こらうまか 〜食の真実を探る〜   平川俊則&一美

 


186号 2003年10月12日

(1)食を探る

 美食、飽食、個食、健康食、スローフード、そして今、食育。
 「食」はその姿形を自在に変えながらも、常に私たちの生活の中央座に君臨している。
 街にはありとあらゆる「食」があふれ、その種類は言わずもがな、食べるに到る行程までもが、何如なるニーズにも対応できるべく研究され開発されている。いわゆる即席。私も結構便利に使わせて頂いているのだが、驚いたことに今じゃ袋入り即席ラーメンは“料理”だそうだ。なるほど“チン”や“ジャー”に比べれば“かなり”手がかかる…。
 だが、この辺で今一度、私たちは(特に私のようなめんどくさがりは)「食」について真剣に考えてみた方が良いのではないだろうか。
 ますます厳しさを増すだろう、これからの社会に在って頼れるもの、それが体と心との健康だとすれば、「食」は重大極まりない要素である。華やかなメディアの神の甘味な誘惑に酔い痴れて、今、手にとっているその「食」は、果たして「食」と呼ぶにふさわしいものなのか?美しい包装紙で幾重にも包まれたその包みの中身は“真実”か?
 「食」の真実とは、何なのかぁー!!と、ボルテージが絶頂に達しようとしたまさしくその時、この男は現れた!
「うまかか、うもなかかたい」
 さあ、皆さん、ご記憶だろうか。パリ漫遊記、世界最高のフランス菓子作りを目指し、自らの四半世紀の人生と、妻の労力、家族の生活(正確には生活費という)を余すところなく費やし、まだでんその夢と希望のしっぽをひん握って離さん、粉骨砕身、脂肪着着、菊陽町のダイハード!平川俊則。再びの登場である。(許せ、夫?)
 「生きるためには食わんといかん。どがんうまか米でっちゃ、生じゃあ食われん」
 えいもさいさい、旅は道連れ。10月8日、四十路を迎えた私とともに「食」の真実を求めるこの男に、しばしお付き合い下さいませ。


195号 2003年12月14日

(2)食を語る@

 午後5時をまわる。そろそろだ。もうそろそろ来る、来る、来るぞぉー。ほら来たっ!「おい!今日ん飯ゃ何すっとやぁ?」 知る人ぞ知る…。ほとんど知られていない事実だが、我が家はケーキ屋を営んでいる。
 夢と希望を追ったつもりが、仕込みと借財に追いまくられて労働に明け暮れる日々…。楽しみといえば晩ごはん。唯一ゆっくり家族で囲む食卓にのっけるおかずとなれば“チン”や“ジャー”でというわけにはいかない。さりとてお店は7時まで。後片付けを終える頃には、とうに8時を過ぎている。加えてまるで「家風」と化した厳しい家計と凄まじい食欲。安易に高級食材や外食産業も頼れない。「安い、速い、うまい、多い」を全クリする料理を毎晩考えて作っていくのは結構至難のワザなのだ。しかも四十…。疲れが抜けん。
 くぅ〜、きつい、眠い、面倒臭い。でも何か作らにゃん。何か作らにゃ大事な大事な我が家のボンが、ひもじさに、かわいいお顔をひんゆがめ、半ベソかいて訴える。「かあちゃん、はらへったぁ〜」 「子育ては、毎日飯ば食わすっこつ!」 平川俊則、育児要項第1条。2条も3条も“メシ”と言い切り、毎朝味噌汁を作る男。(お義母さんすみませんっ!)しかもちゃんと前の晩から昆布といりこを水につけて「食が基本。うまかっば食わすっためには手間もかけにゃん」真理がピシャッと顔を出す。
 私たちが食を通して育くむもの「命」だ。食が命、食が全てに連動しているなら、食なくして何が育児か、何が未来かー。今、食に子どもが、家族が、未来や老後がかかっているのなら、さあここは一番、へたっている場合ではない。冷蔵庫の食材に、頂き物の根菜に、知恵と体力(時には夫も)を注ぎこみ、今晩も張り切って、おかず作りに励みたい!
 間もなく迎えるクリスマス。サンタクロースのじいちゃんにそっと書いたメッセージ。「どーか時間ば、暇ばください」と綴ったカードはもうしばらく、しまっておかねばならない。ケーキ囲んでお料理作って…。 それでは皆さん、メリークリスマス!


205号 2004年2月29日

(3)食を語るA

 「腹減ったァ!!」で始まる我が家の一日は、たいていの場合「食いすぎたぁ…」で終わる。朝、味噌汁の湯気に眼鏡をくもらせながら、そういえばまぁださっき食べたばかりの夕べのおかずを、うすぼんやりと思い出す。
 下腹やももの周りには、確かに他人様より若干(…)余計めに脂肪がまいてはいるものの幸せな話である。食の神様には、全く、感謝するばかりである。そんな中、小学2年生の息子の担任の先生から“出張クッキー教室”のお話を頂いた。常日頃より、親子ともども人一倍!!お世話になっている担任の先生からのお話。その上子どものクラスで授業参観ならぬ、授業参加ん、させていただけるなんて!!こりゃあもう、店を休んででも行かなくちゃ。
 もちろん教えるのは、菓子歴35年を誇る!?パリ男。が、ここで黙っておれない女ーすなわち私 当初バターの香り深いラングドシャ(猫の舌という名のクッキー)をやる!と張り切っていたこの男に「なんば言いよるね、クッキーて言えばこれたい、ほ、ニコニコクッキー!!」ブスーッとして返事もしない男に構うことなく「基本生地ゃバニラ、ココア生地で目をつけて、カードで口の型つけて、ほ、見らんね、聞かんね」と次から次にたたみかけ、上手に聴きだした材料と作り方を“ニコニコクッキーを作ろう”とさっさとレシピ表にまとめ、前日には先生にお渡ししてしまうこの手回しの良さ。

 やれ分量はこうだの、班はいくつに分けるのと、行くが行くまで、さながら勝手に人の家の庭に入り込んじゃあ縄張り争いする2匹の野良猫よろしく“議論”を重ねているうちに…あ゛〜っ!!  危うく遅刻をするところだった。あたふたと荷物抱えて教室に飛び込むと
「おはようございまあす!!」 バンダナにエプロン姿、やる気満々の子どもたちがとびきりの笑顔で迎えてくれた。
何と、続く


207号 2004年3月14日

(4)食を語るB

 さて、その道35年のキャリアがかわれたのか、はたまた近頃“とーちゃん”の愛称でじわじわ〜っと息子の友だちにその存在をアピールしつつある現状がものを言ったのか、お声のかかった小2の息子のクラスでの“出張クッキー教室”2分遅刻で駆け込んだ、にわか講師とその助手を迎えてくれたのは、元気いっぱいの子どもたち。早速教室をスタートした。
 説明とともに班ごとにバターや小麦粉、卵等を配っていく。ワクワクドキドキの大嵐!ああ…その時の子どもたちの姿、どう伝えればよいのか。目はキラキラ、耳は何も聞き逃すまじとピンと立ち、そのくせ口からは絶えず期待と不安の声。あまつさえ早々と口元によだれ光る。あ!?あれは我が子ぢゃあ…。
 やがて材料は順にあわせられ、クッキー生地に。コロコロペタペタ、あっという間にたくさんたくさんのニコニコクッキーができ上がった。このクッキー、後日開かれるフェスティバルで招待した1年生や園児たちに配るのだとか。どおりでこの笑顔だ。子どもたちはこのクッキーの先に、配る相手の喜ぶ顔をしっかり感じているに違いない。 そう!コレが料理なのだ!
 人がその先に相手の喜ぶ顔を浮かべて、食材に手を加え、思いを込めたとき、料理が生まれる。そうして出来上がった料理は血や肉のみならず、心にまで栄養を運んでいく。そんな料理を身体に心に重ねていく中で、きっと人間味が生まれてくるのだ。
 時間をさいて、心砕いて、たまには実際指なんか切っちまって血まで流して…作られていく料理。そのありがたさ、素晴らしさを、今回このクッキー教室で子どもたちから教わったように思う。  星の数でもない。空腹でもない。
 ‥大切なあなたのために‥
 この心こそが最高の調味料だと私は信じている。


217号 2004年5月30日

(5)食を育む

 今さら告白することでもないがー私、実は筋金入りの“根性無し”である。兎に角何事にも辛抱や我慢が効かない。おまけにすぐに音をあげる、という特典つきの性格だ。
 が、そんな“根性無し”でも毎日の料理だけは、“丸投げ”や“投げ出し”ができない。何しろ我が家には、私の顔を見るにつけ、「飯ゃ?」(訳:飯は何にするのですか?)とたずねる主人と息子…。とはいえ通算13年、もとより少ないレパートリーには、さすがに調理する本人すら、飽き飽きしてしまうのが現実である。

 そこで最近考え出したのが、「こるかる選びなっせ」方式だ。夫所蔵の『お料理の基本シリーズ』を2〜3冊、息子に手渡し“今晩のメニュー”を選択させる。「あんまる高か材料はだめだけんね」と条件は付くものの、選ぶ息子はワクワクだ。何にせよ、夕食という名の馬車の手綱を握ったようなものなのだから。そうして料理が決まると、料理人は実にテキパキと夫に指示を出し、不足材料を取り揃え、いざ!調理にとりかかる。
 やがて完成した“それらしき料理”。
 「わぁ、できたねぇ」「どら、ほ、いただきまあす」当然感嘆符やら賞賛の言葉も増え、会話もはずむ。仮に息子(いや、家人全員)にとってその料理のお味が多少想像していたものから外れていても、そこはそれ「ほ、こけこがん書いてあったい。ね」(実際どこを探しても目分量だの勘だのといった言葉は一言も記載されていない)と、目新しさと物珍しさで、たいていの場合受け入れられる。
 ふっふっふっ。これで安泰。少なくとも5冊はある料理本を前に一人ほくそ笑んでいた矢先、息子がリクエスト。「今日はどれがよかね?」と聞くと、「コロッケが良か。ふつうの」
 作り手さえ飽きるほど作っている“ふつう”の料理がすこしずつ進化して「家庭の味」になるのだろうか。塩加減や歯触り、食べくち、と家族一人ひとりの思いが加味されて、いつしかかけがえの無い“味”を作り出すのかもしれない。
 9歳は9歳なりに着々と、しかもこの面倒くさがりの私の手抜き料理の中に“家庭の味”を育んでくれている愛しい息子に、感涙はあえて見せずに聞いてみた。
 「どうね、うまかね?」     「塩味が足りん」
 家庭の味は一日に成らず、である。


223号 2004年7月11日

(6)食に頼る

 この季節、まぶしさに目を細めながらも見上げれば、空、正に空色。ぬける様なブルーにまっ白な入道雲がグイグイッと湧き上がる。
 夏が来た。シアーなコットンジャージーのワンピースで、海辺に貝殻を見つけに行こうか、それとも山合いの静かな宿に涼を求め、しばし都会の(菊陽町在住)喧噪を忘れ、好きな小説片手に、木々のざわめきに耳傾けて時を過ごそうか、はたまた海外へ…!!
 夢は夢だ…。そして現実に目を向ければ、コンロ全開、オーブンフル回転、仕込み山積火の車。工場内のあまりの暑さに、クーラーを入れた店先に逃げ出すと…室温は23度に設定したはずが、何?何なのだ?この寒さは!?ヒュ〜ルルル…売り上げが氷河期を迎えている。
 フランス菓子屋の夏は厳しい。(うちだけかもしれんが)過去13年の経験と実績から冬にきっちり蓄えておいた現金?いえいえ…皮下脂肪を頼みに何とか“働き”つないでいくしかない。となれば何はともあれ、健康第一!食わんとしゃがにゃ!の出番となる。
 スタミナ料理。財布を開けて、そぉっと閉めた。鰻、ステーキ、すっぽんパス。料理の本に手を伸ばす。だめだ…。先々月と先月に“うまい具合”に息子を操り、“こるかるえらびなっせ”方式(前回参照、恐縮)を続けた為に、目ぼしい料理はしつくした。自称“あずきあらい”の夫がこしらえたぜんざいを、汗をふきふき食べながら、知恵と脂を絞り出す。出ん…。
 結局は家族頼み。「材料の安かつばね」とくれば、はなから答えは決まっている。
 「ギョーザ!」嬉嬉として最高級フランス菓子用マーブル(大理石の作業台)で餃子の皮を練り始める夫。…西日にむれかえる台所。汗ではりつくシャツを時折肌からはがしつつ、せっせと具を練り、もくもく包む130個。我が家の平均餃子製造個数ークリア…。
 「母ちゃんすまんにゃあ!!」
 片やビール、片や麦茶で、焼き立て餃子を待つ親子。底抜けに明るい笑顔と…根性だ。輝く笑顔に光るよだれにわずかに残るスタミナをふりしぼり、焼くぞぉ。フライパンからゆらゆらと陽炎が立ちのぼる。
 焼くぞおぉぉ…。  すまんにゃあ たのまれ みあげりゃ なつのそら おそまつ!


240号 2004年11月14日

(7)食を囲む

 長い長い夏が終わった。悔し紛れか台風を二度も三度も残したが、ようやく秋。厳冬の足は早しと覚悟の中にも、程よく冷気を含んだ秋風を満喫しながら日々を過ごしている。
 もちろん貧乏暇無し。余談になるが本当に不思議でならない。1日24時間「食べる」と「眠る」以外はほとんど「働く」我が家。やれパンだ、やれケーキだ、やれクッキーに洗い物・・・主人に至っては配達までこなすスーパーあずき洗い(この名の由来についてはまた別の機会に長々と語ろう)なのに何故?!何故当店のレジは沈黙を守っている・・・。

が、嘆いても小銭1枚でるでなし。美味しさや本物が帳簿上「原価率」を名付けられ巾をきかせている以上、「夢追うあずき洗い」の女房は、これもまた「運命」と迫りくる請求書の束を握りしめるしかないようだ。
 さてさて詮ない愚痴は止めて話を戻そう。「秋」そう、秋といえば行楽。行楽とくればもう一も二もなく「弁当」だろう。運動会も多かったここ最近、重箱や密閉容器が大活躍したご家族も少なくなかったはず。どんなに時代が変わっても、弁当を囲む人々の顔には笑顔があふれている。この幸せー弁当ーには特別な力があるように思えてならない。
 息子が今、柔道を習っている(といえば聞こえは良いが、実は柔道が格闘技だということすら知らぬまま、まんまと私にだまされて、ついでに親父までのせられて、二人して揃いの柔道着を着せられて今日に至っているのだが)関係で大会出場となると「弁当」の出番となる。その理由ー例えば息子が試合に負ける。
 息子は痛いし、悔しい。で、涙が出る。が、親の心にはもう一つ、ドロドロした暗い思いが去来する。「この根性無しが!!」無論そんな思いはこれっぽっちも愛しい息子に気取られてはならない。「弁当」が登場する。途端、涙も(怒りも)中断。おにぎりを一口かむ毎に、敗因は「自分の弱さ」から「相手の強さ」にすりかわる。卵焼きや唐揚げを頬張れば、その「食いっぷり」はメダリスト。デザートに梨でも入っていた日には「よぅ頑張った、そん調子そん調子(?!)」親の記憶もとんでいる。澄み渡る秋晴れの空がまぶしい。
 鶏並に早起きし、炊きたて御飯を手に握り、豚カツ、唐揚げ、ウインナー、餃子に焼き豚、肉団子・・・限りない注文にめまいをおぼえても励んで作るお弁当。幸せを運ぶ力がみなぎっているのは当然なのだ。天高く皆肥ゆる秋に弁当力、皆さんも是非お楽しみ下さい。


252号 2005年2月13日

(8)食に燃える!

 2月14日といえば、言わずと知れた愛の劇場バレンタインデーである。お菓子屋を営む我が家も、今年はどんなチョコを創ろうか…楽しみの中に考案・創作中だ。何しろ材料のクーベルチュールはフランス・ヴァローナ社製。その完成度と、値段=原価の突出した高さが、嫌が応でも店主の職人気質に火を付ける。チョコレート、生チョコ、焼チョコケーキetc.…創作の歓びと請求書の束が、油を注ぐ→燃え上がる。

 ところが最近不穏な動きが。愛の証の代表格チョコレートが今や付け足し、おまけ化している、というのだ。そういえばこの時期紳士物の宣伝や広告ビラが多くなる。ネクタイ、セーター、オーディオ、靴下、ピ、ピアス!?なるほどそれらは実用的。もらった男性も喜びひとしおだろう。

例えそれが、ホスト様御用達・キラ系ドレスシャツだろうが、中年腹には多少厳しい紳士用“勝負パンツ”だろうが、LVのLが少ーし長めのような気もする外箱なしのブランド財布だろうが…だ。思いがけない(或いは想像を絶する!)プレゼントに嬉しさをかくせぬ男性を、笑顔で見つめる女性。その視線の先には、あ、あれはひょっとすると、燦然と輝くホワイトデー!!

クロコのバッグやツィードのスーツ、胸元を飾る星の形のペンダントが、VIPよろしく控えている。タイを釣るならオキアミよりエビ、エビより伊勢エビ…いやいやそれじゃ割が合わんからザリガニだぁ。
 「愛か、欲望か…」永遠の謎に悩める男性が何気につまみ、口に放り込んだ“付け足し”チョコが何と深い香り。何とここちよい甘さ。思わず「愛だ!!」と確信する決めてとなるなら励め!夫!!今こそ技術と味覚の粋を極め、チョコ=愛の証の力を見せてやれ!!
 さてさて我が家にも、チョコレート受給資格者が約2名。「俺ァエルビスのCDば」「直はカードパック10個」予測される答えを前に「こんクッキー、味見せえよ」で終わった昨年のホワイトデーの悲劇がまざまざと脳裏によみがえる、駆け引き下手の妻であった…。 皆さん、どうぞ 
Happy   St.Valentin‘s

 
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