ワンネス 1006号 2021/03/28 発行

おいしくできました
ふれあいの森研修センター子どもパッククッキング

 ふれあいの森研修センター単発講座第4回子どもパッククッキングが2月27日(土)、同センター調理室で行われ、小学4年生から6年生の8人が参加しました。
 子どもたちは、講師の内田早苗さんの指導で、災害時に子どもでもビニール袋を使って簡単に作れるパッククッキングで「肉じゃがと栗きんとん」に挑戦しました。
 まずは、肉じゃがの材料のにんじん(角切り)、じゃがいも(乱切り)、玉ねぎ(くし切り)を切って、牛肉、しらたきを袋に入れしょう油と砂糖で味付けをして加熱すると20分で出来上がりました。また、栗きんとんは、さつまいもの皮をむいて厚さ2〜3cmに切り、15分水に漬けてから、平たくして袋に入れ15分加熱し15分蒸らします。すりこぎで潰し滑らかになったら砂糖を入れ、栗を飾って出来上がりです。
 参加した小春さん(小4)は「みんなで作るのは楽しかった。久しぶりに包丁を使いました。少し怖かったけどじょうずにじゃがいもの皮をむきました」と話してくれ、瑠人くん(小5)は「肉じゃがの皮むきが難しかった。うまかった!し楽しかった。また参加したいです」と喜んでいました。

 

 


久しぶりの開催
地域交流祭

 菊陽町文化協会(石坂会長)主催の第11回地域交流祭が3月13日(土)、菊陽町老人福祉センター大広間で開催され、歌や踊り、サクソフォン演奏などが披露されました。
 コロナ禍での開催のため、手の消毒や観客のイスとイスの間をあけたり、換気も十分に行い、ステージには飛沫防止のパネルもあり、十分注意しての地域交流祭となりました。
 出演した田中さんは「88歳です。舞台に立って歌うと緊張しました」と話され、實取さんは「1年ぶりに皆さんの前で歌いました。気持ち良かったです」と話されました。また、会場内には「椿の会」や「盆栽クラブ」の展示もあり、来場者は足を止めて眺めていました。
 会場では、募金活動もあり、集まった募金と町文化協会からの寄付金と合わせて、菊陽町社会福祉協議会へ寄付されました。

 


  碓井秀典 (東京都港区在住 原水出身)

(14) 月に叢雲

 古典落語と新作落語があると前に触れましたが、新作の中には作者付き落語(?)というものもあります。噺家自身が作って演じるとそのまま新作となりますが、今回の場合は、落語作家が作って噺家が演じるという形です。昭和の頃からあったようですが、落語作家とと言えば、桂枝雀に「幽霊の辻」を郵送して認められ、その後多くの噺を提供している小佐田貞夫氏が第一人者です。ほかにも、余技的になりますが、中嶋らも氏もいましたね。
にも広がっていけば、古典落語の一つとして定着する佳作だと思います。

 笑福亭三喬は2017年に師匠の名跡を襲名し7代目松喬となりました(今回音源は三喬時代のもの)。盗人噺を多く演じていたので、「泥棒三喬」の異名をとっていましたが、その他の古典落語も得意にしています。「月に叢雲(花に風)」は「佳いことには何かと悪いことが起こりがち」という意味で、その風流な響きが昔の時代劇に出てきそうで、盗人ものにはピッタリだと思います。小佐田貞夫氏作で、そのまま古典落語で通る風体をしています。今のところ三喬以外の演じ手を知りませんが、他の噺家にも広がっていけば、古典落語の一つとして定着する佳作だと思います。


  神田みゆき 東ヶ丘

(12) 自然災害への備えはできていますか

 SDGs教育コーディネーター、防災士の神田みゆきです。今年は、東日本大震災から10年、熊本地震から5年の節目の年となります。最近また頻繁に地震が起きたりしていることもふまえ、ここで災害への備えも含めてお伝えしていきたいと思います。

 SDGs11「住み続けられるまちづくりを」というものがあります。この目標には、「安全で災害に強い町や人々の住む場所をつくる」「災害などがあっても、早く回復で きる持続可能なまちづくり」などの意味を含んでいます。皆さんは自然災害への備えをされていますか?改めて考えてみましょう。

@非常用持ち出し袋
 保険証コピー・貴重品、医薬品などをまとめたもので、飲料水や食料品などの一部もいれたものです。避難時にホッとできるお気に入りのお菓子やコーヒーなどを少しいれておくのもおススメです。
A飲料水
 1人1日3リットルを目安として、3L×3日分=9L、9L×家族の人員数分は備蓄しておきましょう。
B食料
 災害発生から3日間は公的支援が得られないと考え、3日分×家族の人数は準備しておくとよいといわれています。ペットも大事な家族ですのでペットの分も準備しましょう。食料には賞味期限がありますので、ローリングストックをお勧めします。常に一定の数は確保しつつ、買い足したら、そのぶん古いものを食べていくというものです。
C避難場所の確認
 災害発生時に家族がバラバラの場所にいる可能性もあります。どの避難所を目指すのか、家族で確認しておきましょう。
D便利な道具
防災用ラジオや懐中電灯、携帯電話の充電器などは、ソーラー充電や手回し充電などができるものも販売されています。また、養生テープや筆記用具、軍手や工具、ヘルメット、ホイッスルなども可能であれば準備しておくと便利です。ガラスなどが割れることも考えると、枕元にスリッパを置いておくとよいそうです。また、地域のハザードマップも確認しておきましょう。
 いかがでしたか。地震に風水害など、いつどのような災害が起きるかわかりません。命を守るためにも、改めて一度家族で話し合う時間を持ってみてくださいね。


  自家焙煎珈琲しゃらん  舩元 優二

(47)「銀座カフェーパウリスタ」
  コーヒー文化の発信基地的な場所

 明治時代の終りの頃、そもそもコーヒーとは、どんな場所で飲まれていたのか?聞くと西洋には、「カフェー」という場所があり、そこで皆コーヒーを飲んでいるといいます。
 水野 龍(りょう)という人物が、早速パリの「カフェープロコプ」へ視察に向かいました。するとそこでは、多くの老若男女がテーブルを挟み、正装した給仕が運んできたコーヒーを飲みながら、たいそう楽しそうに会話を交わしている光景が広がっていました。「この場所が日本にあれば」そう考えた水野は、すぐ、このカフェをまねて東京銀座にカフェをつくりました。それが「銀座カフェパウリスタ」です。ブラジル政府から無料でもらいうけた豆を強みに、コーヒー1杯を5銭で提供。「もり、かけ、銭湯3銭」というこの時代に、「5銭出せば誰でも豪華で文化的な雰囲気にしたりながら、西洋のハイカラな飲み物が飲める」と、これがたちまち評判となります。朝日新聞社、電通本社、帝国ホテル、外国商館にほど近くに位置する東京で最も進歩的な文化人が集まる場所であったことから、文化人や新聞記者のたまり場になりました。
 このカフェでは、朝9時から夜11時の営業時間で、多い日には約4,000杯のコーヒーが提供されたと言われています。「銀ブラ」を流行させた慶応義塾大学生が、大勢の文化人が集まるこの場所に足を運び、大作家や新聞記者の隣に席を取って会話に聞き耳を立てたりしていました。師や友人たちとコーヒーカップを傾けながら何時間も討論したり、夢を抱えた学生にとっては、多くの刺激をもらえた空間だったようです。
 私も学生時代、先輩、友人らとジャズ、クラシックを聴きながらコーヒーをお代わりし、長時間語り明かした、昔懐かしき喫茶店を思い出します。今は、もう残っていませんので一抹の寂しさを感じています。


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