(109) 三里木区 たわらや酒店 宇野功一
球磨焼酎放浪記−3−
球磨焼酎の変遷―麹―
「本来の球磨焼酎と現在の球磨焼酎は香味が違った」ということをご存知でしょうか。球磨焼酎を麹という微生物の変遷で振り返ってみたいと思います。
■黄麹は日本の稲作文化に根差した最も伝統的な麹
黄麹菌のことを学名でアスペルギルス・オリゼーといいます。オリゼーとはラテン語で稲のこと。稲と黄麹には深い関係がありました。
黄麹のルーツとして考えられるものに、稲麹があります。毎年稲穂が熟成するころ、その稲穂について発育する麹です。稲穂に濃緑色の大豆ぐらいの大きさの玉がつき、指ではじくと胞子がぱっと散ります。古代、日本人はこの稲麹から黄麹を分離して、利用する方法を発明したのです。そして生まれた食材が、酒、味噌、醤油、みりんなどでした。日本人の食生活に欠かせないのが古今問わず黄麹でありました。
■球磨焼酎は400年以上黄麹で造られてきた
15世紀、球磨地方で造られ始めた米焼酎は黄麹製でした。以来400年以上にわたり、米と黄麹の組み合わせでおいしい球磨焼酎が生みだされてきたわけです。
■昭和17年 黄麹が無くなる
明治の終わりごろ、鹿児島では琉球・泡盛の麹菌である黒麹がもたらされました。鹿児島全域に広まりました。黒麹は麹菌が自ら、クエン酸を生産してくれるため、雑菌を寄せ付けないという性質があります。
一方、黄麹菌は主に清酒の仕込みに使われる麹菌で、独自で作る酸が少量です。清酒の場合、酸を別の方法で造り出す、もしくは、乳酸を添加する方法で、雑菌の繁殖を抑制しています。
しかし、球磨地方に黒麹がもたらされるのはそれから30〜40年後の昭和17年ごろです。球磨焼酎はより長く黄麹にこだわり続けたようです。昭和17年といえば、第二次世界大戦中。米不足のため、球磨地方でも、仕方なく芋焼酎を造るようになった時代でもありました。鹿児島の杜氏も球磨地方にやってきました。そんな鹿児島の蔵人が黒麹をもたらしたと言われています。次第に黒麹の使用が増え、さらに昭和45年以降は白麹(黒麹の突然変異で生まれた麹)がほとんどを占めるようになりました。
■黄麹への回帰
黄麹から黒麹→白麹へという最近の60年余りの流れは「造りやすさ」と「すっきりした飲み口」を求めた変化だったかもしれません。しかし本当にうまい焼酎に近づいたでしょうか?
球磨焼酎500年の歴史のうち、440年を占める黄麹仕込みの歴史に、もう一度立ち返り「深い味わいの球磨焼酎」の追求を試みた酒蔵があります。次回はその蔵について書きたいと思います。(続く) |