三里木区 たわらや酒店 宇野功一
(156)酒の神様 野白金一物語 その5
◆「猛烈」…明治の偉人
明治42年に熊本市川尻の瑞鷹の敷地に酒造研究所が完成しました。野白金一は、冬の時期になると、自宅に戻ることはほとんどなく、ずっと研究所に籠りっきりで酒づくりに没頭しました。
吉村彦太郎(瑞鷹の当主)より、酒づくりをみっちりと習得しようとする男がいました。彦太郎の弟、吉村和七です。酒造研究所には、当時としては最新鋭のお米を磨く精米機やボイラーも設備され、半仕舞(※1)で1日に5石米を潰す(※2)規模の酒づくりが行われました。研究所で試験醸造をしながら、熊本県下の酒蔵も巡回指導はもちろん、福岡、佐賀、大分まで巡回し、時には、壱岐や対馬にも渡り焼酎の指導を行ったり、球磨にも指導へ赴きました。まさに猛烈という言葉がピッタリのように研究と指導に邁進しました。
国策とはいえ、健全な酒を造り、殖産興業化を推し進め、近代日本の礎を築くために働くというのは、明治日本人の崇高な精神、生きざまのようにも思えます。
※1=「半仕舞い」とは…仕舞いとは、お酒を仕込むこと。毎日、毎日、タンク1本ずつお酒を仕込むことを「日仕舞い」といいます。「半仕舞い」は、言い換えると「1/2仕舞い」とも言い、二日に1本ずつお酒を仕込むこと。
※2=「5石米を潰す」とは…「白米を5石使う」ということ。1石は現在のお米の量としては150sで、5石ならば750sです。総米750sの仕込みとなります。これは、現在の大吟醸小仕込みの量も概ねこの仕込み量です。仕上がるお酒は一升瓶で800〜1000本出来上がります。8石〜10石の酒になります。
明治の後半であるから、現在のように60%以下のように吟醸仕込みはできなかった。水車精米、足踏み精米が主流であったこの時代に、動力を使った精米機が設備されていた研究所は近代的な酒蔵でした。試験醸造であったにせよ、設備は贅沢なものでした。吉村家の想いはそれに応えようとする野白の酒づくりの熱意がよく分かります。
◇野白流儀の熊本吟醸の最高峰。ワインと同じくコルク栓。発売以来、全国の酒ファンを魅了し、漫画「美味しんぼ」にも登場しています。今年のお歳暮におススメします。
【千代の園 大吟醸 エクセル】
原料米 兵庫県産山田錦
精米歩合 40% 日本酒度 +2.0
酸 度 1.2ml アミノ酸度 1.3ml
度 数 15.5% 酵 母 熊本酵母
価 格 720ml 3,500円(税別) |