三里木区 たわらや酒店 宇野功一
(152)酒の神様 野白金一物語その1
世界中で今、静かな日本酒ブームが起こっています。現在でも日本中の日本酒は、熊本市島崎にある熊本県酒造研究所(香露醸造元)で生まれた酵母で仕込まれています。実は、日本酒のメッカ(聖地)は熊本なのです。意外に知らない酒の神様・野白金一博士の生涯を、シリーズでご紹介したいと思います。
◆肥後の灰汁持ち酒
誠に困ったことが起こってしまいました。肥後藩は昔から清酒醸造はご法度でした。なぜならば、冬は寒いとはいえ、温暖な地域で、健全においしい清酒を醸すことはたいへん危険です。温暖な地域でも安全に作ることができるのが灰汁持ち酒「赤酒」でした。実は、藩主は酒蔵が醸造に失敗して、倒産するのが怖かったのです。
藩に入る酒税金は江戸時代において、相当な割合を占めていました。米を原料に、その米を磨き、磨いた米でモロミをつくり、酒を仕込む。酒は米の何倍もの価格で売られていました。米が貴重だった上に、贅沢に米を磨いて醸した酒は、高価格となり、それなりの身分の方が嗜(たしな)んでいました。庶民が酒を飲むというのは、盆、正月か収穫に感謝する豊年の秋祭ぐらいでした。
肥後藩の酒は赤酒。赤酒は「御国酒(おくにざけ)」と言われていました。普段の晩酌はもちろん、お正月の御屠蘇酒も赤酒を用いました。一方、他藩の清酒は「旅酒」と言いました。藩外に出た者は旅先で清酒を飲み、赤酒と違った味わいを絶賛しました。
困ったことは明治維新に始まりました。藩が無くなり、人と物の往来が自由になると、他県の清酒「旅酒」が、どんどん熊本へ入ってきました。熊本の赤酒の造り酒屋はお手上げの状態となり、廃業に追い込まれる酒蔵もありました。
◆野白金一、熊本へ赴任
1903年(明治36年)8月、野白金一氏が熊本税務監督局へ赴任。翌年2月に始まる日露戦争の足音が聞こえ始めた時節でした。日本陸軍・熊本第6師団は、陸軍屈指の精鋭師団として、日清戦争でも活躍したことが日本中に知られていました。鹿児島、都城、久留米そして熊本の九州男児で組織されたこの師団は特に酒を好んで飲んでいました。“うまか”酒を飲み、酒税を納め、産業を興し強い兵隊を組織し、先の徳川幕府が締結した不平等条約を改定させることに明治の日本人は躍起になっていました。
野白金一氏はこんな時代背景の中、1876年(明治9年)12月18日に松江市に生まれました。1898年(明治31年)9月に東京工業高等学校(現在の東京工業大)応用化学科に入学し、1901年7月に同大を卒業。初任は松江でしたが、2年後熊本に赴任して格闘が始まるのです。(つづく)
○野白金一氏が初代社長を務めた酒蔵「香露」
【香露 特別本醸造旧特級酒】
原料米 麹・九州神力 / 掛・九州神力
精米歩合 60% / 日本酒度 +1.0
酸 度 1.4ml / アミノ酸度 1.7ml
度 数 15.8% / 酵 母 熊本酵母
価 格 1800ml 税込2520円 |