三里木区 たわらや酒店 宇野功一
(122)地酒途中下車・肥薩線嘉例川駅
究極の芋焼酎を目指す「佐藤」の蔵をたずねる
◆悠久の時を重ねる嘉例川駅
熊本・八代駅から球磨川を縫うように走り人吉へ。人吉から加久藤峠を越えて吉松。そして日豊本線隼人を結ぶ全長124.2qが肥薩線だ。実は現在の鹿児島本線ができるまで、この路線はれっきとした鹿児島本線であった。全線開通は1909年(明治42年)11月21日。明治時代、物資の輸送はもっぱら鉄道であった。新政府の偉人を輩出した薩摩へ、鉄道を繋げる執念が感じられる明治の幹線だ。9月のある日、嘉例川駅に降り立った。最近「百年駅舎」としてテレビなどに登場して、鉄道ファンの間ではかなり有名になった駅だ。
◆究極の芋焼酎を目指す佐藤
霧島連山の麓、牧園町に佐藤酒造はある。佐藤酒造の歴史は1906年(明治39年)に創業。ちょうど、肥薩線の開通の頃に創業を開始したのもおもしろい。芋焼酎一筋に醸造を続けるが、戦時中に一時休業を余儀なくされた。
1952年(昭和27年)に創業を再開。再開と同時に清冽な水の湧き出る現在の牧園町へ移転。
1970年(昭和45年)に加治木酒造協業組合(現在の国分酒造協業組合)の立ち上げとともに加盟するが、その間、佐藤酒造独自のブランドを世に出すことは無くなった。
1984年(昭和59年)に協業組合を脱会。代表銘柄「さつま」を世に出す。
◆芋の旬の時期だけ・・・
蔵の中をくまなく案内してくれたのは鳥越真二氏。見るからに薩摩隼人の蔵人である。
芋焼酎の仕込みは、さつま芋が収穫される8月下旬から始まる。そして、霜が降りる12月に仕込みが終わる。霜が降りると、芋は甘味を増す。食すには美味しい芋だが、芋焼酎には向かない。昨今の芋焼酎ブームで、冷凍した芋を使い、年中仕込む蔵が大半を占めるようになったが、仕込む前日に掘った新鮮なコガネセンガン(芋の品種名)で芋焼酎を仕込む。
芋を回転する円形の籠に入れて、水で丁寧に洗う。洗われた芋はベルトコンベアーで運ばれる。ベルトコンベアーの両脇には左右8人ずつの蔵人が片手に包丁を持ち、片手に芋をつかんで、目視で芋を確認。包丁でヘタを切り落とし、傷んだ箇所を取り除き、芋蒸し釜へとつながる別のベルトコンベアーへ移す。16名の蔵人は実に手際がよい。未熟な芋や芋全体が傷んだものは、廃棄される。整った芋だけが芋焼酎の原料となるのだ。一日に4.5トン×2回=9トンもの芋を処理するという。一人平均560sの芋を、午前中で処理するのであるからとても重労働。芋は水で洗った瞬間から劣化が始まるので、いかに早く処理して、芋を蒸し、モロミの中に入れるかが、おいしい焼酎になるかどうかが決まるという。まさに、時間との勝負の現場を見た。(次回に続く) |