![]() ![]() |
碓井秀典(東京都港区在住 原水出身) |
976号 2020年1月19日 (1)替り目 明けましておめでとうございます。今号からワンネスにご縁を頂き連載を始めることになりました碓井秀典と申します。菊陽町原水出身で、現在は東京でデザインの仕事をしています。落語が好きなので落語の話をさせていただきたいと思います。 第1回目は古今亭志ん生(五代目)です(多分、この後も何回も出てくるかと思います)。音源が残っている人というとやっぱり戦後になりますから、それ以降で言うとやはり志ん生が第一人者でしょう。昭和の大名人と言われていて、私などが言う必要もないのですが、破天荒・天真爛漫と評され、うまさはもちろん、話し方のスタイルや格調、言葉遣いの丁寧さ、滑稽話・人情話、どれをとっても大名人と呼ぶのにふさわしい噺家です。 |
980号 2020年2月23日 (2)時うどん 連載第2回目ということで、迷った揚げ句「時うどん」にしました。元々は上方の噺で東京の方では「時そば」になります。食文化の違いでしょうか、江戸っ子はうどんが嫌いだったようです。私も初めて東京に出てうどんを頼んだ時、出てきた黒い汁に入ったものを見て「ぼ、ぼくが頼んだのは、う、うどんですっ!」と思わず言いそうになりました。それを思えば嫌いなのも、もっともだ思います(今は慣れてしまって食べてます)。 さて、普通の「時そば」ならご覧になる機会は多いかと思いまして、ここでは上方の笑福亭福笑(上から読んでも下から読んでも…)のものをご紹介します。六代目笑福亭松鶴の三番弟子です。新作・古典両方やりますが、古典は工夫が盛り沢山で「改作」にかなり近いものになっています。何の工夫もなければ落語は廃れてしまいます。新作は好き嫌いの別れるところだと思いますが、私は暴走系・スタンピード系と呼んでいます(上方には多いんだ!)。私は大好きです。古典では「桃太郎」「千早ふる」、新作では「憧れの甲子園」「今日の料理」(大丈夫なのかぁ?)などで、別の機会に是非取り上げたいと思っています。 |
983号 2020年3月29日 (3)壺算(つぼざん) 今回は「壺算(つぼざん)」。冷静に考えれば何でもないことでも、パニックに陥ってしまうと人はほんとにパニクってしまうというお話。「チョロマカシモノ(詐欺話)」の一つ。前号の「時うどん」もチョロマカシてましたね。現在のように水道が整備される前は、人々は井戸を使用するほか、水屋から水を買っていたんですね。噺に出てくる「一荷」の壺に入る水は、水屋が天秤棒で担げる2桶分で、色々調べてみると60リットルくらいだそうです。さらに調べて見ると、江戸時代には料金が4文だったそうで、蕎麦の値段16文と比べると、またその重さと比べてみても、ほんとに利の薄い商売だったようです(その辺のところを描いた「水屋の富」という噺もあります)。 笑点の司会でお馴染みの春風亭昇太は、春風亭柳昇の弟子であるだけに新作落語が得意で、古典は下手だと自らネタにしているくらいです。キャラが明るく(軽い?)若手に見えますが、NHKの「ガッテン!」司会の立川志の輔と同期、実は何ヶ月か先輩なのだそうです(落語芸術協会 現会長です!)。 |
985号 2020年4月26日 (4)池田の猪買い 落語に関心をお持ちでない方にとっては、落語といえば笑点、上方の噺家といえば三枝(現6代目桂文枝)や鶴瓶、仁鶴しかご存知ない、というのが実情ではないかと思っております。私も何年か前までは上方落語はほとんど聴いていなかったのですが、ここ3年くらいハマっていて、滑稽噺なら上方の方が断然面白いと思うようになりました。また東京の落語の演目のかなりの数が上方から移植されたものであることも知りました。上方噺家の口演は、You Tube以外では仲々聴けないので、東京に来るお気に入りの噺家の落語会には、なるべく行くようにしています。2006年に開設された大阪の定席「天満天神繁昌亭」には、ぜひとも行ってみたいものです。 桂吉朝は、2015年に亡くなった人間国宝3代目桂米朝の弟子で、2005年にがんのため50才の若さで、惜しくも亡くなってしまいました。その頃は落語に関心がなかったとはいえ、吉朝のナマの高座に接する機会が無かったことは返す返すも残念です。 |
987号 2020年5月31日 (5)青菜 今回は「青菜」。お屋敷の旦那とその奥方との隠し言葉のやり取りに、すっかり感心した主人公の植木屋がウチでもやってみよう!とトライする噺(付け焼き刃モノ)。お屋敷と長屋のギャップ、植木屋とその友達のやり取りをメリハリをつけて演じ分けられるか、どれだけくすぐりをまぶせるか、テンポ良く進められるかで、噺家の技量が測れる演目ではなかろうかと思います。
立川志らくは、談志の弟子で、売れっ子四人(志らくと志の輔、談春、談笑)の内のひとり。フランスの元大統領ジャック・シラクに因んで師匠の談志が命名。多才なひとで落語以外にも芝居や、現在はMC・コメンテーターとして活躍中ですね。 |
989号 2020年6月28日 (6)鯉盗人 盗人噺というジャンルがあります。「…仁王かー(匂うかー)」とか「…二衛門半…」などの、使い古されたお約束のまくらに続いて出てくるくらいですから、極悪非道な盗人というのは出てきません。大抵間抜けに描かれ、逆に巻き上げられたり、「こいつはいいやつじゃん!」というのすら出てきます。「だくだく」「鈴ヶ森」「血脈」「夏泥」「出来心」「阿弥陀池」など噺の完成度も高く、演者も楽しげに演っていてわたしの大好きなジャンルです。 この連載の第4回で、桂吉朝「池田の猪買い」を紹介しましたが、実はそのことで大変後悔しています。ひとつは、この連載は軽目のものから入ろう、親しみやすいご存知の噺から紹介しようと方針を立てていたのですが、ちょっと長めだったなぁと。上方落語はくどいと思われたのではなかろうか心配になったわけです(まぁ、2回目で福笑を紹介した時点で、既にの感はありましたが)。ふたつめには、この噺最初に小拍子の使い方を説明していますが、そこが大変に喧しい。「高音のカチカチが癇に障る」「寝しなに聴こうと思ったのに、眠れないじゃないか」、こういう声が上がっているのではないかと、せっかく「いい噺家でしょう!」と紹介のつもりが贔屓(ひいき)の引き倒しになったんではないか! こりゃ失敗だったと思ったわけです。 |
991号 2020年7月26日 (7)千早ふる 和歌を扱った噺には「道灌」「崇徳院」などありますが、中でもこの「千早ふる」がお薦めです。有原業平の歌の意味を尋ねられ、いい加減な解釈を下し、それに疑問を呈す質問者を力技で納得させるご隠居。知ったかぶりモノの噺です。たくさんの噺家が色んなアレンジを加えていて、個人的にも一番好きな楽しめる噺です。誰が考えたんだろうと調べてみたら、戯作者の山東京伝の「百人一首和歌始衣抄(はついしょう)(1787年)」に「…あまねく人の知るところなれども…」という言葉とともにこの珍解釈が紹介されていて、江戸時代の庶民がこのようなパロディを楽しんでいたのがわかります。 今回は特別編です。コロナ禍で寄席や落語会は長いこと中止・休止に追い込まれています。そんな中、上野の鈴本演芸場が中止になった公演を無観客で興行し、それをネットで配信するという快挙を行いました。7月いっぱいの公開なのでこれを。 |
993号 2020年8月30日 (8)おすわどん 挨拶や小噺で会場の雰囲気を整え、スムーズに本編に入るためのいわゆる「つかみ」の話芸がマクラです。用語や当時の習慣について前もって説明したり、落ちへの伏線を張ったり、ちゃんと意味のある要素ですが、世間話や漫談的なのもあります。寄席の持ち時間は大体15分くらいですから、落語会などでその制約がない場合は、いろいろ喋って時間調整が行われます。12、3分の噺で25分持たせるには、10分以上マクラを振らなければなりませんし、元々長い「大ネタ」では、逆にいきなり本編に入ったりする場合もあります。今ではまくらも(が?)面白いという評価の噺家もたくさんいます。柳家小三治がその嚆矢で、マクラだけ集めた本を出しています。小三治の場合は、文字になるとエッセイのように引き込まれて読んでしましいます。 柳家喜多八は、私のベスト3に入る噺家ですが、生の高座に接したことがありません。マイファースト生落語は、2011年2月の「七転八倒の会」で、現3代目蜃気楼龍玉が、金原亭駒七と名乗っていた頃からの、喜多八との二人会(第52回)でした。その時喜多八が入院してしまい、代演は龍玉の兄弟子の桃月庵白酒でした。その後、元気になった後も聴く機会が全くなく、16年に66歳で亡くなっています。18年になって「おすわどん」を初めて聴き、気が付くのが返す返すも遅すぎると、残念でたまりません。 |
995号 2020年9月27日 (9)天使と悪魔 今回は新作落語。落語の本を見てみると、大抵挿絵は、みんなちょんまげを結っています。落語は江戸時代のものみたいな錯覚がありますが、多くの落語が明治以降に作られています(一説には8割がそうとも)。明治時代に作られた「芝浜」「死神」「鰍沢」「阿弥陀池」なども当時は新作だったわけですが、現在では古典落語と位置付けられています。古典落語と新作落語(上方では創作落語)の違いは、大まかにいうと次のようなものかと思います。 古典至上主義のようなものがまだ根強く、作者の個性が強く現れるため、好き嫌いも多くあるかと思います。三遊亭円丈や桂文枝(元の三枝)、三遊亭白鳥、柳家喬太郎、笑福亭福笑などなど、大勢が活躍しています。 春風亭百恵は新作派の中でも、私の最も評価する噺家です。おかっぱ頭がトレードマークで滑舌が良くない話し方は、古典好きな人には睨まれそうです。今回の「天使と悪魔」は二つ目時代の栄助の時の高座でで、落語マニアの心理とか、新作の置かれている位置、古典との力関係がよくうかがわれる噺です。ほかにも「最後の寿限無」「リアクションの家元」「露出さん」など「大丈夫か!?」と心配になるほどの強力な新作を持っています。「初めての新作」としては「イキナリ来る?」という感じですがご賞味ください。 |
997号 2020年10月25日 (10)六尺棒 江戸では孝太郎、上方では作次郎という名前が半ば固定している大店の若旦那。中には「明烏」のように堅物もいますが、大抵は親の金・店の金を持ち出しては吉原に繰り出し、度が過ぎて勘当されてしまう道楽息子と相場が決まっています。今回の「六尺棒」の若旦那も親父さんを困らせています。「・・・10時限り」とか「俥」とか出てきますが、江戸時代の文化年間からある古い噺だそうです。10分足らずの小品ですっごく面白いというでもないのですが、「この噺ならこの噺家」の伝でいうと、これなんですね。 笑点メンバーの落語はあまり聴く気がしないのですが、春風亭昇太と三遊亭小遊三はよく聴きます。小遊三はキレのいい江戸弁で語るので、山梨県の大月出身とわかっていても江戸っ子なんだろうなと思ってしまいます |
999号 2020年11月22日 (11)関取千両幟 正代関の、優勝と大関への昇進、おめでとうございます。それに因んで今回は相撲噺からと思ったのですが、何にするかほんとに困りました。噺自体は「佐野山*」「大安売り」「小田原相撲」…とたくさんあります。そうそう竜田川*の「千早ふる」も忘れてはいけませんね。ですが、いまとは時代が違うので、八百長(噺の世界では「人情相撲」と言う)的なものが多いのです。その辺に関係なく笑いの取れる「花筏」にしようか、出世物語の「阿武松*」にしようか、悩んだ挙句三遊亭圓生の「関取千両幟」(「稲川*」とも)にしました。 圓生は志ん生・文楽・彦六と並ぶ昭和の大看板・大名人です。芸について厳しい古典落語至上主義者で、それは全てスタジオ録音の「圓生百席」の刊行に如何なく発揮されています。私などは落語は、観客の拍手や笑声に演者も乗せられることによって、良い高座になると思っているので、疑問に思わなくはないのですが、きちっとした芸がそれによって残っているのは凄いことだと思います。 |
1002号 2021年1月24日 (12)質屋蔵 前の圓生の回で、観客と演者の関係について少し触れましたが、それを感じていただける噺を今回は。
柳家権太楼は、人間国宝 故柳家小さんの弟子で、訛ってるようにも聞こえますが、チャキチャキの江戸っ子です。 |
1004号 2021年2月28日 (13)桂枝雀「代書屋」「セーネンガッピ、を!」 「こんな人はいないっ!」という人ばっかり出てくる噺の世界でも、ここに登場いたしましたる松本留五郎氏、文句無しに最右翼です。いい大人で生年月日を知らない人っていないすよね。よく大人になれたもんだな。しかし松本氏(他の演者は別の名前で演っています)、枝雀ファン・上方落語ファンの中でスーパースターの地位を確立しています。(元々はこの後に2つのエピソードがある長い噺ですが、現在は松本氏の部分で切る演じ方がほとんどです。) 2代目桂枝雀は、人間国宝 故桂米朝の弟子で、残念なことに99年に59歳で没していますが、生前は昭和の爆笑王の名を欲しいままにしました。研究熱心・サービス精神旺盛で、現在YouTubeで聴いてみても、同じ噺であっても同じに演じているものは一つもありません(ほぼ)。この「代書屋」でも、松本氏の本職は「ポン」となっていますが、他では「ガタロ」になっていたりします。 |
1006号 2021年3月28日 (14)月に叢雲 古典落語と新作落語があると前に触れましたが、新作の中には作者付き落語(?)というものもあります。噺家自身が作って演じるとそのまま新作となりますが、今回の場合は、落語作家が作って噺家が演じるという形です。昭和の頃からあったようですが、落語作家とと言えば、桂枝雀に「幽霊の辻」を郵送して認められ、その後多くの噺を提供している小佐田貞夫氏が第一人者です。ほかにも、余技的になりますが、中嶋らも氏もいましたね。 笑福亭三喬は2017年に師匠の名跡を襲名し7代目松喬となりました(今回音源は三喬時代のもの)。盗人噺を多く演じていたので、「泥棒三喬」の異名をとっていましたが、その他の古典落語も得意にしています。「月に叢雲(花に風)」は「佳いことには何かと悪いことが起こりがち」という意味で、その風流な響きが昔の時代劇に出てきそうで、盗人ものにはピッタリだと思います。小佐田貞夫氏作で、そのまま古典落語で通る風体をしています。今のところ三喬以外の演じ手を知りませんが、他の噺家にも広がっていけば、古典落語の一つとして定着する佳作だと思います。 |
1008号 2021年4月25日 (15)松曳き(まつひき) 噺家の高座名は、流派・系統を表す名字に当たる亭号と、一人一人の名前からなります。弟子入り時に師匠に前座名をつけてもらい、昇進の際に改名を行うのが一般的です。亭号はそのままに師匠の一字を貰った名前になりますから、どこの一門かが大抵わかるようになっています。そんな中で一風変わっているのが五街道雲助の一門です。雲助自身、金原亭馬生の弟子で二つ目昇進時に五街道雲助を名乗りました。弟子は、桃月庵白酒(3代目 五街道喜助から)、隅田川馬石(同佐助から)、蜃気楼龍玉(同弥助から)の3人です。これでは誰の弟子かわかりませんが、3人とも実力派なのでそんな心配はないようです(系統としては三遊派・古今亭)。 今回の白酒は、丸ぽちゃの外見に似合わず、毒舌まくらが人気です。「松曳き」は昔からある侍階級を笑い飛ばした噺で「粗忽モノ」ですが、白酒はつまらないところはカットし、さらに粗忽さ(エキセントリックさ)を強調し、得意のクスグリ満載(聞き間違いネタが得意なようです)で、以前のものとは桁違いな爆笑ものに仕立てています。小さん・談志のものと聞き比べても両名人がかすんでしまう出来です。 |
1010号 2021年5月30日 (16)天王寺詣り 「十二子孝」で親孝行の尊さに触れ、「鹿政談」であるべき正義の形を考え、「千早ふる」で古今の和歌に親しむ、など識字率が低くテレビもラジオもなかった時代に、寄席・落語は、娯楽ばかりでなく教養と常識を学ぶ機能があったようです(かなり強引!)。この「天王寺詣り」も、遠くて行けない人やどんなところか知らない人に「こんなところですよ」とガイドする「地球の歩き方」的な性格を持った噺で、四天王寺の境内とお彼岸の賑わいを活写しています。(大阪の人は「四」を省略して天王寺ということが多いようです) この噺は笑福亭一門のお家芸で、6代目松喬にするか雀三郎(桂ですが)にするか悩んだ末、出だしの「なんや嬉しそうにニコニコと笑うているが…」という語り口が、この人の優しさが現れているようで、6代目笑福亭松鶴(しょかく)のにしました。「らくだ」で紹介しようと思っていたのですが、まぁそれはそれで行うとして…。私もいつか大阪に行く時は、この噺をガイドブックにしてぜひ天王寺詣りをしてみたいと思っています。 |
1012号 2021年6月27日 (17)やかん さて、立川談志である(難しい!)。Wikipediaには「その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人」とあるように、神と崇める人もあれば、私のように敬遠している人もいます。立川流の創設はともかく落語協会の分裂騒動など、挙措の不明瞭なところもあるかと思います。若い頃の高座を聞くと、硬いといってもいいくらいカチッとした語り口なのですが、後には「…談志の意見や解説、哲学が入り…「客は『噺』ではなく、『談志』を聴きにくる…」と言われるほどになり、落語界ばかりでなく芸能界やいわゆる「文化人」の間でも強い影響力を持つようになりました。私などは「噺をちゃんとやれ!」と思い抵抗を感じてしまいますが。 さて、立川談志の噺である。「根問い(根掘り葉掘りきくこと)」モノの一つ「やかん」を。屁理屈で無理やり言いくるめる・ケムに巻く、これはまさしく談志そのものではありませんか。皮肉でも悪意でもなく、そこを芸にしてケロっとしているところは大したもんだなと思います。他の演者のものと比べても格段に面白く、談志を代表する噺として取り上げて良いのではないでしょうか。 |
1014号 2021年7月25日 (18)千早ふる この連載は動画にアクセスして噺を聞いていただくのが前提になっています。(文章だけでは、あらすじには触れないので、何が何だかわからない、ということになってらっしゃるかと)。そのネットにアップされている噺、事情があるのでしょうが、削除されてしまうことがあり、予定していて変更を迫られることがままあります。今回は復活した例。早くしないとまた削除されるかも、ということで、笑福亭福笑の「千早ふる」演者も演題もとり上げるのは2回目になります。 以前にも触れました通り、この噺は山東京伝の百人一首のパロディに原型があります。現在多くの噺家が野心的な演出で競い合っている状況で、どう演ずるのか楽しみな噺です。本寸法で演じていては、つまらないと評価されそうな感じです。そういう視点から観た私の評価では、露の新治・瀧川鯉昇、そしてこの福笑がベスト3です(残念ながら新治と、鯉昇のベストバージョンは未だアップされていません)。噺は、カミシモと言って左右を交互に向いて、会話の人物を演じ分けるというのが基本ですが、福笑は本編ではカミシモを取らず正面だけ向いて進めます。(まくらの一部ではカミシモとっていますので、違いがわかるかと思います。ま、全然違和感が無いので、こんなことはスルーしていただいて結構です)。私はこの噺を聞いて以来「せや!」にすっかりハマってしまい、多用しております。 |
1016号 2021年8月22日 (19)芝浜 大ネタと呼ばれる噺の分類があります。長編・大作で、主に人情噺ですが、高度の技量が要求されているものです。「大ネタってどんなものがあるの?」という問いには、だれが答えても必ず、この「芝浜」が入っているはずです。「落語中興の祖」と呼ばれる三遊亭圓朝の「酔っ払い」「財布」「芝浜」の題目を織り込んで語った三題噺が元で(諸説あり)、3代目 桂三木助(1902〜1961)が改作し現在の型にしました。登場人物はたった二人ですが、芸術性・写実性の高い噺として完成させました。当然のことながら三木助の十八番で、古今亭志ん生も三木助存命中は高座にかけなかったと言われています(三木助の追悼興行で封印を解き演じています)。 大ネタの筆頭にも挙げられるような噺ですから、噺家のビッグネーム達が、談志を初め大勢演じています。だれのが良い・彼のが好きと、その人によって意見はさまざまですが、まずは、三木助のを聴いてからでないと話は始まらないと思います。今回、お聴きいただけるYouTubeの音源は唯一残っているもので、NHKのラジオ番組用(1954年)の録音で短縮版なのだそうです。人によると、録音用でない高座のものはこの数段上であったと言われています。 |
1018号 2021年9月26日 (20)ガマの油 前回の三木助に続いて、今回も古き良き名人芸を。10代目 金原亭馬生の「ガマの油」です。馬生はご案内の通り5代目古今亭志ん生の長子で、弟が3代目志ん朝です。志ん朝についてはまた改めるとして、私は馬生の方が好きですねん! 香具師の口上だけで成り立っている噺で、素面の時はそれなりに説得力があった口上が、酒を飲んだせいで呂律が回らなくなり内容までもおかしくなってきます。軽い噺ですが、素面の時の滑らかなたたみかけと、酔っ払った時のそのギャップが楽しめる噺です。「大工調べ」にも通じる「啖呵噺・口上噺」と分類してもいいかと思います。動画でお聞きいただけるものは、26分となっていますが1回終わった後で繰り返しになっているので、実質14分弱です。(題字のおまじないみたいな言葉は、テレピン油とバター(またはラード?)のことだそうです!) |
1020号 2021年10月24日 (21)十徳 大阪生まれの噺が東京が舞台になったり、逆に東京の噺が大阪弁で演じられたりすることもたくさんあります。しかし「池田の猪買い」や「天王寺詣り」などのように、地域性が強く置き換えがきかないものもあります。今回の「十徳」も、「大江戸検定」というのがあれば、出題されそうなネタで、東京オンリーな噺です。全編トリビアとシャレで出来ていてます。この十徳、調べてみると羽織との違いは、・腰から下にマチ・ヒダがある ・襟は折り返さず紐は共紐 ・袖に八つ口はなく紋はいれない ・絽か紗で男性が着用…などで、当時の人にとって見慣れない着物には当たらないはずと思いますが、そうでないと噺にならないからね。 三遊亭好楽。ご存知笑点の「ピンクの小粒コーラク!」。彦六の正蔵に弟子入りし、その死後5代目三遊亭圓楽の門下に移りました。本人は東京都豊島区出身ですが、ご両親は大津町引水の出身です。また、惣領弟子の好太郎も引水の出で、なかなか熊本との縁が深い。笑点では「よせよ!」とか「仕事がない」「お金がない」と、自虐ネタが売り物のちょっと情けないキャラクターですが、実際はそんなことはない実力派です。 ま、笑点だからしょうがないか。 |
1022号 2021年11月28日 (22)にらみ返し 本名 郡山剛蔵(こおりやま たけぞう)。東京出身、教員の息子。バイクのツーリング、オーディオ、俳句など多趣味。2009年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。この10月10日に亡くなった10代目 柳家小三治です。(合掌)同じく人間国宝であった5代目小さんの四番弟子で、「小三治」は、5代目を初め、何人かの小さんがその前に名乗っていた柳家の出世名です(小さんは、柳家の最高名跡=止め名)。「まくらの小三治」と呼ばれるくらい「まくら」が面白い噺家として知られ、「まくら」だけを集めた本も何冊か出版されています。私も文庫本で2冊持っていたはずですが、すぐには出てきませんでした。とても面白く、こうなるともうそのまま良質のエッセイです。弟子の柳家喜多八によると、昔はまくらなしですっと噺に入っていたそうですが。 柳家ですから滑稽話が得意で、どの噺をあげてもさすがの出来ですが、今回は「にらみ返し」を。噺の良し悪しは話術の巧拙で決まりますが、仕草・振りも重要な要素になります。そんなところから落語自体が「仕方話」と呼ばれますが、仕草・振りが決定的な要素になるものをジャンルとしての「仕方噺」とも呼ばれます。「蒟蒻問答」がすぐ浮かびますが、「にらみ返し」も演者の表情が見えると面白さが倍増します。小三治は顔もいいですからね。 |
1024号 2021年12月26日 (23)井戸の茶碗 初めて聴いた時の出来不出来で、噺と噺家の評価が決まることがあります。今回の三遊亭遊馬「井戸の茶碗」がそれに当たります。もちろん良い方の意味で。5代目志ん生のが名演と言われていますが、ちょっとこなれすぎた感じです。武家噺なので遊馬のが、ちょうど良い「折り目」があるように思います。 「和樂(2014年10月号)」によると、国宝指定の茶碗は全部で8つ。その中に「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」というのがあります。元々は朝鮮半島で焼かれた日常使いの雑器で、豪華絢爛というのではなく、「粗く素朴な味わいが「わび茶」を大成した利休らの目にとまり…(略)」というところがポイントで、日本人の美意識も大したものです。なぜ「井戸」というかは、「見込み(茶碗の底に至る内側の部分)」が井戸のように深いところからついたという説もあるそうですが、不明というのが定説とのこと。 |
1026号 2022年1月30日 (24)グリコ少年 三遊亭圓丈。新作ばかりが取り上げられますが、昭和の大看板6代目圓生の弟子ですから古典の実力も一級品です。「圓生名跡争奪対決」で鵬楽と競った時に、ネットで「百年目」を観ましたが、実に素晴らしい出来でした。 一応、古典もスゴイですよと断った上で、今回のご紹介は新作「グリコ少年」です。2018年7月の高座ですが、最初の方は何言っているかわからないし、カンペは見てるし、弟子もつくし、ちょっと痛々しい感じがあります。それはともかく、この噺は、わたしの基準で言っても落語と呼ぶのはちょっときついです。どちらかと言えばアメリカのスタンダップコメディのスタイルに近いと思います。 |
1028号 2022年2月27日 (25)宿屋仇 今回は「宿屋仇」。(東京では「宿屋の仇討」)宿屋への到着から、色々大騒ぎがあって結末に至る、それまでの流れが崩せないきっちりした噺です。落語には「本寸法」と言う言葉があって、「本来の話を崩していない・正統派である」という意味で使われていますが、この話は、その流れを崩せないので、噺家の個性とか自由な演出がしづらい難しい噺と言えるのではないかと思います。 桂吉朝のこの高座は、本寸法の演じ方では最高だと思います。登場人物が多彩で会話が多い、いわゆる「ほうばるネタ」と言うらしいですが、この辺は吉朝の独壇場です。これに対して、桃月庵白酒の演じ方は、ちょっと崩した形です。(ぎりぎりセーフ!)相撲の場面では輪島や双羽黒が登場しますし、聞いた話だという言い訳は「高座で噺家が演っていた」となっています。こちらも私は大好きです。この噺についてはこの二人が双璧だと思います。 |