三里木区 たわらや酒店 宇野功一
(142)夏の甲子園100回記念大会に思うこと
平和な時代をつないで行こう!
◆夏の甲子園100回の歴史
日本の夏の風物詩となっている夏の甲子園大会が、今大会で100回目を迎えます。
夏の甲子園大会の正式名称は、「全国高等学校野球選手権大会」といいます。第1回大会が開催されたのが、1915(大正4)年のことです。甲子園の長い歴史の中で、開催されていない年があります。
〇第4回大会・1918(大正7)年。米騒動のため。
〇第27回大会・1941(昭和16)年。日華事変の激化。
その後、翌年(1942年)から昭和20(1945)年まで、甲子園の開催がされていません。戦後、復活したのは、1946(昭和21)年の第28回大会からでした。
◆高校野球の甲子園、日本酒の品評会
余談ですが、「全国高等学校野球選手権大会」が開催された時、まだ甲子園球場ができていませんでした。球場で大会が行われるようになったのは、1924(大正13)年・第10回からでした。
日本酒の業界でも、この時期に全国大会が開催されるようになりました。日本酒の品質向上を目指して、大蔵省は、東京都滝野川に、醸造試験所を開設。1911(明治44)年から、隔年開催で、全国清酒品評会が開催されるようになりました。品評会出品用に、特別に吟味した米を、高度に精米して、低温でじっくり醗酵させた日本酒を、いつの日か吟醸酒と呼ぶようになりました。
品評会で金賞を受賞すると、蔵の酒が売れることにつながり、大正時代には、全国清酒品評会が活況を呈してきました。エントリーする蔵元も、回次が進むごとに多くなりました。しかし、全国清酒品評会も、1936(昭和11)年を最後に開催されなくなりました。戦前、統制経済の下で、贅沢に吟味して醸(かも)す吟醸酒は製造できなくなったのです。
今年も夏の甲子園が開催されます。球児たちの熱戦が楽しみです。忘れていけないことは、甲子園が開催できることも、清酒鑑評会(戦後は鑑評会に)ができることも、平和な時代が持続しているからなのです。平和な時代を、今後も守らないとならないと思うのです。 |