三里木区 たわらや酒店 宇野功一
(202)地酒途中下車 JR九州・日豊本線 西都城駅
35年ぶりに復活した
芋焼酎蔵・柳田酒造の親子の物語
◆西駅が栄える
余談から話を始めます。鹿児島も都城も「西駅」が栄えています。鹿児島駅より西鹿児島駅が栄えていますし、都城駅より西都城駅が栄えています。残念ながら、西鹿児島駅は、九州新幹線開業とともに、鹿児島中央駅に駅名を変更してしまいました。鹿児島も都城も「西駅」という言い方は今も健在です。
◆街中にたたずむ柳田酒造
西都城駅から離れていない早鈴町に柳田酒造はあります。コンクリートやブロック塀の多い昨今、石を重ねた石塀が目につきます。庭木にマキの木が多い。そんな閑静な住宅地の一角に柳田酒造はありました。
創業は明治35(1902)年。柳田正氏(現社長)と初めてお会い致しました。
柳田正氏は昭和48年生まれ。私の大学の後輩になります。
◆麦焼酎一筋
柳田酒造のある都城は20度の芋焼酎の消費地であります。都城で酒というと9割は20度の芋焼酎と答えるでしょう。そんな市場で、麦焼酎だけを醸す柳田酒造は、ある意味異色。
40年ほど前、柳田正氏の父の代に麦焼酎しか造らない英断に踏み切ったといいます。それまで「千本桜」という芋焼酎を醸していたのですが、「K島」という大手メーカーが君臨をし始め、芋焼酎を醸すことを止めて、敢えて麦焼酎の道を選んだといいます。市場は地元から全国へ。市場ができるまで多くの苦労があったようです。現在も大半は県外出荷がメインだそうです。
◆35年ぶりに復活を果たした『千本桜』(せんぼんざくら)に夢を託す
蒸留方法に工夫を凝らし、自らのスタイルでつくり出した麦焼酎の代表銘柄「赤鹿毛」(あかかげ)と「青鹿毛」(あおかげ)。今では、麦焼酎の分野でおいて、高評価を受けており、入手困難な麦焼酎にひとつ。
麦焼酎の分野で、焼酎づくりに確かな自信を深めた柳田正当主は、40歳の時に、芋焼酎「千本桜」の復活を決意。奇しくも、父・柳田勲氏が断腸の思いで「千本桜」の仕込みを辞めた年が40歳であったという。
当初、芋焼酎の復活に猛反対していた病床の四代目・柳田勲氏も、息子・柳田正氏の思いの強さに折れそうです。勲氏は病に冒された体を奮い立たせて陣頭指揮を取り、正氏に創業以来、受け継がれた製法を伝授していったそうです。「千本桜」は、2013(平成25)年、カムバックしたそうです。35年ぶりの復活に、柳田酒造の蔵人たち、みな感無量だったそうです。
原料の芋、原料の米麹にもこだわり、晩酌で楽しんでいただけるお手頃な価格で発売をしています。
発売から10年。安定して美味しい芋焼酎を製造しています。ソフトタッチな味わい、ほんのりと甘味をのせた味わいは、ビギナーから芋焼酎通まで、多くの方を魅了しています。芋焼酎の基本アイテムの一つに、是非「千本桜」を入れてみてはいかがでしょうか。
【復活芋焼酎 母智丘 千本桜】
1800ml 2,648円(税込) /
720ml 1,324円(税込) |