上津久礼区  古川医院  古川まこと B

菊陽町津久礼868−5    рO96−232−1566
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内科・外科・耳鼻咽喉科・小児科
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429号 2008年9月21日

(61)感染症の時代E 新型インフルエンザT

 新型インフルエンザは、もはやインフルエンザではなく、人類がこれまで経験したことのない、新たな全身性の重症感染症とも言われています。従来のインフルエンザが呼吸器や腸など限られた細胞しか増殖できませんが、このウイルスは全身の細胞で増殖します。感染すると全身の臓器に影響をもたらし、激しい全身症状と高い致死率が予測されます。人類は抗体を持っていないため、未曾有の感染爆発(パンデミック)となり、人類史上誰も経験したことのない危機となるでしょう。政府の予測では、感染者数は人口の25%で3200万人、死亡率は最大2%で64万人ですが、国立感染症研究所の田代眞人氏によれば、死者数百万人と予測しています。2006年WHOは「新型インフルエンザの大流行で20億人が発症し、4億人が死亡する」と警告しています。しかし、今回のウイルスははるかに強毒性のため、感染爆発の半年後には世界人口の半分以上の33億人が感染し、62%の20億人が死亡すると予想する専門家もいます。
 新型インフルエンザの大流行が日本で起こった場合、人口密度が高く、大都市を中心に空や陸の交通機関でのヒトの移動が多いため、感染の広がりやすく、死者や病人の人的被害だけでなく、経済的な被害が史上最悪・最大の規模になることが予測されています。流行の波が半年近くにわたり繰り返されるので、医療の崩壊や社会の大混乱、社会機能や経済活動の崩壊などパニック状態になる可能性もあります。新型インフルエンザが猛威を振るったとき、電気・ガス・水道・ゴミ収集などのライフライン・通信・公通機関・小売業・物流・銀行などに支障をきたし、社会生活全般に大きな影響を与えることが予測されています。
 現在、政府は抗インフルエンザ薬としてタミフルの備蓄を人口の22%2800万人分行っています。新型インフルエンザにタミフルが有効か否かは、不明ですが、鳥インフルエンザには一定の効果があります。しかし、新型インフルエンザには通常投与(タミフル2錠5日間)の2倍量、2倍の期間必要ですから、もし新型の治療にタミフルを使用すると、日本の備蓄量は人口の5%程度にしかならないようです。
 感染予防にはプレパンデミックワクチンを接種します。しかし、政府は、政府のスタッフ・警察官・医療関係者・社会機能維持のスタッフだけの接種をする予定で、全国民には行なう予定はありません(2000~30000万人分)。米国では約3億人分のプレパンデミックワクチンの備蓄をしています。しかし、このワクチンの効果を疑問視する専門家もいます。本当に有効なワクチンを新型インフルエンザの大流行時につくり始めても完成まで半年かかり、流行のピークがすぎ、すでに感染者や死亡者が急増する最悪の状態になっています。

参考資料:産業保健21 2008年7月 第58号(発行:独立行政法人 労働者健康福祉機構)
週刊ダイヤモンド 2008年7月26日号


433号 2008年10月19日

(62)感染症の時代F 新型インフルエンザU

 新型インフルエンザは、もはやインフルエンザではなく、人類がこれまで経験したことのない、新たな全身性の重症感染症とも言われています。従来のインフルエンザが呼吸器や腸など限られた細胞しか増殖できませんが、このウイルスは全身の細胞で増殖します。感染すると全身の臓器に影響をもたらし、激しい全身症状と高い致死率が予測されます。人類は抗体を持っていないため、未曾有の感染爆発(パンデミック)となり、人類史上誰も経験したことのない危機となるでしょう。政府の予測では、感染者数は人口の25%で3200万人、死亡率は最大2%で64万人ですが、国立感染症研究所の田代眞人氏によれば、死者数百万人と予測しています。2006年WHOは「新型インフルエンザの大流行で20億人が発症し、4億人が死亡する」と警告しています。しかし、今回のウイルスははるかに強毒性のため、感染爆発の半年後には世界人口の半分以上の33億人が感染し、62%の20億人が死亡すると予想する専門家もいます。
 新型インフルエンザの大流行が日本で起こった場合、人口密度が高く、大都市を中心に空や陸の交通機関でのヒトの移動が多いため、感染の広がりやすく、死者や病人の人的被害だけでなく、経済的な被害が史上最悪・最大の規模になることが予測されています。流行の波が半年近くにわたり繰り返されるので、医療の崩壊や社会の大混乱、社会機能や経済活動の崩壊などパニック状態になる可能性もあります。新型インフルエンザが猛威を振るったとき、電気・ガス・水道・ゴミ収集などのライフライン・通信・公通機関・小売業・物流・銀行などに支障をきたし、社会生活全般に大きな影響を与えることが予測されています。
 現在、政府は抗インフルエンザ薬としてタミフルの備蓄を人口の22%2800万人分行っています。新型インフルエンザにタミフルが有効か否かは、不明ですが、鳥インフルエンザには一定の効果があります。しかし、新型インフルエンザには通常投与(タミフル2錠5日間)の2倍量、2倍の期間必要ですから、もし新型の治療にタミフルを使用すると、日本の備蓄量は人口の5%程度にしかならないようです。
 感染予防にはプレパンデミックワクチンを接種します。しかし、政府は、政府のスタッフ・警察官・医療関係者・社会機能維持のスタッフだけの接種をする予定で、全国民には行なう予定はありません(2000〜 30000万人分)。米国では約3億人分のプレパンデミックワクチンの備蓄をしています。しかし、このワクチンの効果を疑問視する専門家もいます。本当に有効なワクチンを新型インフルエンザの大流行時につくり始めても完成まで半年かかり、流行のピークがすぎ、すでに感染者や死亡者が急増する最悪の状態になっています。

参考資料:産業保健21 2008年7月 第58号(発行:独立行政法人 労働者健康福祉機構)
週刊ダイヤモンド 2008年7月26日号


437号 2008年11月16日

(63)感染症の時代G 新型インフルエンザV 〜新型インフルエンザで死なない方法〜

 新型インフルエンザの感染のピークは6〜8週間続き、それが年に数回繰り返すと言われています。やむをえず外出するときはマスク(N95)とゴーグルとビニール手袋を着用することを勧めていますが、強力な感染力のために、マスクはまったく役にたたないこともあります。感染をしない一番安全な方法は、次の通りです。
@人ごみを避け、外出しない
A食料品を備蓄し、ワクチンが接種される時まで篭城する(ワクチン完成は半年後)
保健所も、自宅での安静・家族の外出自粛・学校・保育施設の閉鎖等を指示しています。結局、現代医学がまったく役に立たない状態なので、予防医学の基本のとおり「一人ひとりが自分のいのちを守る」しかありません。代替医療を含めて大きな視点から病気について考えることです。
  日頃、健康に注意し免疫力を高める食べ物・生活習慣を実行することです。玄米菜食少食をお勧めします。玄米菜食やその他の民間の健康法でガンや生活習慣病を克服した方々が増えています。食事の時の「いただきます」が、文字通り「いのちをいただきます」を意味しているとも言われています。いのちあふれる玄米や副食をよく噛み(一口30回から200回)、いのちある食べ物を感謝していただくことが、みずからのからだを免疫力の高いいのちあふれるからだにしていきます。そして、常にプラス思考で楽しく明るく、くよくよしないでいつも笑顔で人生を過ごすことです。新型インフルエンザにかかっても、決してあきらめないで「治る」ことを念じ、玄米を一口200回噛み、味噌汁と漬物、そして特効薬の梅干の黒焼きとネギ味噌をいただくことです。梅干が健康に様々な効用をもたらすことは昔から知られており「梅は三毒を絶つ」と云われます。「三毒を絶つ」は、すなわち食・血・水を清掃するという意味で、血液浄化が出来て万病に効果があるということです。またネギは、独特の香味成分(硫化アリルとスルフィド類)をもち、体を温め、消化促進、解毒作用を持っています。これはニンニクやタマネギ等と同じく、ウイルスの活性を抑える働きがあります。
  新型インフルエンザが大流行したとき、1〜2ヶ月間篭城する際、家族全員の食料・日用品の備蓄がいかに難しいかお分かりでしょう。そのとき、玄米菜食少食でも健康に生き延びることができることを知っておけば、そう苦労することはないと思います。天変地異の異常事態を生き延びるためにも、現実の状況に決してパニックにならないことです。何が起こるかわからない、こんな世の中です。何が起こっても、「ああ、来たな」と平然と冷静に生き延びる手立てを考えることです。新型インフルエンザの大流行に対しても、冷静に行動されることをお勧めします。


442号 2008年12月21日

(64)感染症の時代H  梅毒T

 「歴史は繰り返す」。有史から現在に至るまで、人類は戦争を繰り返してきました。人類を何回も全滅させるほどの大量破壊兵器を大国が大量に持ち、危機的な状況の現在です。過去の過ちに学ばない愚かな人類の命運は危ういものです。
 人類は感染症でも悲惨な被害をくり返し受けてきました。過去の悲惨な感染症の歴史に学ばない失敗を今も繰り返しています。感染症が大流行する背景には、その時代の天候・政治・経済状況・戦争、そして人々の生活スタイルや衛生観念や倫理感などの考え等々の影響が大いにあります。
 性感染症の梅毒は、ルネッサンス期にヨーロッパで大流行し多数の人々が悲惨な運命をたどることになります。この時代の風潮が、世界的なエイズの大流行そしてその他の性感染症の急増している現在にも共通するものがあり、やはり歴史は繰り返していることがわかります。
 15世紀末期は、ヨーロッパでは中世の封建社会やキリスト教会の権威に縛られていた時代が終わり、市民が力を持ち、自由を謳歌し、さまざまな芸術が花開くルネッサンス運動が起こり開放的な社会がうまれました。この時代、人々は性に対して非常に大らかな生活を送っていたようです。当時の社会は性に対してなんら社会的制約もなく、人々はまるで食事をするかのようにセックスをしていたようです。カトリック教会の聖職者が娼婦のもとに通うこともあり、修道院では、無償でセックスを提供することありました。売春は社会的に公認されており、娼家からの税収は教会や領主の貴重な財源でした。娼家は市営や教会経営であることもあり、王族や貴族も、美貌と教養を持つ高級娼婦のもとに通いつめました。このような性に対して開放的な社会を襲ったのが梅毒でした。
 王侯貴族、聖職者、そして多くの芸術家、あらゆる階層の人々が梅毒に侵され、苦しみながら人生を終えていきます。フランス王フランソワ1世(1494〜1547)も梅毒患者で、彼の治世当時、パリでは住民の三分の一が梅毒に感染していたとも言われています。イギリスのヘンリー8世(1491〜1547)も晩年は脳梅毒になり狂気のうちに亡くなりました。大作曲家や高名な詩人、哲学者らの病歴は明らかにされていませんが、多くの芸術家も梅毒に感染していたと思われます。
 作曲家フランツ・シューベルトも31歳で梅毒のため命を落としています。モーパッサン、ハイネ、ニーチェ、マネ、ロートレックなど多くの芸術家も梅毒に侵され、悲惨な人生を閉じています。
 
参考文献
  歴史をつくった7大感染症     PHP研究所
  感染症は世界史を動かす     ちくま新書


445号 2009年1月18日

(65)感染症の時代I 梅毒U 〜性感染症の増加の原因は「無知」〜

 多くの感染症の拡大の原因には時代背景も重要です。現在の日本も性感染症が増加しやすい環境になっています。日本は、敗戦後、連合軍(主に米軍)の占領期間をへて、軍事・経済・政治・文化すべてにわたり米国から影響を受けてきました。戦前の天皇制の呪縛から解き放たれ、戦後60年の間、すべてが米国風になり、自由を謳歌し、自由なセックス観の人々が増えています。ルネッサンスの時代と同じように、セックスに関して自由奔放な時代になっています。
 都会では中高生のセックス体験について次のような報告もあります。高校生男子性体験率35.8%で、その内7.3%がクラミジアに感染。高校生女子性体験率47.3%で、その内13.9%がクラミジアに感染。これは、テレビ・ビデオ・DVD・本・雑誌・インターネット・携帯電話等々で、セックスに関連して金儲けをする“ビジネス”が全国あらゆるところにひろがっていることも原因の一つです。セックス産業はビッグビジネスとして出版社やさまざまな業種の企業が巨大な利益をあげ、暴力団の重要な資金源ともなっています。普通の人々でも効率のいいビジネスとして行なうこともあります。                     
 先日のエイズ問題の番組で日本では買春率が17%以上で、先進国よりはるかに高く、最近、エイズをはじめ、性感染症が急激に増加しているとの報道がありました。多くの性感染症の病原体が明らかになっているにもかかわらず、大多数の人々が、性感染症について「無知」のために感染していきます。
 さらに、行政や政治の世界でも情報公開が積極的に行なわれていません。学校教育や市民講座で性感染症について話されることはあまりありません。熊本県健康福祉部健康危機管理課のホームページにエイズの記事がありますが、はたして何人の県民がこのホームページを見ているのでしょうか。エイズや梅毒そして多くの性感染症の情報が多くの人々に伝わらず、多くの人々はこの恐ろしく悲惨な病気を知らないまま、セックスによって感染が広がっています。血液製剤や母子間の感染によるエイズはセックスには無関係です。


449号 2009年2月15日

(66)感染症の時代J 梅毒V 〜「無知」をもたらす社会のしくみ〜

 性感染症に「無知」な人々が多い理由はさまざまです。性感染症に限らず、生活習慣病の糖尿病やガン等の多くの病気も「無知」が原因の一つです。病気への「無知」は個人の責任だけでなく、家庭環境や教育・生活環境そして政治や経済による社会のしくみにも原因があると思われます。
 以前、熊大代謝内科元教授は「昭和30年代の食生活と生活習慣で糖尿病予防可能」と言いました。しかし、糖尿病患者は年々増加し、現在2100万人。タバコ病とも言われる慢性閉塞性呼吸器疾患(COPD)の患者は400万人。成人男性喫煙率50%以下ですが、多くの方々がタバコの恐ろしさを本当に知らないままタバコを続けています。禁煙のきっかけにもなるたばこ増税も与党の反対で却下され、健康より経済優先の国策に唖然とするばかりです。
 テレビは全国民に多大な影響を与えています。ところが、視聴率を上げるための馬鹿げた番組が多く、貴重な収入源のスポンサー企業に配慮し、必要なほんとうの情報を伝えていません。NHKにしても政府の広報機関の枠を超えていません。イギリスのBBCのように国の政策批判を行なう自立したジャーナリズムの精神が日本には乏しいようです。1957年評論家大宅壮一が「テレビは1億総白痴をすすめる」と言い、「1億総白痴」が当時の流行語でした。半世紀たった今、これは現実かもしれません。4年前の小泉選挙でメディア操作により自民党の大勝利となった事実を見ると明らかでしょう。しかし小泉の郵政民営化・構造改革は日本経済の衰退と地方切捨てや医療・福祉の崩壊をもたらし、日本は最悪の格差社会になりつつあります。
 また、明治以来、がんじがらめの学校教育で国定教科書により教師から生徒への一方的な授業が行なわれ、子どもたちが自由に考え発表する時間がわずかしかありません。子どもたちの「考える」力が育たないのは当然です。大学受験のため、常に「一つの答え」を出すのが「授業」です。自由闊達な、創造力豊かな、自由に考え、発言する人間が育たないのは現在の教育制度が原因です。すなわち、政治の責任です。
 さらに、江戸時代のがんじがらめの身分制度が「物言わぬ」国民性をつくりあげてきました。人々は死を覚悟しお上に発言し反抗しました。考えないこと、発言しないことが生き延びるための生活の知恵だったようです。そのような国民性が現在まで続いているのが今の日本だと思います。
 したがって、本当に必要な病気の情報が少なく、また国民が積極的に政治や行政に意見を述べ行動していく姿勢が少ないため、社会全体の病気予防体制が整っていないのが現状です。このことが、さまざまな病気を蔓延させている大きな原因だと思います。


453号 2009年3月15日

(67)感染症の時代K 梅毒W 〜梅毒は今もなお恐ろしい慢性の感染症〜

 1492年コロンブスの艦隊が新大陸に上陸し、1493年スペインに帰国しました。1495年頃より梅毒は突然ヨーロッパに現われています。新大陸から梅毒を持ち帰ったとする説が有力です。15、16世紀、ヨーロッパは大航海時代を迎えていたため、ヨーロッパの梅毒は世界中に広がりました。梅毒は1498年ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマ船団の船員を介してインドそしてアジア中に広がり、1505年中国・広州に出現、1512年には日本に到達しました。日本では「南蛮瘡」と呼ばれ、江戸時代に遊郭から流行しました。
 わずか四半世紀(25年)で、梅毒は世界を駆け巡っていったのです。梅毒は、性交渉を介して伝染する細菌による性感染症です。最初、膿痘を伴う発疹が全身に現われ、鼠径部のリンパ節腫大が生じ、膿汁をもつ潰瘍になり、さらに皮膚をえぐって、鼻や咽頭、口の組織に欠損が現われます。骨に腫瘤ができ、神経も冒されて恐ろしい痛みを伴い、顔の形相にひどい変化を起こし、やがて死をもたらします。1495年頃梅毒は、急性の激烈な感染症として大流行し多くの人々の命を奪いました。その後50年以内に、現在のような進行の遅い型に変化しました。
 先天性梅毒は梅毒に感染した母親の胎盤を通じて胎児に感染し、流産や死産のとなることが多く、後天性梅毒は主に性行為によって感染します。感染後3週間ほどの潜伏期間を経て、発疹・リンパ節腫大し、3〜12週後には、病原菌が全身に広がり、バラの花びらに似た「薔薇疹」が現われます。その後、発疹や発熱、頭痛、疲労感、脱毛が出ます。いったんこれらの症状がなくなりますが、この無症状の潜伏期間に治療が遅れると無自覚のまま感染が進行します。感染から2〜3年経つと、全身のシコリや腫れが大きくなり、鼻や咽頭、口が変形、骨に腫瘤ができ、神経を冒して激痛を伴います。その後、細菌は中枢神経に達し、感染10年後、全身の麻痺、精神錯乱などが現われ、失明・歩行障害・言語障害・認知症などが出て、死に至ります。
 1905年に梅毒の病原体「スピロヘータ・パリーダ」が発見され、1906年「ワッセルマン反応」で梅毒の血清診断が始まりました。1940年代からペニシリン治療が始まり、20世紀半ばには、梅毒による死者が激減しました。しかし、梅毒は今なお世界中に存在しています。潜伏期間が長く、本人が気づかない例もあり、流行は衰えていません。現在でも治療を怠れば、命の危険のある病気であることに変わりはありません。日本では、毎年、数百人の患者が報告されています(25〜29歳の若年成人にピーク)。予防は不特定多数との性交渉を避けること、またコンドームの適切な使用です。経口避妊薬の普及でコンドームを使用しなくなり、感染が増加しているとも指摘されています。梅毒は一度治癒しても、再感染することがあり、予防の徹底が叫ばれています。
 参考図書
 「感染症は世界史を動かす」ちくま新書


458号 2009年4月19日

(68)感染症の時代L 結核T 

 つい約50年前まで、結核は国民病として、すべての国民に恐れられていました。9000年前の人骨に結核の痕跡を認めているように、大昔から存在した結核が、なぜ18世紀後半から19世紀にかけて産業革命期に大流行したのでしょうか。日本では明治・大正時代の富国強兵の時期に結核が大流行したのはなぜでしょうか。
 日本では1916年に約100万人の患者がいて、殆どが放置された状態だったようです(1900年日本人口4385万人)。幸田文の「おとうと」に描かれた青年の町医の言葉は、この当時の社会状況をよく表わしています。

 「日本は有名な結核国なんです。そして貧乏国なんです。国も貧乏、市町村も貧乏、医者も貧乏、患者も貧乏。でもせめて、みんながも少し結核の恐ろしいことを知ってくれて、結核にならないよう、なったら早いうちに手当てするように注意してくれたら、それだけでもどんなによくなるか。結核の多いくせに結核への知識が普及していないのです。−お宅なんかが、こんなに悪くなってからなんだから、残念です。」
(お宅:幸田露伴のような知識人の家庭)

 そして現在、結核と聞くと昔の病気のように思われるかもしれませんが、今もなお身近な重大な感染症です。現在、世界人口の3分の1の20億人が結核菌に感染しています!2006年には、世界中で年間に915万人が新規に結核を発病し、165万人が結核で亡くなられています(WHO推定)。感染症による死亡者数は依然として1位です。流行の中心は発展途上国で、患者の約9割を占めています。
 日本では、結核による死亡者でみると、昭和25年には約12万人死亡、死亡順位第1位であったものが、近年では年間約3千人死亡(1996年)、第24位となっています。医学の進歩や国をあげての結核対策の推進の成果です。
 しかし、現在でも、結核は身近な重大疾患であることは間違いありません。
 現在でも感染源となる患者(塗抹陽性結核患者)は年間2万5千人程度発生し、年間2千人死亡しています。また集団発生も後を絶ちません。最近では薬の効かない多剤耐性結核菌が問題になっています。現在の日本の結核患者の約8割は再発です。急速に進む高齢化社会の現在、人口の約3割、高齢者を中心とする3700万人がすでに以前の流行時に結核の感染を経験しています。免疫が弱くなると再び「しぶとい結核菌」が増殖するため、元結核患者の高齢者の再発も心配です。

参考文献: 感染症は世界史を動かす(ちくま新書)


462号 2009年5月24日

(69)感染症の時代M 結核U 〜明治政府の富国強兵策で「結核大国」に!〜

 結核は感染力が弱く、健康な人にとってはそれほど恐ろしい病気ではありません。しかし、結核菌は紫外線に弱いため屋外では感染しにくいのですが、締め切った室内に重症の結核患者がいると感染力が高まり、感染がひろがります。過去、多くの著名人・有名人が結核で亡くなっていますが、膨大な数の無名の方々が結核になり苦しみの中で亡くなっている悲惨な歴史を記憶の片隅にとどめておくことも必要です。
結核がはじめて大きな社会問題になったのは、18世紀後半から19世紀にかけて、産業革命期の都市のおける肺結核の大流行の時でした。イギリスで産業革命が起こると都市工業化が進み、多数の農民が都会に出て工場で働くようになりました。この頃から結核患者が急増していきます。当時の工場では労働者は安い賃金で過酷な労働を強いられ幼い子どもや女性も働いていました。工場の衛生状態は悪く、大人数が狭い部屋に押し込められ、満足な食事も与えられず慢性的な栄養失調で結核が蔓延していきました。当時の労働者の平均寿命は15歳というデータもあります。炭鉱でも、湿度の高い酸素の欠乏した劣悪な環境で結核患者が急増しました。19世紀のイギリスで、最も死亡率が高い病気が結核でした。
 日本では3世紀に大陸からの渡来人によって持ち込まれていましたが、大流行したのが19世紀に入ってからです。明治時代、富国強兵の名のもとに国内各地に製糸工場がつくられ、都市の工業化が進められました。日本の近代産業の急速な発展を支えたのが、農村出身の労働者や女工の安価な労働力でした。
 1900年前後の頃の人口の7割が農業で生計を立て、地主から借地している小作農は全農家の三分の二でした。しかも収穫の6割が現物徴収されていました。貧困にあえぐ小作農の娘たちはわずかな金で工場へ送り込まれ、毎日粗末な食事で12時間以上に及ぶ立ち仕事を強いられ、慢性的な栄養失調状態でした。密閉され湿度が高く、ほこりが舞う工場内で結核菌が蔓延し、女工たちのからだを蝕んでいきました。病いに倒れれば、工場内の物置のような医療室に放り込まれ、死亡すれば火葬され骨になり小さな白い包みに入れられ故郷に送られました。病気で解雇されてもふるさとで亡くなることが多かったようです。
 重工業が発展し、男子工員にも結核が広がっていきました。さらに、若者の男性に結核を広げた大きな要因は「徴兵制度」でした。徴兵され、狭い兵舎で集団生活を続けている間に、排菌する結核患者がいれば集団感染は避けられませんでした。結核で工場を退職したり、軍隊を除隊すると故郷に帰り、結核の感染をひろげることになり、結核は全国にくまなく広がったのです。結局、富国強兵策の中で、日本は「結核大国」となったのです。
 明治時代には、結核以外にもコレラ、天然痘、赤痢、腸チフスなどの急性伝染症が横行し、しばしば大流行を起こしていました。
参考文献:感染症は世界史を動かす(ちくま新書)


466号 2009年6月21日

(70)感染症の時代N 結核V 〜結核に侵され亡くなった人々〜

 不治の病と言われるような病気に罹患すると生涯その病気と付き合うことになります。残された時間といのちをいかに使うか、個々人の人生観によりさまざまな生き方・死に方があるようです。昔は結核、今はガン、罹患した患者のさまざまな人生があります。
 徳富蘆花の「不如帰(ホトトギス)」(1898年)のように、結核の患者が小説の主人公に取り上げられ、結核のイメージが人々に浸透していきます。主人公の結核による死が人々の同情と涙をさそい、不治の病・結核の悲劇を人々のこころに植えつけました。ホトトギスは口の中が紅く、人がその歌声をまねると血を吐いて死ぬと昔から言われていました。それが吐血を連想させ肺結核の別名となったようです。結核に倒れた正岡子規の「子規」もホトトギスを意味します。
 ロシアのチェーホフ(1860〜1904)はモスクワ大学医学部を卒業し医師になったばかりの24歳のとき、突然喀血しました。彼は喀血を繰り返しながら、活発な作家活動を続け、豊かでダイナミックな自然描写と深い絶望感の漂う暗く悲観的な人間描写との極端な2面性をもつ作品を生み出しました。彼の人生は旅の連続で、シベリア、ウィーン、ヴェネチア、ヤルタと転々としながら作家活動を続け、ドイツのバーデンヴァイラーでその旅を終えています。その他、ショパン、ドストエフスキー、バルザック、スティーヴンソン(宝島)も結核で亡くなっています。
 満24歳で夭折した樋口一葉(1872〜1896)はもっとも悪性度の高い奔馬性肺労(進行の速い肺結核)でした。その短い生涯に「たけくらべ」などの名作と膨大な日記を残しています。彼女の父と長兄が肺結核で亡くなり、17歳で一家の当主となりました。彼女は貧乏と結核の二重の苦しみのなかで作家を志していたが、どうにか原稿料で生活が出来るようになったのは死ぬ間際のほんのひとときだったようです。
 結核で苦しんだ正岡子規は21歳で喀血し、13年間の苦しい闘病生活の末に34歳で亡くなっています。両肺に大きな空洞ができ、腰椎の脊椎カリエスを併発しました。脊椎は潰れ、絶えず骨から膿が流れ出て腰部・臀部に流れていたため、妹が毎日膿を拭って包帯で包んでいたようです。彼は病床で仕事をし、手紙も書きました。「糸瓜(へちま)咲いて痰のつまりし仏かな」彼の辞世の句です。 
 水俣市出身の詩人、渕上毛錢(1915〜1950)も東京の大学に勉学中20歳で結核性股関節炎を患い、療養のため水俣の実家に帰りました。亡くなるまでの15年間、病床で俳句や詩の創作活動を行ないました。敗戦後1946年「水俣青年文化会議」を組織し、音楽会・観劇会などの文化活動の中心的役割を担いました。死の直前まで生きる意欲を持ち続け、生死を超えた「さとり」の境地にまで達していたようです。
 その他にも石川啄木、国木田独歩、梶井基次郎、堀 辰雄、森 鴎外などが結核とともに生きた作家です。
参考文献:「感染症は世界史を動かす」ほか


470号 2009年7月19日

(71)感染症の時代O 結核W

 1882年ドイツのロベルト・コッホが結核菌を発見しました。結核菌は長さ2〜10ミクロン、幅0.3 〜0.6ミクロンの細長の桿菌です。わずか100分の1ミリに満たない生き物に侵され、貴重な人生といのちを奪われる私たち人間はなんと無力な生き物でしょう。
 人と結核の歴史は古く紀元前6500年ごろのエジプトの古王朝時代の遺跡からも女性に脊椎カリエスの病痕が残っています。ハムラビ法典(紀元前1700年前後)や古代ギリシャの医学書(紀元0年前後)などにも結核に関する記述があります。結核は古代から中世、そして近代へと徐々に蔓延を続けてきました。
 結核菌は活動性の結核患者の痰や咳・くしゃみ・会話時の唾の中にあり、他の人に感染します。結核菌の特徴として、肺の奥の気管支壁に至らないと感染が起こらないので、麻疹やインフルエンザと比べて感染が成立しにくく、感染力が弱いのです。また、結核菌は紫外線に弱いために屋外での感染は起こらないし、部屋を換気するだけでも予防効果が上がります。しかし、未治療の重症の肺結核患者は多量の結核菌を出しているため、この患者さんに近づくと非常に感染しやすくなります。
 結核菌が肺に侵入すると結節をつくりますが、患者さんには症状がでません。栄養不良・過労・HIV感染・糖尿病等で免疫力が落ちると、菌が増殖して肺炎をおこし、発熱・咳痰・喀血などの症状が出始めます。結核のうち多くは肺結核ですが、実は結核は全身病です。肺の入口の肺門リンパ節の病巣から結核菌がリンパ管を通って首の付け根で静脈にはいります。そして大量の結核菌が血液に入れば、肝・肺・脾・眼底・脳などのすべての臓器に無数の小さな結核性病変をつくります。これを粟粒結核と呼びます。病巣のできた場所によって脊椎カリエス・腎臓結核・結核性髄膜炎・腸結核などがあります。
 1944年ワックスマンが抗生物質ストレプトマイシン、スウェーデンのレーマンがPAS(パス)を開発し、この薬の併用療法で劇的な治療効果を上げるようになりました。しかし、結核は今も尚身近な重大疾患です。現実に昨今、大都市圏での若者の結核が増加し、大学・学校等の集団感染、病院での院内感染の報告は跡を絶ちません。また、従来の薬剤の効かない耐性結核菌が出現していることから、結核治療も難しくなることもあります。今後、結核の予防対策や結核の早期発見・早期治療をいっそう進められるべきでしょう。

参考図書 「感染症は世界を動かす」ちくま新書他


474号 2009年8月22日

(72)感染症の時代P 感染症についての考察T

 結核菌だけでなくその他の多く細菌やウイルスのために人間が病気になりいのちまでも奪われてきました。これからも薬の効かない耐性菌や未知の細菌・ウイルスの大流行が予測され、現代医学でも治療困難な感染症が増えるようです。
 今は、人間中心の考え方を変え、新たな視点から物事を考えねばならない時代です。皆様もご存知のように「ガイア理論」では、地球は、すべての生物が相互に関係し合って作り上げた巨大な生命体です。 自然界ではすべてのものが無駄なく循環しています。この循環を縁の下で支える必須の役割を果たしているのが、微生物です。
 微生物とは、細菌や原生動物などのように顕微鏡を使わないと見えないような生物のことです。豊かな土壌には1グラム当たり10億個もの微生物が生きています。微生物は地球上の掃除屋として重要な役割を担っています。あらゆる地球上の動植物は死ぬと微生物により分解・処理され土に戻されます。日頃、目に触れる事のないこの微小な存在により自然体系全体が維持されています。地球上の微生物や動植物等のあらゆる生き物は、お互い支えあって生きているのです。この微生物をバイ菌として殺してしまうと地球上の生態系を乱し、最終的には人間自身の生存基盤をなくすことにもなります。
 人間から微生物まで、お互い生き物として自然の中で共生しています。人間が全ての生き物の頂点であるという傲慢な考えで生活をし、経済活動を行なってきました。世界中で続く戦争は最悪の環境破壊と人類殺りくです。近代化による人口爆発、開発と巨大技術がもたらした環境汚染等々。今、地球は危機的な病気になっているのです。原因は人間です、人間は「病原性の細菌やがん細胞」のように行動し地球を病気に追いつめているのかもしれません。それに対して地球は自然治癒力として自ら「発熱」するか、微生物が「掃除屋」としての役目をはたすため、未知の細菌や強毒性のウイルスが活動を開始しているのかもしれません。
 人類が生き延びる方法は、人間一人ひとりが上記について自覚することです。人間はもっと謙虚であるべきです。人間は地球上の生き物の支配者ではなく、地球上のあらゆる生き物のなかのひとつの生き物にすぎないことを自覚すべきです。出来るだけ他の生き物を殺さないと同時に同じ人間を殺さないように、平和に暮らしていくことです。世界平和がこれからの世界の課題だと思います。個人的には出来るだけ近代文明生活を少なくし、自然生活のスローライフ的生き方を目指すことです。


478号 2009年9月20日

(73)新型インフルエンザにどうそなえるか?

 新型インフルエンザが流行しています。年内に2500万人が罹患すると厚労省が予測しています。新型インフルエンザの大流行時に備えましょう。インフルエンザの大流行時には外出しないことが1番です。しかし、やむをえず外出するとき、感染しないように気をつけましょう。感染予防の基本は下記です。

@うがい(うがい薬による)、手洗いと手指消毒(石けん液と流水による)
Aマスク(咳エチケット)
B人ごみを避け、外出しない(食料品を備蓄し、感染のピークが過ぎるまで篭城)

 保健所も、感染が広がらないように、患者が出たら、自宅での安静・家族の外出自粛・学校・保育施設の閉鎖等を指示しています。
 今回の新型インフルエンザ(豚由来インフルエンザA/H1N1)は、治療薬(タミフル、リレンザ)が有効ですが致死率は0.5%と言われ、季節型インフルエンザより高率です。流行はいったん収束するものの数ヵ月後には第二波、第三波となって再度の流行が予想されます。この時、感染力や毒力の強いウイルス、抗インフルエンザ薬に耐性を獲得したウイルスに変異している可能性があり治療薬は効果がありません。
 さらに、当初新型化が予測されていた高病原性鳥インフルエンザウイルス(A/H5N1)による感染者は、今もなお世界各地で徐々に増加しており、その死亡率は脅威(致死率60%以上)です。この高病原性鳥インフルエンザウイルスが何らかの形で変異し、パンデミックを起こす可能性も否定できません。そのときは、現代医学がまったく役に立たない状態なので、予防医学の基本のとおり「一人ひとりが自分のいのちを守る」しかありません。代替医療を含めて大きな視点から病気にならない免疫力のしっかりしたからだをつくるしかありません。
 日頃健康に注意し免疫力を高める食べ物・生活習慣を実行することです。玄米菜食少食をお勧めします。玄米菜食やその他の民間の健康法でガンや生活習慣病を克服した方々が増えています。いのちあふれる玄米や副食をよく噛み(一口30回から200回)、いのちある食べ物を感謝して頂くことが、みずからのからだを免疫力の高いいのちあふれるからだにしていきます。新型インフルエンザにかかっても、常にプラス思考でくよくよしないで決してあきらめないで「治る」ことを念じます。できれば玄米を一口200回噛み、味噌汁と漬物、そして特効薬の梅干の黒焼きとネギ味噌をいただくと助かります。梅干が健康に様々な効用をもたらすことは昔から知られており、「梅は三毒を絶つ」と云われます。「三毒を絶つ」は、すなわち食・血・水を清掃するという意味で、血液浄化が出来て万病に効果があるということです。またネギは、独特の香味成分(硫化アリルとスルフィド類)をもち、体を温め、消化促進、解毒作用を持っています。これはニンニクやタマネギ等と同じく、ウイルスの活性を抑える働きがあります。
 新型インフルエンザが大流行したとき、2〜3週間篭城するとしても、家族全員の食料・日用品の備蓄がいかに難しいかお分かりでしょう。そのとき、玄米菜食少食でも生き延びることができることを知っておけば、そう苦労することはないと思います。


482号 2009年10月25日

(74)新型インフルエンザにどうそなえるか?A  〜過去の新型インフルエンザに学ぶ〜

 新型インフルエンザ(H1N1型)の世界的流行が始まっています。致死率は0.5%で季節型インフルエンザより高く、健康な子どもや若い人々も重症化することもあり、安心ができません。先述の感染予防の基本を守り、自分のからだは自分でまもりましょう。感染症の歴史を学び、感染拡大を防ぐことが重要です。
 ウイルスは他の生物の細胞を利用して、自己を複製させることのできる微小な構造体で、タンパク質の殻とその内部に詰め込まれた核酸だけで成り立っています。インフルエンザウイルス (virus) は直径100〜120ナノメートルですなわち1ミリの約1万分の1の大きさで、遺伝子は1重鎖のRNAです。インフルエンザが毎年流行を繰り返すのはRNA遺伝子の複製が、DNA遺伝子の複製に比べて突然変異がおこりやすいことからきています。
 スペイン風邪は、1918年(大正7年)から翌年にかけて世界的に流行したH1N1型のA型インフルエンザウイルス感染症です。当時の新型インフルエンザです。第1次世界大戦の最中、3波にわたり全世界を襲いました。第1波は1918年3月に米国北西部で出現。米軍とともに欧州に渡り、西部戦線の両軍兵士に多数の死者を出して戦争の終結を早めたといわれています。スペインの王室の罹患が大々的に報じられたことからスペインかぜと呼ばれるようになりました。第2波は同年秋、世界的に同時発生してさらに重い症状を伴うものになっています。第3波は1919年春に起こり、同年秋に終息に向かいました。その結果、当時の世界の人口の50%が罹患し25%が発症し死者2000〜4000万人と推定されています。その大きな要因の一つが、当局の対応の鈍さです。「ただのインフルエンザにすぎない」と衛生当局はなんら対策をとらず、手遅れになりました。
 日本でも、1918年(大正7年)の11月に全国的な流行となり、1921年7月までの3年間で、人口の約半数(2380万人)が罹患し、38万8727人が死亡したと報告されています。20代から30代の青壮年者に死亡率が高く、今回の新型インフルエンザも若い人の死亡率が高くなることが予測されています。
 さらなる脅威が迫っているようです。強力な毒性を持つ鳥インフルエンザ(H5N1型)由来の新型インフルエンザの大流行です。また世界ではSARS、エボラ出血熱等々未知の危険なウイルスが世界中に一気に拡散するリスクが高まっています。新種の感染症は現代医学が役に立たないことが多く、ワクチン製造も間に合わないようです。感染予防を徹底して行なうことが重要ですが、結局感染を防ぐには自らの自然治癒力・免疫力を最大限にたかめていくしかありません。


486号 2009年11月15日

(75)新型インフルエンザにどうそなえるかB 〜こころと食べ物で自然治癒力をたかめよう〜

 最新の医学、精神神経免疫学では、心の状態が免疫力を左右すると言います。風邪からエイズ、ガンに至るまであらゆる病気の発病と治癒に決定的な影響力を持っているのが心です。したがって、もし強毒性の新型インフルエンザが蔓延しても決して恐れたり悲しんだりしないで、安心、笑い等のプラスの感情ですごし、免疫力を上げましょう。
  漢方薬の麻黄湯は風邪やインフルエンザの初期に有効ですので、私は外来でよく使っています。また玄米菜食もおすすめします。玄米菜食(マクロビオティック)は米国では代替医療のひとつとしてガンや生活習慣病の予防と治療に効果があることが認められつつあります。玄米菜食少食が免疫力を上げ新型インフルエンザにも有効です。梅干の黒焼きとねぎ味噌もウイルスの働きを抑えます。

梅干の黒焼き
 梅干は古代より食用だけでなく薬としても利用されてきました。酸味の主体はクエン酸とリンゴ酸です。クエン酸は胃腸の働きを促進し、食欲をすすめ、タンパク質の消化を良くします。悪玉腸内細菌の抑制、整腸作用などに活用され、下痢と便秘を治すはたらきもあります。また、カルシウムと結合して骨を強化する効用や、鉄の吸収を促進しながら血行をよくする働きも期待できます。この梅干を黒焼きにすると効能がさらに強くなります。
 黒焼きの作り方は一般には「アルミホイルの中に大きな梅を数個いれてぴったりくるんで、アルミホイルを焼くだけ」で作りますが、食養では、素焼きのつぼに3年物の梅干をぎっしり入れ、約650度の高熱で5〜6時間加熱してつくります(自然食品店で販売)。これをそのまま少量食べてもいいし、お茶や葛湯にいれて飲んでもいいようです。              
ねぎ味噌
材料(10人分)
  長ネギ    5本
  味噌(豆、麦半々)ネギの総量 の1/4
  水
  白ごま    大さじ2
  ごま油    大さじ1

作り方
白ごまはゴミを取って水洗いし、水気を切り、炒って切りごまにする。
長ネギは薄い小口切りにする。
鍋に油をひき、ねぎの青い部分、白い部分の順に炒める。
ネギの1/4量の味噌を少量の水で溶き、3の上にのせて弱火で蒸し煮にする。
煮汁がなくなったら、混ぜ合わせ、切りごまを混ぜる。

是非一度試してみてください。


491号 2009年12月20日

(76)感染症の時代Q  〜感染症についての考察U〜

 ひとりの人間の腸の中には100兆個もの腸内細菌が生きています。人間の細胞が60兆個ですから、それよりはるかに多い数の細菌がお腹の中に住み着いています。まさに人間のからだの中も小宇宙です。
 腸内細菌は、女性ホルモン・男性ホルモン・ビタミン・酵素をつくり、血糖・血圧・コレステロール代謝の調節、タンパクの合成、発がん物質の解毒や免疫力をあげる働き等々に関与しています。私たちの体にとって腸内細菌は大変有効な働きをしています。また、体の中の老廃物や余剰物があまり多くなると細菌が体内に侵入し炎症という形で、「体内のゴミ」が焼却されると考えることができます。病原性の細菌やウイルスに感染しても、体力や免疫力が十分あれば炎症がおこっても死なないですぐ回復します。これは人間のもつ免疫細胞だけでなく腸内細菌の免疫力も大いに関係しているのです。地球とすべての生き物と同じように、人間と腸内細菌はともに生きる共生関係にあるのです。
 ウイルスや細菌への免疫力を高める方法は実に簡単で、そして難しい。体内に老廃物や余剰物そしてストレスをためない食生活や生き方は実践することです。昭和30年代の食生活と生き方をおすすめします。粗食と車を使わない生活です。粗食としてマクロビオティックの穀物菜食がベストです。「こころ」の治癒力も信じましょう。ささいなことにあまりイライラしないでゆっくりした腹式呼吸は全身がリラックスして自律神経を調えると免疫力を高めます。好きな歌を唄い、笑うことも大きく息を吐くので腹式呼吸になり、免疫力・自然治癒力が高まりストレスが解消されます。
 昔から「飽衣飽食、病の元」と言います。ラットを使った実験でも、過食のラットより少食のラットの方がはるかに長命です。大食や動物性食品・化学物質の添加物・白砂糖・白米・白パンは腸内細菌のバランスを崩し、悪玉細菌が善玉細菌より優位になり免疫力が低下します。また、世界的な食糧危機そして食料自給率の低い日本には、穀物菜食・少食は、ベストな選択です。感染症の時代を生き抜くためにもこのような食生活と生き方をお勧めします。


495号 2010年1月24日

(77)健康長寿は可能か@  スローフード・スローライフでたのしくゆっくり生きること

 昨年11月に熊本県最高齢の山口トヨメさんが109歳で亡くなりました。菊陽町在住で以前、往診でお会いしたことがあります。晩年までしっかりお話をされていました。人間の寿命は120歳とも言われていますが、はたして何人の方々が100歳以上生きのびることができるでしょうか。
 私たち一人ひとりのいのちの長さは誰も知ることができません。他人の病気や死に関心があるのは自らの病気や死を強く意識しているからです。仏教でも人間の一生は老、病、死の恐怖におびえる悩み苦しみの連続で、釈迦のいた2500年前も今日もあまり変わりないようです。
 私も高校生のとき、一緒に暮らしていた88歳の祖母が老いと迫りくる死の悲しみをいつも口にしていたことが忘れることができません。そのため不老長寿を夢見て、医学を志しましたが、今の医学・医療では不老不死は全く不可能です。それどころか、ガンや生活習慣病を克服することもできていません。最近脚光をあびている遺伝子医学・医療でもひとの寿命をのばすことはできません。
 今は、限られたいのち、残された時間をもっと楽しく生きることを考えた方が得策かもしれません。そのためにも、あまり日常の雑事や人間関係に思い悩まず、多少病気になってもあまり深く悩まないで、珠玉のようないのちの時間をたのしむスローライフが理想です。
 そのためにも、健康長寿の生き方を実践しましょう。皆様もそれぞれ自らの健康法を実践されていることと思いますが、食べ物とこころのありかたが最も重要だと思います。毒に満ちあふれたこの世の中で生きていくのは大変です。日常的に気をつけたほうがいいのは、有害な化学物質の含まれている化粧品などを使用しないこと。防腐剤や農薬などの有害化学物質が含まれている農作物や加工食品を食べないこと。結局、一番安全な食事・食事法がスローフードすなわちマクロビオティック・玄米菜食と少食です。
 そして現在の医学ではほとんど解明されていない「こころ」のありかたも健康に大きな影響を与えています。こころとからだは密接に関係があります。
 こころをゆるゆるにゆるめて、からだをゆるめることで病気にならないからだをつくることができます。


499号 2010年2月21日

(78)健康長寿は可能かA  あたまをゆるめ、大胆な改革を!

 日本国がすでに借金が過去最大の864兆円(平成21年9月末、1人あたり678万円) という破産状態にあり、格差社会が進行、地方の衰退も日常的な風景となっています。医療・福祉だけでなく社会的基盤全体の崩壊が進行し、日本社会全体が希望のない国になっています。
 昨年の政権交代で政治家と官僚中心の政治から国民の幸せを考える政治が行なわれると思われました。しかし、長年国民を愚民視し現在のような悲惨な国にしてしまった前政権は過去の亡霊となり論外ですが、現政権も前政権と同じく金まみれの政治家が政治の中枢に居座り、今回の土地購入をめぐる収支報告書虚偽記入事件やその他の疑惑に対しても説明責任もなく、議員辞職もしません。米国の民主党に対する秘密裏の謀略や検察権力の政治的圧力が今回の事件の背景にあるかもしれません。しかし、今の民主党には政治と金の関係を清算するという自浄作用はないようです。現実をみると日本の政治の夜明けはまだまだのようです。
 さまざまな問題を抱えながらも、ヨーロッパの国々が欧州連合(EU)でひとつにまとまりつつあります。これはまさに世界がひとつの国にまとまる世界政府へとつながる人類史上はじめての画期的な出来事です。ところが日本では、社会全体が動脈硬化現象で社会改革は遅々としてすすみません。社会を構成する人々も心身ともガチガチに硬くなって動きがとれない異常な状態になっているのが現状です。
 現代社会は、否応なく体が固まるようなしくみになっています。子どもから高齢者まで、きわめて不自然な管理社会の中で、常に緊張を強いられ、時間に追われるような生活環境の中で日々をすごしています。小さい頃からの受験競争、大きくなっても就職活動やストレスの多い仕事に追われ 交感神経が常に緊張しっぱなしで、副交感神経とのバランスがとれなくなっているのです。体の自由が奪われ、脳の働きが制限されているといっても過言ではありません。体も心もガチガチになるような慢性的な緊張を生み出す社会のシステムです。政治家・官僚や学者だけでなく、すべての国民の頭が固くなり自由で柔軟な発想がなく、社会全体の力が低下しているのです。
 本来人間があるべき状態、自由な発想と創造的なやわらかなこころとしなやかな体になるための訓練が必要です。そのためには、政治・経済・医療・福祉・科学・教育等々すべての分野でもっと大胆な改革が必要です。北欧の小国フィンランドは経済的にも発展し、充実した福祉、女性の社会進出、透明性の高い税金の使途、子どもたちの学力世界一等々で注目されています。その成長の秘密はどこにあるのでしょうか。

参考文献:「フィンランド 豊かさのメソッド」
著者 堀内都喜子 集英社新書


503号 2010年3月21日

(79)健康長寿は可能かB  〜フィンランドに学ぶこと T〜

 フィンランドからは教育だけでなく経済・医療・福祉・政治体制等々にも学ぶところが多々あります。フィンランドは日本からもっとも近いヨーロッパの国で、面積は日本から九州をとった位で、約500万人の人々が暮らしています。
 フィンランドは、12世紀以降隣国スウェーデンに支配され、19世紀にロシアに支配されてきました。1917年ロシアより独立したあとも、ソ連相手に苦難の日々が第2次世界大戦まで続きました。戦後、著しい経済成長を遂げましたが、1990年代はじめ、経済危機に襲われ、失業、不動産価格の暴落、貿易の衰退、銀行危機になりました。いわゆるバブル崩壊です。1993年12月、失業率20%で街には失業者があふれ、食べ物を買うお金もない人々も多く、住宅ローンの金利が14%以上に急騰し、大不況となっています。しかし、政府の積極的な政策で、状況は早く好転し、現在では競争力が世界一位にもなっています。大不況からどのようにして立ち直ったのでしょうか。
 政府は、銀行の改革・再生を行い、銀行の統合、不良債権処理を行ないました。また、IT産業に投資を惜しみなく行ない、同時に大学と産業、地域をつなぐネットワークを全国に築いていきました。一方、他の部分では徹底的に予算の切りつめを行い、国民生活のあらゆる面で影響がでました。不況克服には、このような変化や改革を担う人材への投資でした。他の国と対等にわたりあえる良い人材を創るために、国民全体の教育水準を高めることが必須でした。その結果、1990年代以降、教育制度の改革が行なわれ、さまざまな制度が整えられていきました。教育を担う教育者の質を高めるため、教育者の再教育も盛んに行なわれました。
 地方分権が進み、学校や教師に多大な決定権が与えられ、地域や学校が自由にカリキュラムを組み、教科書選びも学校ごとにできます。教師は公務員ではなくその学校の職員なので、教員採用も学校が行ないます。校長が教員採用の権限を持ち、応募者を面接して採用を決めます。1クラスは平均25人、一人の教師にアシスタントがつき、手工芸や理科の実験などでは、保護者にボランティアで参加してもらうこともよくあります。
 学力調査がトップレベルの理由として次のことが考えられています。
 「質の高い教師・偏差値編成や能力別クラスがない・学生のカウンセリングとサポート・少人数制・社会における教育の重要性が高い・教師という職業の社会的地位が高い・安定した政治・経済格差が少ない・地域差があまりない・・・・」。

参考文献:フィンランド 豊かさのメソッド」 著者 堀内都喜子 集英社新書


507号 2010年4月18日

(80)健康長寿は可能かC  〜フィンランドに学ぶこと U〜

 教師の質とともに大事なのは、カリキュラムや教え方です。ある教育大臣が述べています。
「教育で大切なことは情報を与えることだけでない。自分で考える力、問題解決能力、想像力、理解力、適応力を養うことである」。日本でも同じようなことは、言われていますが、ほんとうに実践したのがフィンランドです。
 フィンランド人は読書好きで、国民の80%が図書館に足を運び、図書館の利用率は世界一です。子どもの頃より読書の習慣があることも、学力調査の読解力が高い理由かもしれません。また、フィンランド人の語学力の高さも驚異的です。
 フィンランドは税金で支えられた手厚い社会です。消費税は22%、タバコやお酒も高く、ガソリンは60%が税金です。所得税の税率も高く給料の20%、30%が税金で手元に残るお金はわずかです。しかし、国民の不満の声はあまり聞こえてこないようです。税金がどこに使われているかわかりにくい日本と比べ、フィンランドでは、目に見える形で税金が自分たちの生活に戻ってきます。幼稚園から大学まで無料の教育だけでなく、福祉・医療・子育て支援等の社会保障制度は驚くほど充実しています。
  社会保障が充実し女性の自立が容易なため、女性が強く、経済的にも精神的にも自立しています。また選挙権は18歳から与えられ、同時に国会議員に立候補できるため、中高生のころより政治に興味をもち、政党の手伝いをする若者も多いとのことです。したがって2007年の選挙で18歳から29歳までの立候補者は15%、当選した女性議員は84名で、4割以上を占めていました(1院制で議員総数200人)。閣僚の半分は女性で大統領も女性です(2008年度)。
  フィンランド語には日本ほど複雑な敬語システムがなく、誰とでもほぼ対等に話しができます。会社や公的な場でも、あまり上下関係がなく、皆、リラックスした雰囲気で対等につきあっています。フィンランドは、性別、年齢、経歴、そして私生活にこだわらない大らかな国で、国民が平等に人生をたのしみ暮らしています。
  1982年社会福祉法で在宅支援サービスや施設ケアなどは「自治体が提供する責務」としました。1993年の地方分権改革で地方の裁量が大幅に拡大し、国からの補助金の大部分が、用途が限られる「ひもつき補助金」から、自治体が自由に使い道を決められる「包括補助金」になりました。
借金大国の日本が、今後生き残っていくには、フィンランドのような大胆な改革が必要です。民主党が宣言した国民中心の政治をおしすすめ、官僚制度の改革を行い、地方分権をもっと大胆に積極的に実行することです。100年以上続いた官僚や政治家のガチガチの石頭を粉々に砕いて、もっと柔軟に政策を実行するように国民が声を上げるべきです。
参考文献 「フィンランド 豊かさのメソッド」 
堀内都喜子 集英社新書  朝日新聞 2010年1月27日朝刊


511号 2010年5月23日

(81)健康長寿は可能かD  〜スウェーデンに学ぶ T〜

 こころもからだもゆるめて、リラックスして、もっと自由に健康に生きたいと思っていても、今の日本の世の中ではなかなかうまくいかないようです。こころある個人や団体が大きな社会の流れに抵抗して努力しても、その努力が報われるような状況にありません。行動を起こすと、必ず突き当たるのが「既存の社会制度や慣習の壁」です。具体的には自治体の行政や国の行政です。そのためにせっかくの熱意が冷め、無気力化してしまいます。いまの日本を覆う閉塞感は、政府、行政、企業、学界などの組織や個人など、社会のほとんどすべての分野に広がった無気力感や時代遅れの古い社会制度や「政官業の強固な鉄の三角形」と揶揄される社会構造が原因かもしれません。政府・自治体・企業すべてが、思考法を切り替え、環境政策やさまざまな政策で現実に世の中を大きく変えていかない限り、世の中は良くならないのは当然です。そして世の中のしくみが変わらない限り、個々人の生活やからだやこころもいい方向に変わらないのは当然です。
 スウェーデンは一人ひとりの人間を大切にする社会のありかたを実現してきました。スウェーデンの国土は日本の1.2倍、人口900万人ですが、鉄鋼業、航空産業、自動車産業、化学工業、パルプ産業、電子・電気産業などエネルギー多消費型の産業を国内に抱える北欧最大の工業国です。
 スウェーデンは科学技術と社会制度のバランスがよくとれた国です。スウェーデンは年金や医療などの社会保障制度の充実した「福祉国家」であることは、よく知られていますが、21世紀には人も環境も大切にする「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」に転換する方針です。2005年1月1日スウェーデンで世界初の「持続可能な開発省」が誕生し、環境省が廃止されました。一人ひとりの健康も大切ですが、地球環境の悪化により人類全体の存亡が現実になってきた昨今、素早い対応をしています。
 スウェーデンは古くから民主主義を支え健全に機能させるためのシステムが形づくられていました。たとえば、「情報公開制度」(1766年)、行政、国会、マスメディアのチェック機能である「オンブズマン制度」(1810年)、世界で最も非中央集権的な「地方分権制度」、伝統的な「市民参加・男女共同参画」等々です。今回の菊陽中部小学校建設問題に関する情報が一般町民に詳しく伝わってこないこと、民意が町政に反映されないこと等々、地方・国を問わず民主主義が機能していない現状をみると、日本の政治はスウェーデンと比べ約200年以上も遅れていると言わざるをえないかもしれません。政治家にはスウェーデンに民主主義をもっと学んでほしいものです。

参考文献:スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」 朝日新聞社


(82)健康長寿は可能かE  〜講演「いのち一番 人生たのしく」報告記〜

 5月30日(日)NPO法人図書館をたのしむ会の解散記念講演会「いのち一番 人生たのしく〜ガンをこころで治すー自然治癒力を信じて」が行なわれました。
 3人のガン患者の方々が講師になり、生死の境まで追いつめられた自らのガン体験を話され、感動的でした。末期の腎臓ガンを自然治癒力で治した川竹文夫氏が2001年「NPO法人ガンの患者学研究所」をスタートし、現在全国各県に「いのちの田圃の会」支部を設立しました。毎月の例会で患者さんがガン治療の情報や意見交換をおこなっています。3人ともこの会で新たなガン治療の方法を知り、ガン死を避けることができました。
 八代郡の射場恵美子さん(60歳)は2004年8月進行性胃ガン(U〜Vの間)になりましたが、現代医学の治療をうけず、2006年W期(肝臓と腸に転移)で腹水がたまり病状が悪化したため、代替療法と自助療法を実践、生還。現在元気に自営業(食堂)で働かれています。熊本市の藤本 剛さん(46歳)は1998年に肺ガンを発症し、手術2回・抗がん剤・放射線をうけられ、半年間入退院を繰り返しましたが、ガンが改善しないため、代替療法・自助療法を選ばれ、見事に健康をとりもどし、現在元気に自営業をされています。須藤久仁恵さんは乳ガンの手術後は、代替療法と自然治癒力を高めるような生き方を実践され「いのちの田圃の会」熊本支部代表として、ボランティア活動をすすんで行なっています。3人とも玄米菜食で食べ物をよく噛み少食です。また、過去をふりかえって後悔せず、明日のことに不安を持たず、「今」をたのしみ、人生をゆっくり生きられています。       
 このように、治療困難なガンに対して、別の視点から治す工夫をすれば、現代医学でも治療不可能な進行ガンでも治すことができるのです。これは人間が本来持っている自然治癒力を最大限に高めてガンの増殖を抑え、自然退縮させるのです。この方法で、奇跡の生還をはたしている方々が少しずつ増えています。医療関係者・国民はもっと謙虚にこのような事実を検証すべきです。現代医学・医療だけが病気治しの方法ではありません。代替医療やその他さまざまな病気治しの方法を選択できるような医療環境をつくるべきです。
 しかし、講師の方々のように、自らの判断と自らの責任で生活習慣や食事を変え、生き方・考え方まで変え「新たなガン治療法」を選ぶことができる人は少ないようです。最近では全国各地で「自らの病気を自ら治す」という医療の原点を実践し、病を克服し人生を生きなおされている方が少しずつですが増えてきています。また、糖尿病などの生活習慣病の治療にもこのような方法はきわめて有効です。さまざまなご病気の方々は、現代医学だけに頼らないで、ぜひとも代替療法や自助療法を試してみてください。
 「NPO法人ガンの患者学研究所」が全国のガン患者さんに無料配布している小冊子「すべては、あなたが治るため」ご希望の方は古川医院にお越し下さい。


519号 2010年7月18日

(83)健康長寿は可能かF  〜スウェーデンに学ぶ U〜

 スウェーデンは予防志向の国です。社会全体のコストをいかに低く抑えるかが、常に政治の重要課題です。そこで、政策の力点は「予防」に重点が置かれ、「教育」に力を入れてきました。福祉国家を早い時期につくりあげ、発展させてきたスウェーデンは、人間に被害がでてから行動を起こしたのではコストが高くなり、とりわけ社会全体のコストが高くなるから「予防できることは予防しよう」という考えで行動してきました。スウェーデンは古き良き伝統をしっかり守っていますが、一方現実への対応が大変すばやい国です。行政は現実にすばやく対応できるように法の制定・改正・廃止がタイミングよく行なわれ、行政機構の変更が現実に合わせて、絶えず柔軟に行なわれています。
 ところが日本は「治療志向の国」すなわち「対策の国」です。日本では公害問題でも明らかなように、経済優先の国策によりさまざまな環境汚染や健康被害が次から次へと大発生し、膨大な社会コストの「治療」や「対策」に追い立てられてきました。水俣病の歴史を見れば明らかです。1956年に公式に認められた水俣病について、もしスウェーデンのような予防志向の政策が初期の頃に行なわれていたら、現在のような広範囲にわたる被害と健康被害を防げたかもしれません。スウェーデンの環境問題への迅速な対応は国民の間に、健康な環境は基本的人権であるという考え、環境問題は人類の生存を脅かしかねない人類の問題であるという考えが浸透しているからです。
 電磁波対策が世界で最も進んでいる国はスウェーデンです。1992年、カロリンスカ研究所は、電力会社の全面的協力を得て、電磁波の人体への影響についての大規模な疫学的調査を行ないました。その結果、電磁波が子供の白血病とかかわりがあることがわかりました。高圧の送電線・VDT(テレビやコンピューターディススプレイ)・携帯電話・携帯電話のために建てられたアンテナからも電磁波が出ています。このような日常的な生活での電磁波被害をもっと理解し、健康被害を予防しなければなりません。
 日本でも、菊池養生園の竹熊宜孝先生は、30数年前より「土からの医療と教育」と予防医学の重要性を訴えています。無農薬の安全な農産物が病気にならない健康なからだをつくること、農業の重要性と予防医学の基本を子どもたちに教えることすすめています。
 しかし、竹熊先生の主張が政策や行政に反映されることはありませんでした。予防医学(第1次予防)で病気を減らすことができます。それは生活習慣や食べ物に注意し、健康に対する考え方を変えることです。すなわち、老化を防ぎ、免疫力をあげるために「カロリー制限」をし、抗酸化力の強い野菜や果物中心の食事をいただくことです。
 医療だけでなく経済や政治すべてにわたり「予防」を重視することにより、世の中がもっと住みやすく、安心して安全に暮らしていけると思います。

参考文献: スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」〜安心と安全の国づくりとは何か〜   朝日新聞社


523号 2010年8月22日

(84)健康長寿は可能かG  〜スウェーデンに学ぶ V〜 福祉国家スウェーデン

 日本では、公教育で政治や社会批判は禁止され、公の場でも体制批判はあまり歓迎されないらしい。江戸時代の長い封建制度ではお上への批判は決して許されず、死を覚悟して体制批判をせざるを得なかったのです。したがって「よらば大樹の影・沈黙は金なり・黙して語らず」という国民性が明治・大正・昭和を経て、現在まで続いています。今もなお政治・体制批判は、あまり歓迎されず、私が町政批判・国政批判を新聞に投稿しても採用されることはあまりありません。しかし、政治は私たちの生活には大変重要で、政治体制により赤ちゃんから高齢の方々まですべての国民の生活が大きく影響を受けます。スウェーデン・デンマーク等の北欧の福祉国家の国民生活を調べるとよくわかります。赤ちゃんから高齢者に至るまで不安なく人生をすごすことができるこれらの国々に学ぶことが多々あります。
 スウェーデンの社会福祉が決して一朝一夕にして成立したわけでなく、歴史上さまざまな問題に対応しつつ成立し、現在でも新たな問題に対処しています。スウェーデンが福祉国家になった理由は、次のように考えられます。@ 技術力 A 教育を重視 B 外交的中立を維持し1814年以来190年間戦争に巻き込まれず、十分な社会資本の蓄積があった。C1932年社会民主党が政権について以来「この貧しい国を福祉国家にする」というビジョンを掲げ、福祉国家の建設を着実に実行してきました。
 スウェーデンがめざす福祉国家の基本的な考えは「国民に安心感を与えること」で、過去200年以上にわたり高齢化社会の問題を重要な問題として取りくんできました。社会民主党政権は、公的な力(社会制度)によって、国民を不安から解放するために、安心・安全・安定などを求めて経済発展を進め、協力社会をつくりあげてきました。人生には色々な不安があります。
 例えば、@生まれてくること(産むこと) A職を失うこと B病気 C社会的孤立・孤独 D不本意に死を迎える E老後生活 F教育機会喪失など。
 このような不安に対して社会保障制度を充実させることで解消しています。したがって、スウェーデンの高齢者層には貧困はないと言われるほど、国民に安心感を与えてきました。
 スウェーデンでは昔は「国民全員に最低限の生活を保障し、貧困を撲滅する」ことが目標でしたが、1950年代の高度成長後は、完全雇用が実現し、国民の多くが恵まれた生活が送れるようになると、最低限の所得ではなく現行の所得を保証し、国民がそれぞれ自由に生き方を選択して自己の能力や資質を十分に発揮しうるようにすることが目指されるようになりました。

参考文献  スウェーデンに学ぶ   「持続可能な社会」 朝日新聞社 / スウェーデンの高齢者福祉 〜過去・現在・未来〜 新評論


527号 2010年9月19日

(85)健康長寿は可能かH  〜スウェーデンに学ぶ W〜 「老い」を見直す!

 私たちは歳をとりたくないと思っていても、すべての人が必ず通る道です。現在では「老人」はあまり歓迎されず、肩身の狭い思いをしていますが、元来「老」は中国の語源では尊敬をこめた敬称であり「老人・長老」はさまざまな知恵を持ち、失敗や成功をかさね長年苦労されてきた人生の大先輩です。「老い」を自らの問題として、これから起こるさまざまな不安(年金・福祉・医療など)について積極的に考えることは重要だと思います。
 スウェーデンでは、昔から「老い」は個人的な問題ではなく、国家の重要な問題です。スウェーデンの福祉制度は200年の歴史があり、すでに100年前に高齢者福祉の必要性が政治的な問題となっていました。1884年に国会に最初の老齢年金・廃疾保険の動議が出され、1913年に成立しています。老齢年金で、財産を持たない人が老後に生活できました。また財産のない高齢者を看るのは、家族かコミューンであるとする社会政策が議論されていました。
 1998年「高齢者政策に関する国家行動計画」が議会で採択され、今後の高齢者政策の目標として「安心して自立を維持しながら老後の生活を送れること」「積極的な生活を営み、社会や自己の日常生活において影響力をもちうること」「敬意をもって遇されること」「良質なケア・介護を受けられること」が定められました。この計画は「老い」の概念の見直しを提起しています。すなわち、一口に老人と言っても平均寿命がのび、いろいろな年齢層があります。元気な老人もいるし、寝たきりの者もいます。65歳以上でも働けるし、学べます、そして余暇やボランティア、政治活動など地域社会でさまざまな活動をすることができます。それゆえ、良き老後を送るためには、経済的安定だけでなく、文化生活、職業生活、地域での活動等あらゆる生活領域で活躍の場を配慮される必要があります。このため、国だけでなく、地方自治体、職業・文化団体等のさまざまな組織・団体が協力することを主張しています。
 また、老人は地域住民として、患者として、サービス受給者として、日常生活で自らの意思を表現し、それぞれの決定に影響を持つべきです。たとえば、老人は自分の老後の過ごし方を自分で決定するだけでなく、地方議会や国会で議員として選ばれるべきです。このことにより、社会や経済のありかた全体に大きな影響を及ぼすものと思われます。高齢者福祉は社会全体のあり方を見直すうえで大変重要な問題なのです。もちろん、医療や介護が必要な高齢者に対する福祉も時代により変わってきましたが、弱い立場の高齢者に対する医療・ケア・介護の質を維持し向上するための政策が常に行なわれています。
参考文献 スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」 朝日新聞社 / スウェーデンの高齢者福祉〜過去・現在・未来〜 新評論


531号 2010年10月17日

(86)健康長寿は可能かI  〜からだをゆるめる〜

 私たちは国家による「教育」・家庭教育そしてテレビなどのメディアにより間違った「常識」や固定観念をもち、頭の中は岩のように硬くなっています。もっと柔軟に自由な考えを持つべきです。一方、日本人の身体も、明治以来どんどん硬くなっています。毎日自動車・さまざまな電気機器を使い、余暇の時間もテレビ・コンピューター・ゲーム・携帯電話等に釘付けになり、自らの身体を動かすことが少なくなっています。人間本来持っている身体能力がきわめて低下しています。
 運動科学者高岡英夫氏は述べています。日本のほとんどの人の体が固まっています。体が固まれば、脳の機能も衰え、心の柔軟性が失われてメンタルの問題も生じ、老化すなわち加齢と同じになります。加齢現象の中心が、「体が固まる」ことです。
 現代社会は、否応なく体が固まるような仕組みになっています。子供から高齢者まで、きわめて不自然な管理社会の中で、常に緊張を強いられ、時間に追われるような生活環境が当たり前になっています。小さい頃からの受験競争、就職や出世競争など、交感神経が常に緊張しっぱなしで、副交感神経とのバランスがとれなくなっているのです。体の自由が奪われ、脳の働きが制限されています。結局、体も心もガチガチになるような、慢性的な緊張を生み出す社会のシステムなのです。このように心身とも固まっていく社会現象は全国的で根深く、年齢とともにひどくなっていきます。
 スポーツ強化や健康長寿には、筋肉トレーニングが有効という誤った考えが主流になっています。しかし、高岡氏は人が力強くなるためには、筋トレのように体を固める方向ではなく、逆に徹底的にゆるめていくほうがより正しいと述べ、理論的にも実証的にも証明しています。その実例のひとつが、岡山県関西高校ボート部です。同ボート部は筋トレを一切やめ、体を徹底的にゆるめる「ゆるトレーニング」をとりいれ、実際にボートをこぐ練習以外は一切やらずに、国体高校の部全種目を通じて史上初となる5連覇を達成、さらに同じ年、全国大会4冠すべてを独占するという、ダブル偉業を成し遂げています。つまり、筋力トレーニングをまったくやらず、体を徹底的にゆるめることによって、きわめて高度な健康状態と体の動き、心の柔軟性を実現可能にし、全国の高校生のトップに立ったわけです。体を緩めることで体の潜在能力を最大限に引き出すことができるのです。
 また、体を緩めることで生まれてくる生き生きとした活動力をエネルギー源として、意識を鍛えて何者にも悩まされることのない本来の心をつくることができます。

参考文献 「ゆるめて・めざめて「幸せな体」をつくる」
著   者  高岡英夫 サンマーク出版(2009年)


536号 2010年11月21日

(87)健康長寿は可能かJ  〜「体をゆるめる」ための方法と合気道のご紹介〜

 「体をゆるめる」にはさまざまな方法があります。高岡英夫氏が考案した「ゆる体操」は、全国に普及しています。ヨガ・太極拳・気功法・武道・バレエ・ダンス・日本舞踊・民舞等々でも体をゆるめることができます。西式健康法では金魚運動(仰向けに寝て身体全体を左右に揺らす)・毛管運動(ゴキブリ体操:仰向けになり両手両足をまっすぐ上に挙げて足の裏を水平にし、手と足を震えるように微震動させる)・背腹運動(正座し膝を少し拡げて身体を左右に傾けることを繰り返す)などがあり、体をゆるめる効果があります。
 私たちは全身に500の筋肉・200の骨・神経系・循環器系等を動かして生きています。健康に生きるためには、適度な「運動」が必要です。そのとき、皆さん方にあった「体をゆるめる」運動を選び実践されてみてはいかがでしょう。
 私は、10年前より、合気道を始めました。合気道の練習では、丹田(恥骨結合とへその中間点)と体の中心線をしっかりして、上半身はゆるゆるに緩めて練習をします。上半身・両肩・両手に余計な力を入れないで体をゆるめることは難しく、日々の練習で学んでいくしかないようです。
 現在、日本文化は世界で認められ、武道も海外にひろまり、合気道は世界中で160万人の方々が練習しています。合気道は、健康・護身・精神修養・美容などに大変有効です。これは、合気道は力の競り合いやもみ合いはなく、相手の力、相手の動きに合わせて技をかけ、相手を制します。従って、体格体力の大小強弱、男女・年齢にかかわらず、稽古ができます。マイペースでできるので、各自の体力にあわせて、ゆっくりあるいは激しく稽古をすることができます。もちろん武道ですから、長年、技の修練を積めば上達することが可能です。合気道は基本技を中心に、応用技も習得します。技の修得には集中力・呼吸力が重要です。合気道の技の修練は、同時に精神統一の修練です。したがって合気道は和の精神と同時に、強い精神力を養うことができます。私たちは仕事や日常生活の疲れやストレスで心身とも衰えています。合気道の稽古で心身ともリフレッシュし、潜在能力を磨くことができます。あなたも合気道を始めてみてはいかがでしょう。

参考文献   「ゆるめて・めざめて「幸せな体」をつくる」 著者 高岡英夫 サンマーク出版


540号 2010年12月19日

(88)健康長寿は可能かK  〜退化する身体機能〜

 300年間の鎖国状態の江戸時代が終わり、明治時代から今日に至るまで、国をあげて西洋文明を追いかけるようになり、日本のすばらしい文化や考え方が否定されてきました。そして、人間本来の体機能やリズム、自然治癒力などを重視してきた庶民の伝統的な風俗習慣までも、殆ど根絶やししてしまいました。その実例を挙げてみましょう。
 最近「おむつなし育児」が話題になっています。発展途上国の母親たちは赤ちゃんが排泄するタイミングやしぐさを当たり前のように察知して、おむつをしていない赤ちゃんを抱っこヒモから降ろして「シーシー」させています。これは日本でも戦前は当たり前の光景でした。モノがあふれる先進国の人たちは「赤ちゃんの体と心を聴く力」をいつのまにか失っているのです。育児で本当に大切なことは、赤ちゃんに寄り添って、赤ちゃんの自然な排泄欲求に、愛情と責任を持って応えてあげることです。また、赤ちゃんの方も、1歳ごろから排泄を母親に知らせることができるようになります。1970年代からの使い捨て紙おむつの普及が、母親や赤ちゃんの自然の能力を退化させたのです。
 「尿漏れ」が最近は若い世代でも増えてきています。「尿漏れ」は、くしゃみをしたり腹圧をかけたりしたときに、ちょっと尿が漏れる現象(腹圧性尿失禁)です。昔は産後や高齢者特有のものだったが、今では、50代やもっと若い女性にもずいぶん増えているようです。原因として、骨盤底筋が弱り、膀胱や尿道をきちんと支えられなくなっているからです。ある産婦人科の開業医は「日本女性のからだはどうなっているんでしょう。このままでは、何もコントロールできなくなるんじゃないでしょうか。昔は月経だってコントロールしてトイレで出すことができたといいますよ。女性のからだが品質のいい生理用品に頼りきってしまっているんじゃないですか」と言われています。尿漏れと月経には骨盤底筋が関わっています。
 女性の経血(生理血)コントロールについて、昔の女性にとって、月経血はトイレでおしっこをするような感覚で、排出するまでは意識的にためておくことができました。月経血がたまってきて、これ以上ためておけない状態になってトイレに行って排出していたようです。江戸時代の女性はおそらく全員が毎月そのように処理していたのです。それが、明治の後半か大正時代のはじめから、ナプキンなどの開発・普及と歩調を合わせるように、そうした習慣が失われていきました。体の衰えというものが社会現象として広がっていたということを示すものだと思います。

参考文献 
「オニババ化する女たち〜女性の身体性を取り戻す」  著者 三砂ちづる 光文社新書
「身体感覚を取り戻す〜腰・ハラ文化の再生」       著者 斎藤 孝  NHKブックス
「おむつなし育児」インターネットで検索


544号 2011年1月23日

(89)健康長寿は可能かL  〜身体機能を取り戻すT〜

 文明が進み体を使わなくなった日本人の身体機能がどんどん退化していくようです。それでは失いつつある身体機能を取り戻すための方法を考えてみます。日常的な基本動作の「立つ・歩く・坐る」について、大多数の日本人は、昔の日本人のような動作はできないようです。
  日本の伝統的な身体文化を一言でいうならば、腰や肚(はら)です。数ある身体感覚の中で、腰や肚の身体感覚が、身体の「中心感覚」として常に意識することが求められていました。腰や肚ができていると、身体の中心感覚がしっかりし、揺るがないしっかりとした心をもつことができ、精神的な安定を導いくことができます。腰や肚が決まっていれば背骨はその上に正しく据えられることになり、背筋は自然と伸びます。腰肚文化は生活の中で何度も訓練され、身につけられた一つの技(わざ)であり、その技を持っている現在の70代・80代以上の方々の身体感覚を、今の小学生に伝承していくことが大変重要だと思われます。
●立つ事 
  きちんとした姿勢で長時間坐ったり、立ち続けることは日々の生活の中で鍛えて身につけなければできない技です。「自然体」で立つことも重要な技で、足を肩幅に開いて膝を軽く曲げ、両脚にはほぼ均等に体重をかけて腰と肚はしっかりさせておき、背筋はすっと伸びて肩の力は抜けたような状態です。したがって、地に足がついて、力強く、それでいて下腹部に重心が落ち、肩の力が抜けてすばやく動くことができ、武道の理想です。自然体は安定した立ち方で、少々押されてもぐらつきにくく、無理に力まず、状況に対して柔軟に対応でき、自分の持っている力をうまく発揮できます。自然体の中心をなすのが腰と肚ですが、以前の日本人は着物の「帯」によって、腰と肚に対する身体の意識を強く持つことができました。「帯」があると、力を込めるときに息をぐっと溜めると腰と下腹部に力が入ります。この身体感覚は、物事にいたずらに動揺せず、感情に流されない安定した心身のあり方を支えます。「帯」は、下腹部と腰骨の連結を意識しやすくすると同時に、肛門をきゅっと締める感覚をも支えています。自然体は強靭な足腰によって支えられていますが、以前の日本では、椅子や机はなく、畳や板の間に坐る生活が基本でしたので、生活の中で足腰が鍛えられ、すべての日本人にも自然体ができていたようです。
私は合気道の練習のとき袴をはきますが、帯を臍下丹田(臍の下3寸)付近でしめると、心が落ち着き、心身とも「自然体」になるような気がします。女性の方で着物を愛用されている方も気楽に「自然体」で生活されているようです。

参考文献:「身体感覚を取り戻す〜腰・ハラ文化の再生」 斎藤 孝 NHKBooks
「身体知〜身体が教えてくれること」 内田 樹&三砂ちづる バジリコ株式会社


548号 2011年2月20日

(90)健康長寿は可能かM  〜身体機能を取り戻すU〜

●歩くこと(1)
  現代の日本人は、明治・大正期と比べて歩く絶対量が極端に少なくなっています。歩くことの重要性について考えてみます。
 諸説はありますが、人類の発祥の地はアフリカで、人間は歩いて世界各地に移動しました。まさに歩くことは生きることであり、生きることは歩くことだったのです。「一万年の旅路」は、ネイティヴ・アメリカンのイロコイ族に伝わる口承史ですが「歩くことは学ぶこと」と記述しています。一万年以上前、一族がアジアの地を旅立ち、ベーリング海峡(当時は陸続き)を歩いて北米大陸に渡り、五大湖のほとりに永住の地を見つけるまでを描写されています。『歩く民』と呼ばれたこの一族は『大いなる乾きの地』を越えたとき、今までの知識や経験がまったく役に立たなくなりました。彼らは大きな決意をし、次の言葉をいつも互いにかけ合う習わしとなり旅の歌となりました。
 「目が覚めているあらゆる瞬間から学ぼう。眠っている間さえ学ぼう。学びながら兄弟が歩くところを見守ろう。彼が石ころだらけの険しい道を選んでも・・・」
 幕末の志士と呼ばれる若者たちも驚異的な距離を歩いています。当時は、高名な学者は諸藩に散在していたため、学ぶ意欲のある者は歩いて諸国をめぐりました。優れた人物に出会い、学ぶためには、長距離を歩く力が必要でした。吉田松陰は長州から長崎・熊本などの九州へ出かけ、その後江戸に出て、奥羽まで歩いています。お金に余裕のない若者は、暗いうちから出発し、殆ど休みなく歩き夕刻に宿泊予定地に着くまで12里(48キロ)歩いています。東海道を旅するものは1日7里(28キロ)が常識でしたから、貧しい若者は一晩でも二晩でも宿泊費を切りつめるために激しく歩いたようです。何日も歩き続けるうちに、聴く構え学ぶ構えが深まります。歩くことは学びの味を深くします。
 当時の学者は旅の若者に親切であり、酒を酌み交わしながら語り合い、貴重な本を見せ、その若者に重要な人物への紹介状を書いて渡します。若者は長く苦労して歩いたあとに、すばらしい出会いがあり、学者の全人格に触れて大いに影響を受けさらにその後の学びの活力となります。激動の幕末を駆け抜け明治維新を成し遂げた若者たちの姿を見ていると現在のように膨大な情報量に心身とも疲れ果てている若者も、自分の足を使い体で学ぶスタイルが必要であると思います。
 大正自由教育の代表者の木下武次も長い距離を歩くことを教育の重要な柱の一つに据えていました。彼は鹿児島や奈良の高等師範付属小学校で年1回17里(68キロ)の寒中歩行訓練を行事として行なっていました。もちろん、木下は本番前に徐々に距離を伸ばす練習をし、途中リタイアも可能のように段どりがなされていました。校舎内の要所の黒板に「歩くときも、腰かけているときも、すわっているときも・・・腰をのばせ」と書いていました。臍下丹田を重視した木下の口癖は「腰を伸ばす」でした。彼は、生涯学び続ける粘り強さを鍛えるための重要なカリキュラムとして歩行訓練を位置づけていました。
 日本の教育に「歩く」という基本運動を人間形成の重要なカリキュラムに取り入れることも必要だと思います。

参考文献:「一万年の旅路」 ポーラ・アンダーウッド 翔泳社
「身体感覚を取り戻す〜腰・ハラ文化の再生」 斎藤 孝 NHKBooks