンテージのものもあります。日本酒もワインと同じくデリケートですので、低温で熟成させると、みごとな香味の日本酒になります。たいていの日本酒はお酒が美味しくなる少し前の状態で出荷してあります。ですので、市場に出ているお酒は、飲みごろの状態なのです。
記念の年の日本酒(お子様が生まれた年や結婚の年など)を冷蔵庫で保管して、何かの記念の日に味わうというのも日本酒の楽しい飲み方です。歩んできた時を重ね旨みが増します。最後に飲みごろを決めるのは、あなたです。 |
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505号 2010年4月4日
(47)欧米人もびっくり 昔の日本酒の科学 〜火入れについて〜
◆火入れって何?
4月になり暖かくなってきました。この時期、酒蔵では酒づくり最後の作業が始まります。「火入れ」です。
「火入れ」って、なじみのない言葉ですね。最近は夏場を中心に、生酒が発売されますが、生酒はお酒を搾って(上槽)、加熱殺菌しないでそのまま瓶詰めして出荷される酒のことです。搾ったばかりの爽やかで新鮮な香味があるのが特徴です。最近は全国的に低温輸送(クール宅急便)と低温貯蔵(冷蔵庫の普及)が可能になってますますこの商品が出てくるようになりました。
本来の日本酒は、搾って(上槽)から一度65℃まで加温殺菌(低温殺菌法)して、貯蔵されます。そして、瓶詰めされる前にもう一度65℃まで加温殺菌をします。2回加温殺菌するのが普通です。
これは何故、行うのでしょうか。
@酵母と酵素の働きを止める
搾ったばかりの生酒の中には酵母がまだ生きています。醗酵が続いているのです。その醗酵を完全に止めるために、加温するのです。酵母は65℃で死んでしまいます。
また、麹菌が造りだした糖化酵素(アミラーゼ)の働きも止めます。酵素はタンパク質ですので、熱を加えると変遷して、糖化を促進するという触媒の働きができなくなります。そのために、酒の変化が安定してゆっくりと熟成が進むようになります。
A火落ちの防止
日本酒にとって大敵なのは火落ち菌です。日本酒が好きな雑菌で、これが入ると日本酒が濁り始めます。火落ち菌も熱には弱いため、貯蔵前と出荷前に火入れをして、火落ち菌の混入を防ぐのです。
B酒を安定させる
その他、雑菌が混入することを防ぐために火入れをします。雑菌も生き物ですので、高温には弱いので死んでしまいます。
◆欧米人もびっくり日本酒の科学
以上の理由で日本酒は昔から火入れをしていました。この低温殺菌法は「多聞院日記(たもんいんにっき)」(室町時代末期)には「酒を煮させ樽に入れ了(おわ)る、初度なり」など火入れの記録が残っています。ワインを火入れして保存性を高めること、缶詰の製造に応用、牛乳の低温殺菌法に応用したフランスの化学者ルイ・パスツール(1822年〜1895年)よりも300年も昔に我々日本人の先祖は、経験的に火入れして保存をよくする技術をすでに使っていたのです。これには、欧米人たちもびっくりしたようです。 |
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509号 2010年5月9日
(48)お酒のコンテスト 鑑評会に行ってきました
◆お酒のコンテスト
日本中の酒蔵では、昨年秋(平成21年)に収穫した新米を極限まで磨き、厳冬の時期に丁寧に醸し上げた酒があります。そんな吟醸酒を、全国それぞれの国税局鑑定官室に集められ、鑑評して、優秀な酒を表彰する会が局の鑑評会です。
4月20日(火)熊本国税局の鑑評会が熊本合同庁舎にて開催されましたので、私もきき酒させてもらいました。局は全国に11局(札幌、仙台、東京、関信、名古屋、金沢、大阪、広島、高松、福岡、熊本)あります。熊本局では、平成21年〜22年にかけて仕込まれた清酒や焼酎が一堂に集まります。出品するしないは蔵元次第です。言わば、日本酒や焼酎の品質競争の地方大会というものです。
局によってルールが違いますが、局で優秀な成績を修めますと、5月に開催される全国新酒鑑評会にエントリーすることができます。
全国新酒鑑評会は、明治44年に第1回が始まり、本年で98回目を数える世界に誇るべき鑑評会です。現在は主催が「独立行政法人 酒類総合研究所(旧醸造試験所)」です。ここで優等賞(入賞)を受賞するということは、蔵元にとっても、ひと冬、酒づくりに携わった蔵人や杜氏にとってもたいへん名誉なことなのです。
◆今年のお酒は
熊本局では、主に熊本酵母(香露の酵母)で仕込んだ吟醸が多かったです。数年前から、香気成分の高い新型酵母の酒と従来の酵母の酒を分けて鑑評するようになっています。
全般に華やかで見事な大吟醸が入賞していました。今年の傾向として熊本酵母においても「トップの香りが華やかで、含み香りもあり、口に含んだ時に上品で滑らかな酒」がよい成績を修めていました。甘味を残した酒や酸味を感じる酒は惜しくも優等賞を受賞することができないのです。しかし、入賞していないお酒でも充分に美酒で今年も美味しいお酒が出来ていました。
◆優等賞受賞酒
熊本酵母吟醸酒部門
熊本県:香露、瑞鷹
大分県:西の関、薫長、八鹿、龍梅、鷹来屋、
その他の吟醸酒部門
大分県:一の井手
宮崎県:綾錦、千徳
◆優等賞を受賞したお酒は
「香露」は、香りがとても高くてバランスが申し分ない美酒でした。
「瑞鷹」も、香りが高く、酒のボディーがしっかりした力強さを感じ、秋熟成が楽しみな吟醸でした。 |
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513号 2010年6月6日
(49)酒は古くなると酢になる?
◆酒は酢になる?
酒は古くなると「酢」になるといわれていますね。ホントでしょうか?酒の仕込みが失敗すると「酸っぱくなる」ことはあります。それが「酢になる」ということになったのでしょう。もしかしたらそれを「酢の代用」にしたかもしれません。
現在は酒をつくるときは、「アルコール発酵酵母」を、酢をつくるときは「酢酸発酵酵母」を使い、まったく違った発酵方法をとります。
では、酒は古くなるとどうなるのでしょうか。古くなるには二つの形があります。一つは密閉できない桶などに入っている場合、もう一つは瓶やタンクに密閉されている場合です。
密閉されていなければ(グラスの残り酒や蓋のない桶・タンクに入っているものは)まずアルコールが蒸発します。この残りは旨みと甘みの液体になります。もったいないから「燗冷し」は料理の調味料に使います。賢い生活の知恵ですね。
それをもっと放っておくと、アルコールによる殺菌作用がないので、雑菌によって分解され、水になります。もう調味には使えません。「飲みそこなったワインはドブ水より始末が悪い」とフランスでは言うそうです。
密閉されていれば酒の形は長時間保てますが、酒としての品質は、良くなるのと悪くなるのに分かれます。経験的に、いい酒は良くなり、そうでない酒は悪くなるようです。
日本では吟醸酒が何十年も貯蔵されてすばらしい味になり、珍重されるようになりました。またタイタニック号や他の沈没船からワインやシャンパンを取り出そうというのも、沈んだ酒が素性のいいものだからなのです。
◆酒からも酢にはなる
清酒に酢酸菌を入れ、酢酸発酵させれば、酢になります。
アルコールの分子構造の一部をカルボキシル基(−COOH)に置換させると酢酸(酢)ができます。漢字でも「酉」(酒を意味する字)に「作」(つくる)と書き、酢になります。
酒から酢を作るとコスト的にもかなり高くなり、一般に市販されている酢はこのような工法では作られていません。
開栓されていない酒を長い期間放置しても、酒が酢になることはあり得ません。 |
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517号 2010年7月4日
(50)吟醸酒の楽しさとは『酒を肴に酒を飲む』
◆酒を肴に酒を飲む「飲み比べ」の楽しさ
日本酒(吟醸酒)の楽しさの一つに飲み比べの楽しさがあります。Aという酒を飲みながら、別のB、C、Dなどの酒を飲むと、それぞれの良さ、特徴が際立ってきます。香りの強弱や特徴。なめらかさだったり、コクだったり、キレだったり。これはプロでなくとも、素人でも分かります。これを批評するとなると、楽しくない酒の会になりますが、自分の気に入ったお酒を、自分のペースで飲むとなるとたいへんに楽しいです。しかも、気心の知れているメンバーであればもっと楽しいでしょう。
酒を肴の酒を飲むという「飲み比べ」の楽しさは、日本酒、特に吟醸酒にだけに与えられたものであると思います。なぜならば、焼酎やウイスキー、ブランデーなどの蒸留酒でこれをやってみてください。たいへん疲れます。ビールだと腹いっぱいになります。ワインは料理1個に対して、ワイン1個というのが基本です。
実際にやったことがあります。ワインはやれないこともないのですが、日本酒(吟醸酒)の方がオールラウンドで楽しめます。ワインはやっぱり料理との相性でワインの味が変わりすぎます。蒸留酒の飲み比べは、ヘベレケになります。欧米人は大丈夫ですが、大半の日本人は無理です。
◆3人居れば日本酒の会が成立
3人居れば、日本酒の会が成立します。事実、弊店の酒の会も、3人でスタートしました。ある方が1万円の酒を買いました。別のお客様が別の1万円の酒を買いました。相互に飲みたいと思っていたお酒でしたが、予算は1万円未満。どちらかに絞らなければならないのです。
そこで、私が、別の1万円の酒を開栓するので、お互いに酒を開けて飲むことを提唱しました。
お客様はたいへんよろこんで、日本酒の会が成立しました。メリットとして1万円で、3本の1万円の日本酒を飲むことができるのです。
たまたま、年末でしたので高価な酒でしたが、2,000〜3,000円の酒でも同じことが成立します。
◆あなたの仲間でやりませんか?
先日、とある飲食店で「第22回日本酒と料理を楽しむ会」が開かれました。季節ごとに開催する酒の会です。
実に楽しいです。ルールを設けています。誰でも守れる優しいルールです。@きき酒能力を問わない Aただで酒を飲まない Bどの酒が旨いか決めつけない という3カ条です。
3人以上の仲間と飲みたい酒、食べたい肴があれば日本酒の会はできます。もし、やってみたいという方(お店)がいましたら、ご連絡ください。アドバイスします。
たわらや酒店 三里木駅通り п@232−3188 |
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521号 2010年8月1日
(51)呑み切り
◆夏の酒蔵の儀式「呑み切り(のみきり)」
ひと冬、酒づくりのために活況を呈していた酒蔵も、田植えの時期以降はひっそりと静まりかえっています。酒蔵の土蔵の中には誰一人いません。夏でもひんやりした土蔵の中のタンクの酒は、一日一日、旨さを増し、円やかさ、柔らかさが生まれようかと静かに眠っています。
そんな夏の時期に、全国の日本酒蔵では、伝統的な行事があります。「呑み切り」です。昨年の秋から春にかけて仕込んだ酒を、タンク毎に、原酒を少量抜き出します。それをきき酒用の「蛇の目」−白地に中の底に青色で◎と太線で描かれた器―と言われる陶器に入れ、きき酒をするのです。この日は、蔵元を始め、酒づくりに携わった蔵人や杜氏も久々に蔵にやってきます。また、酒づくりの指導を行う国税庁鑑定官技師、酒造関係者一堂が集い、酒の熟成状況を確認する一種の儀礼を「呑み切り」と呼んでいます。
春から夏にかかるこの時期は、日本酒の香りが変化しはじめます。新酒特有の香りである「麹はな」が消えはじめます。それによって、タンク毎の熟成の度合いを見極めるのです。どの酒から出荷するのがよいかということも検討したりします。
熊本市川尻の「瑞鷹」醸造元・叶髄驍ウんの「呑み切り」が7月27日(火)に開催されるということで、呑み切りとはどんなものか、この目で取材をしてきました。
◆熊本の呑み切り
熊本市川尻は、刃物、和菓子、酒、木工細工など職人たちの街です。表通りからひと辻はいったところに瑞鷹の酒蔵があります。午前9時より「呑み切り」がスタート。タンクで貯蔵されている酒、全部で78品目をきき酒しました。
中には昭和59年酒造年度の大古酒もあり、黄金色をしていて、26年熟成とは思えない素敵な酒でした。使用する米の品種ごとに味も違うし、製法ごと、酵母ごとに味が違いました。熊本らしい、瑞鷹らしい酒もあれば、新しい試みとして造られた酒もありました。今年も熊本らしい、瑞鷹らしい、芳醇にして辛口の「よか酒」が出来上がっていました。
◆秋に向けての準備
暑い夏のこの時期、秋に向けて「ひやおろし」の酒はどれにしようか、検討されています。藤崎八幡宮の例大祭の隋兵の音色がこだまするころ、より一層、旨味を増した酒が出荷されます。たいへん待ち遠しく思えました。
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525号 2010年9月5日
(52)晩酌の酒の量は「こなから」の酒
◆こなから
NHK総合の朝のテレビで、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』・坂本龍馬役を演じる福山雅治氏が出演。坂本龍馬役の着物姿でインタビュー。最近の福山氏の飲酒のスタイルが報じられた。
まず、ビールを1杯飲む。その後は、日本酒を二合。それ以上は飲まない。仕事柄、一人で酒を飲むことは少ない。役者の方と飲むケースが多い。日本酒は2人で二合徳利をオーダーし、無くなれば、別の銘柄の酒を二合徳利でオーダーするという。日本酒は飲みすぎるので、二合でストップ。飲むとなれば、四合、五合と飲めるのだが…。とのこと。
「こなから」という言葉をご存知だろうか?現在では死語になった言葉だろうが、響きがとてもかわいい。我が家の広辞苑・第4版で「こなから」を検索してみる。
○こなから【小半・ニ合半】@半分の半分。四半分。A米または酒の一升の四半分、すなわち二合五勺の称。
―・いり【小半入】ニ合五勺を入れること。また、その容器。
―・ざけ【小半酒】ニ合五勺の酒。また、少量の酒。
と書かれている。
福山雅治氏は、日本人の男が、最も美味しく酒を飲む量を知っているようだ。二合は日本酒で、五勺がビールであることは江戸時代とは違うにしても…。
金曜日の夜は、私も妻と自宅で晩酌した。肴という肴はないが、2人でビール大瓶を1本飲み、日本酒四合瓶を1本飲んだ。心地よい酒量だと思った。飲もうと思えば、まだまだ飲めるのであるが、今朝もいつものように4時半には自然に目が覚めた。いつも意識はしていないが、最も酒を美味しく飲める量は「こなから酒」かもしれない。
追伸
「こなから」は縁起のよい量。なぜなら、こなからの10倍量は、二升五合=ますますはんじょう。10人の仲間で、こなからの量ずつ酒を飲むと“ますますはんじょう”ということになる。「こなから」の言葉の響き、なんともいえない…。 |
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529号 2010年10月3日
(53)関ヶ原が東西の境
◆短日性と早生について
私たちが普段食している米に、東日本と西日本で好まれるお米の嗜好が違うことをご存知ですか。
イネは「短日植物」です。秋になり、昼間の時間が短くなると花を咲かせます。この性質のことを「短日性」とか「日長反応性」などと呼んでいます。北半球では、夏の間、緯度が高ければ高いほど昼間の時間が長くなります。イネは北へ行けば行くほど、イネの花の開花が遅れることになります。しかも、北へ行けば行くほど秋の訪れも早く、気温が下がる時期が早くなります。そこで、北方で栽培できる品種はこの「短日性」を失う性質を持つ「早生」(わせ)の性質を獲得したものなのです。
◆関ヶ原の東と西
日本列島の東西で、日本のイネの品種が二つに大きく分かれます。これは概ね、気候に適応されたものです。収穫した米にも、東西で差があります。東の米は小粒で柔らかい、西の米は大粒で硬いという性格があります。
これは、それぞれの地域の食文化とも密接な関係が出てきていると思います。東日本においては、炊きたての米が柔らかな方を好む人が多く、西日本では、硬めの方を好む人が多いということです。東と西で品種の特性が違うことは外見で分かるのですが、それぞれの品種のDNA(遺伝子)を調べてみた方がいます。農業技術研究機構作物研究所の芦川育夫先生、農業技術研究機構北陸センターの田淵宏昭先生らによって研究結果が出ています。
それによると、DNAの塩基配列が明らかに東と西で違うそうです。昔の人がDNAを知っているはずはないのにタイプがくっきり分かれています。いったいどういうことでしょうか。その謎については未だに解明されていません。日本のコメの品種における歴史的な謎の一つと言えます。
では、東と西の境界線はというと、若狭湾と伊勢湾を結ぶ線になるそうです。その中心地が関ヶ原。1600年9月15日(旧暦)におこった戦国時代最大で最後の大戦「関ヶ原」というのも何かの因縁かもしれませんね。
江戸時代〜明治期においては、酒用の米も、概ね食用米を使用していたことが多かったようです。東の米を使った酒と、西の米を使った酒の味には、確実な差があったと想像できます。それぞれの地域の食文化と絡み合って、それぞれの地域の味覚を育んできました。
今年は、国際生物多様性年です。主食であるコメの品種、酒米の品種に関心を深め、ぞれぞれの地域の食と酒について考えてみてはどうでしょうか。 |
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534号 2010年11月7日
(54)酒と料理と調味料の方程式 (前編)
◆酒と料理の相性とは
酒と料理がピッタリとマッチした時、たまらない悦びを覚えます。逆にどんなご馳走が出ても、酒との相性が悪い場合は、料理も美味しく感じないし、酒も美味しく感じません。
ワインの世界では、魚料理には白ワイン、肉料理には赤ワインというような方程式があります。これは何を意味するのかをご説明します。
◆冷やして旨い酒と温めて旨い酒
ワインも日本酒も、酵母を使ってアルコール発酵させて酒を造ります。酵母はアルコールを造る他に、様々な有機酸も造ります。ワインや日本酒に含まれる有機酸は様々ありますが、冷やした方が美味しく感じる有機酸と温めた方が美味しく感じる有機酸があります。前者を冷旨系有機酸、後者を温旨系有機酸としましょう。
【冷旨系有機酸】リンゴ酸、酒石酸、クエン酸、酢酸など
【温旨系有機酸】乳酸、グルコン酸、コハク酸、タンニン(苦味)など
例えば、ドイツのモーゼルワインはリンゴ酸を多く含み、爽やかな白ワインです。温めて飲むよりも、キンっと冷やして飲む方が美味しいです。フランスのボルドー赤ワインはコハク酸やタンニンを多く含み、冷やしたら飲めません。常温で飲む方が美味しいです。
同じようなことが日本酒にも当てはまります。出羽桜(山形県・出羽桜酒造)のようなフルーティーな酒はリンゴ酸、クエン酸が多く含まれ、冷やして飲む方が美味しく頂けます。菊姫(石川県・合資会社菊姫)のような味わい深い酒は乳酸、コハク酸を多く含み、冷やよりは常温・お燗酒にすると美味しく頂けます。
つまり、酒にするために、どのような酵母を使うか、どのような発酵環境にするかで、酵母が造りだす有機酸の割合が変わり、できた酒が冷旨系(冷やして旨い酒)なのか、温旨系(温めて旨い酒)なのかに分かれるのです。もちろん、その双方に位置する中間系の酒もあります。
◆料理順番と酒の順番
世界の料理をフルコースで食べる時とします。西洋であれば、オードブル⇒サラダ⇒スープ⇒魚料理⇒肉料理⇒デザート⇒チーズの順番で食べると思います。フォークやナイフもその順番で並んでいます。酒もビールやシャンパンのような発砲性の酒から、白ワインが出され、肉料理のころには赤ワインに変わります。
日本では、先付⇒前菜⇒造り⇒焼物⇒揚物⇒椀⇒飯⇒甘味の順番で食べると思います。とりあえず、ビールに始まり冷旨系の酒、後半は温旨系の酒が飲みたくなります。ワインにも、日本酒にも、先発⇒中継ぎ⇒抑えの酒があるのです。
(次回号に続く 12月5日発行) |
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538号 2010年12月5日
(55)酒と料理と調味料の方程式 (後編)
◆冷旨系にあう料理
冷旨系の酒にあう料理の特徴として、さっぱりした素材、新鮮な野菜、出来たてのものというキーワードがあります。例えば、フグ、ヒラメ、タコ、イカ、タイなどの白身魚。肉では脂分のすくない馬刺し、鶏肉、各種内臓。野菜では新鮮な野菜。これらの素材を調理したものは冷旨系の酒と相性がよいのです。
◆温旨系にあう料理
温旨系の酒にあう料理の特徴として、脂分の多い素材、熟成させてまったりした素材、キムチやザーサイのような発酵させた野菜、こってりしたものというキーワードがあります。例えば、サバ、ブリ、ウナギ、トロなどの脂分の多い魚。肉では牛サーロイン、豚バラなど。野菜類ではキムチや古漬、秋田の燻りガッコなど時間をかけて熟成したものは温旨系の酒と相性がよいのです。
◆酒も料理も調味料次第で決まる
ここからが重要です。プロの料理人、ソムリエたちは頭の中で、お客様が満足するために、調味料を巧みに使い、選んだお酒と料理の相性が最高のものになるようにしています。「極意」という部分を伝授します。極意ですから誰にでもできます。あなたも今日からプロの料理人・ソムリエになれます。
【冷旨系に合う調味料】
塩、レモン、柑橘果汁、酢、生姜、リンゴ酢、紫蘇、三つ葉、サフラン、新鮮なハーブスパイス
【中間系に合う調味料】
オリーブオイル、ウースターソース、トマトソース、マヨネーズ、フレンチドレッシング
【温旨系に合う調味料】
醤油、味噌、わさび、にんにく、マスタード、辛子、唐辛子、チリソース、デミグラスソース、豆板醤、山椒の粉、胡椒
お酒と同様に、調味料も冷旨系と温旨系のどちらにマッチするかで分類できます。
貴方が今日飲むお酒が、冷旨系のワインや日本酒であるとします。食べる料理が脂分の多いウナギであるとします。この場合、甘辛く醤油と山椒で味付けてしまうと、調味料が温旨系なので酒と反発します。この場合、白焼きにして、調味料を塩・柑橘果汁をつかい、醤油とわさびをつけて海苔で巻いて食べると、冷旨系の酒も生きてきますし、料理との相性はバッチリです。
逆に温旨系のワインや日本酒で、食べ物がヒラメやタイのシンプルな素材とします。調味料をできるだけ温旨系を使い、調理法も少し手の込んだもの(味を複雑にする)にすると、料理と酒の相性はバッチリです。
調味料で、酒と素材のピントを調整することが『極意』です。 |
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542号 2011年1月1日
(56)加藤清正公ゆかりの酒蔵
◆今年は清正公さん誕生450年・没後400年
明けましておめでとうございます。2011年(平成23年)、辛卯(かのとう)の年です。今年は3月に九州新幹線が全線開業します。大きく熊本が躍進する年です。
現在の熊本の礎を築いた加藤清正公は、450年前(1562年7月25日)に現在の名古屋市中村区で生まれました。そして、400年前の1611年(慶長16年)に清正公が没しました。今年は生誕450年、没後400年ということになります。
地元菊陽町の「大津街道杉並木」の屋久杉を屋久島から移植したのも清正公ですし「鼻ぐり井手」を造営したのも清正公です。
清正公は土木技術に優れ、坪井川、白川、加勢川、緑川という大河川が入り混じる熊本平野の氾濫原を独自の治水技術で肥沃な穀倉地に変え、熊本54万石を築いたと言われます。清正公が熊本に入城してから12年間、2度の朝鮮出兵で留守も多かったにも関わらず、灌漑を整備し、新田を開発し、熊本城を造営しました。身分に、性別に、年齢に関係なく、普請に従事したものに日給を支給したといわれています。「政治は民のためにある」という清正公の信念や生き様が、人々に感動を与え、豊かな熊本が造られていきました。
◆清正公なき後の加藤家
順風満帆の清正公ですが、400年前の1611年3月28日、二条城で豊臣秀頼と徳川家康の対面の時に、秀頼公のお供として同伴。その後、熊本への帰路、病に伏されて6月24日に他界するのです。
家督を継いだ加藤忠広公の時代、1633年に加藤家改易となります。山形県鶴岡藩の徳川家臣・酒井家に1万石で預かりの身となります。加藤家再興することはかなわず、忠廣公は他界しました。
江戸時代中期の安永7年(1778年)、加藤家の末裔とされる加茂屋專之助が酒銘を「冨士」と定め酒造業を始めます。酒名に「冨士」をつける所以は分かりませんが、「冨士」の文字は左右対称をなし、裏表のない酒造りに対する姿勢を貫く意が含まれるといいます。まさに清正公の気質がうかがえます。
◆世が世ならば。コラボの酒発売
私は大学時代、清正公の末裔の酒蔵・冨士酒造の御曹司・加藤有慶(現・社長)さんと知り合うご縁に恵まれました。世が世ならば「ご尊顔を拝し、恭悦至極に存じ奉ります〜」というところなんでしょうが。
そして、今年、熊本の幻の酒米を冨士酒造へ運び、吟醸酒を仕込みます。清正公の縁で結ばれる熊本と鶴岡。清正公の遺徳を思いながら味わってもらう酒が、今年、生まれます。 |
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546号 2011年2月6日
(57)酒粕健康美容学
◆酒粕って 何?
酒米を蒸して、タンクの中に水と麹米と混ぜ合わせ酵母を入れます。モロミの中では、酵母が活発に働き始めます。酒米のデンプン質を麹菌が造りだしたアミラーゼ(糖化酵素)が働き、糖分に分解されます。分解された糖分が酵母に取り込まれます。するとアルコールと炭酸ガスに分解されます。もろみは日に日にアルコール度数が増してきます。
約1カ月でアルコール度数は約18度まで高くなり、発酵が終わります。もろみは「液体」の部分が清酒(製品)になります。「固体」の部分は酒粕となります。
どれぐらいの量の酒粕がとれるかというと、蒸米の約20〜30%ほどの量です。1tの蒸米で酒を仕込むと200〜300sの酒粕が出ます。米の品種によって、収穫した年によっても酒粕の量が変化します。酒の裏ラベルに粕歩合が記載されている日本酒もあると思います。
◆栄養たっぷりの酒粕
酒粕の成分は日本食品標準成分表によると、水分51%・炭水化物23%・蛋白質13%・脂質・灰分となっており、他にもペプチド・アミノ酸・ビタミン・酵母などが含まれているので、栄養素に富んだ食品です。1975(昭和50)年以降、年々、日本酒の生産量が減少していること、近年、大手日本酒メーカーが高熱液化仕込み(高温糖化法・融米仕込み)を採り入れています。この工法は酒粕がほとんどできません。そのため、副産物である酒粕が激減しています。日本中で生産される酒粕も45000トン程度で、粕漬けを生産する食品メーカーは、量が減り、価格が高騰して悲鳴をあげています。
本シリーズでは酒粕の素晴らしさをお伝えします。酒粕にはいわゆる悪玉のLDLコレステロールを下げる驚きの効果があるといわれています。しかも酒粕は植物性繊維を豊富に含み、胃腸の内部をきれいにしてくれ、お通じを改善してくれます。しかも、酒粕の中には、豊富な必須アミノ酸(人間の体内で合成できない必要なアミノ酸類)をたっぷり含んでいます。
◆願わくば…
粕の持つ成分が健康に寄与するという内容。実は酒粕のみならず、日本酒にも多くの必須アミノ酸を含み、体温を上昇させる効果があります。体温を高くする効果は、ガン細胞の増殖を抑制させます。低体温があらゆる病気の根源です。
寒くなるこの時期、鍋料理の調味料として日本固有のさまざまな発酵食品を用います。その一つが酒粕。この酒粕の消費拡大は、きっと日本酒消費拡大のきっかけに繋がることは確かです。「酒粕」をツールにして、各都道府県の酒造組合は、直ちに、ポスターやパンフを作成して、啓発活動を促すべきです。鉄は熱いうちに打て。向かい風の多かった時代の中で、今は少し追い風になってきているようです。今年の啓発が今後10年の日本酒の未来を決めるでしょう。〜予言〜 |
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550号 2011年3月6日
(58)新幹線は名物を育む
いよいよ3月12日(土)に九州新幹線・新八代〜博多間が開業します。これにより、北は新青森〜鹿児島中央まで、新幹線で結ばれることになります。そして、4年後の2015年には、新青森から函館まで新幹線が延伸します。九州から北海道まで、高速鉄道で日本列島が一本列島となります。
◆九州の魅力を選ぶ
九州新幹線の「さくら」と「みずほ」が、鹿児島中央〜熊本〜新大阪を結びます。熊本から大阪までが、約3時間で結ばれます。早いですね。
新幹線が開業すると、それまでの地元限定の名物が、全国ブランドへとステップアップする商品も生まれるでしょう。
例えば、昭和40年後半から、国鉄のキャンペーン「ディスカバージャパン」や「いい日旅立ち」によって、新潟の地酒「越乃寒梅」「八海山」が全国に巣立っていきました。
昭和50年の山陽新幹線・博多開業によって、「博多辛子めんたい」「銘菓ひよこ」が名物となりました。
昭和57年の東北新幹線の開業によって、仙台の「牛タン」「笹かまぼこ」が名物となりました。
山形新幹線、長野新幹線、秋田新幹線開業においても、それぞれの名物が発掘されたり、地元で秘かに飲まれていた銘酒が、全国的なブランドとなったりしています。
九州新幹線全線開業によって、人の往来もこれまで以上に激しくなるでしょう。人の往来だけでなく、九州の魅力を運び、九州の文化を運ぶ新幹線。そんな未来志向の乗り物であってもらいたいものですね。
私たちの住む菊陽町から「馬刺し」を核にして、馬の好物「人参」の加工商品(ドレッシング、お菓子、焼酎、カレーなどなど)を、地元の食材を使用して、地元の調理法で作り上げ、全国へ発信する。そんな仕掛けを考えたいものです。 |
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554号 2011年4月3日
(59)江戸時代の男衆はよく呑んだ
◆江戸時代の下り酒
西暦1603年、江戸に幕府が開かれ、各大名に参勤交代の令がでると、江戸詰めの多くの家臣が住むようになります。記録によれば、徳川幕府の1600年代前半は20万人程度の人口が、元禄時代(1600年代後半)には80万人にも達し、江戸時代中期には100万都市になっていたそうです。そのため、江戸は急激に人口が膨れ上がりました。特に、単身赴任で江戸に詰めている人は未婚の男性が多く、多くの生活物資が必要となりました。この時代、経済の中心地は上方(かみがた)でした。生活物資の中で、特に日本酒は、灘や伊丹の酒が多く運ばれました。
樽酒の江戸への輸送は、1619年(元和5年)堺の商人が紀州・富田浦の廻船を雇って、江戸まで運ばせたことが始まりと言われています。
江戸に下る酒の名醸地として、摂津の国の伊丹、池田、富田、鴻池などが急速に発展をしました。特に、伊丹の酒は、江戸の男衆に人気が高く、高値で取引されていたようです。
◆江戸の男衆はよく呑んだ
江戸の男衆はよく日本酒を呑みました。どれぐらい呑んだかというと、元禄10年(1627年)の調査によると、江戸に入った下り酒の記録が64万樽ということです。樽には1800mlの一升瓶が37本入る量です。この時代の江戸の人口が70〜75万人ですから、一人当たり56gすなわち、一升瓶31本に相当する量を消費しています。現在の日本酒消費量が、1年間で一升瓶3本弱でありますので、江戸時代の人たちは、現代人の10倍を呑んでいたことになります。ビールが無かった時代を考慮しても、まぁ〜よく呑んだということがうかがえますね。
そういえば、昨年のNHK大河ドラマ龍馬伝・福山雅治氏も日本酒を呑むシーンが多かったですね。あなたは、1年に31本の日本酒を飲めますか? |
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558号 2011年5月1日
(60)日本酒の級別制度 〜品質基準は誰が決める?〜
◆品質基準は誰が決める?
日本酒は昭和の時代は特級、一級、二級の級別分類されていました。ご記憶に新しいことかと存じます。昭和18年に導入された「級別制度」は、平成元年に特級が、そして平成4年に一級及び二級が廃止されました。約半世紀つづいた制度でした。 完全撤廃されて20年近く経った今なお、「一級・二級」とか「上選 佳撰」と級別の呼称を使われる方がいらっしゃるほど定着していた級別制度でした。
各等級の概ねの基準は、「特級は品質が優良であるもの。一級は品質が佳良であるもの。二級は特級及び一級に該当しないもの」ということでした。級別の認定は国税局の酒類審議会の官能審査によって行われていました。蔵元は各タンクのサンプルを提供し、希望する級別の審査を受けるという仕組みです。お酒の品質をお上が「これは特級酒、これは一級酒・・・」という具合に認定していたのです。
それでは、なぜ、級別制度が採用されるようになったのでしょうか。一般的には戦時体制下における酒税増徴が目的であったとされています。級別表示がされていれば二級より一級、一級より特級の方が良い酒だと思ってしまうのは仕方ありません。良い酒を求める消費者は必然的に等級の高い酒を求めます。
そして等級の高い酒は酒税も高い・・・。結果的に高い酒税が収められるようになるという仕組みだったのでした。
◆「地酒は二級酒が旨い・・・」
私が学生のころ店番をしていた時に、お客様が口々に言っていたことがありました。「地酒は二級酒がうまかもんなぁ〜」。特級酒品質の酒を、酒類審議会に出さずに、二級酒として市場に出すメーカーもありました。特級酒よりも安くて旨い酒が市場で出る。それを飲んだ味の分かる消費者は、その酒を旨いと認めて、その酒のファンになる。そして「地酒は二級酒がうまかもんなぁ〜」となった訳です。
お上が品質を認定した時代から、品質の価値基準は、消費者に委ねられたわけです。本日のふところ具合と本日食べたい料理によって、どこの地域のどこの酒の大吟醸、吟醸、純米、本醸造、普通酒・・・を選ぶかはお客様次第です。分からない時はたずねてください。 |
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