ワンネス 914号  2018/07/29発行

夏だ! 祭りだ!
三里木保育園

 三里木保育園(田中園長)で7月14日(土)、「第4回さんりぎっこ夏祭り」が行われ、107人の園児たちとその保護者、近隣住民でにぎわいました。
 年長うめ組のときくんとはるかちゃんが「第4回夏祭りを始めます」と、元気に開会あいさつの後、うめ・さくら・つばき組の園児たちが「サンバおてもやん」の音楽と共に、おみこしを担いで入場し、園内を練り歩きました。続いてうめ組園児がステージ上で「ダンシング・ヒーロー」を、また、全園児で「お祭り太鼓だ ドンドンカッカッカッ」を、この日のために練習を重ねた竹太鼓で演奏し、会場から大きな拍手を受けました。
 園内には焼きそばやチャーハン、かき氷、ポップコーンなどの食バザーのほか、輪投げや射的などのゲームコーナーもあり、大盛況。休憩を挟んでの第2部では、熊本菊陽学園・保育園職員、保護者会役員が、ステージ上でそれぞれ渾身(こんしん)のパフォーマンスを披露し、園児たちは普段と違う先生たちの姿に大興奮、大きな歓声が上がりました。

 

 


歓声上がる
 イルカウオッチング

菊陽町歩こう会

 梅雨も明け、猛暑日となった7月11日(水)、菊陽町歩こう会(久保田会長)は「天草海鮮グルメとイルカウオッチングの旅」へ出掛けました。
 菊陽町ではやっと田植えが終わったところですが、天草地方ではすでに稲穂が重く垂れさがり、収穫を待っているようでした。有明海のミナミバンドウイルカは、海流が激しい場所に約200頭が暮らし、通詞島近くにいることが多いそうです。我々を歓迎するように群れを成して船に近寄ってきて、素晴らしいパフォーマンスを披露しながら泳ぐ姿に歓声が上がりました。
 ランチは評判の海鮮専門店で旬の刺身定食をいただいて、舌鼓を打ちました。また、海外からの観光客も多く、今年世界遺産に認定された、ア津集落巡りと共に人気があるそうです。熱中症が心配されましたが、こまめに水分を取り、全員無事、帰路に着いた楽しい5000歩の旅でした。

写真・文提供 久保田会長

 

 

 


狙いを定めて
菊陽町東部町民センター

 菊陽町東部町民センター(西本所長)が主催する第13回室内ペタンク大会が7月18日(水)、同センター多目的ホールで行われました。
 参加者は大会に先立ち、DVDで「家庭の中の人権 カラフル」を鑑賞し、人権について学習しました。この後、開会式では、中代Bチームの熊野さんと中田さんが「室内ペタンク大会を通して、多くの方と出会い、楽しい時間を共有することでお互いがいきいきと生活できる地域づくりをめざし、参加者相互の親睦を図りながらプレーすることを誓います」と選手宣誓を行いました。
 大会は各地区の対抗戦で、1チーム12個のボールをビュット(目標物)に投げ、より近づけることで得点を競うゲームです。各チームとも、作戦を立てながら協力してボールを投げ、全然違うところにボールが行くと「あ〜あ」と残念がり、うまく投げたら拍手をして喜んでいました。優勝は前回と同様、中代Bチームでした。
 津留区チームの阪本区長は「第1試合は完全にリードしていたのに負けてしまい、第2試合は同点になり区長対決の1投勝負でどうにか勝つことができました」と話されました。

  

 


  三里木区 たわらや酒店 宇野功一

(142)夏の甲子園100回記念大会に思うこと
平和な時代をつないで行こう!

◆夏の甲子園100回の歴史
 日本の夏の風物詩となっている夏の甲子園大会が、今大会で100回目を迎えます。
 夏の甲子園大会の正式名称は、「全国高等学校野球選手権大会」といいます。第1回大会が開催されたのが、1915(大正4)年のことです。甲子園の長い歴史の中で、開催されていない年があります。
〇第4回大会・1918(大正7)年。米騒動のため。
〇第27回大会・1941(昭和16)年。日華事変の激化。
その後、翌年(1942年)から昭和20(1945)年まで、甲子園の開催がされていません。戦後、復活したのは、1946(昭和21)年の第28回大会からでした。

◆高校野球の甲子園、日本酒の品評会
 余談ですが、「全国高等学校野球選手権大会」が開催された時、まだ甲子園球場ができていませんでした。球場で大会が行われるようになったのは、1924(大正13)年・第10回からでした。
 日本酒の業界でも、この時期に全国大会が開催されるようになりました。日本酒の品質向上を目指して、大蔵省は、東京都滝野川に、醸造試験所を開設。1911(明治44)年から、隔年開催で、全国清酒品評会が開催されるようになりました。品評会出品用に、特別に吟味した米を、高度に精米して、低温でじっくり醗酵させた日本酒を、いつの日か吟醸酒と呼ぶようになりました。
 品評会で金賞を受賞すると、蔵の酒が売れることにつながり、大正時代には、全国清酒品評会が活況を呈してきました。エントリーする蔵元も、回次が進むごとに多くなりました。しかし、全国清酒品評会も、1936(昭和11)年を最後に開催されなくなりました。戦前、統制経済の下で、贅沢に吟味して醸(かも)す吟醸酒は製造できなくなったのです。

 今年も夏の甲子園が開催されます。球児たちの熱戦が楽しみです。忘れていけないことは、甲子園が開催できることも、清酒鑑評会(戦後は鑑評会に)ができることも、平和な時代が持続しているからなのです。平和な時代を、今後も守らないとならないと思うのです。


  セミとの遭遇

     

 三里木区の家庭的保育所「シェ・ヌヌ(森永代表)」に通う子どもたちは毎年この時期、お散歩の途中に東京エレクトロンさんの桜の木で鳴いているセミたちと初対面します。
 保育士さんが捕虫網で捕まえた、初めて目にする生きた元気なクマゼミに、ほとんどの子どもたちが及び腰、そして涙目。大きな声でワシャワシャ鳴いて、じたばた暴れるセミが「小っちゃい怪獣」みたいに見えてるんでしょうね。


シモツケソウ  バラ科

 九州から本州に約5種類が自生する多年草。7〜8月に白、または紅色の小さな集合花をつける。花言葉は「純情」「穏やか」「控えめなかわいさ」。6月14日、7月21日、8月22・28日、10月13日と複数日の誕生花。

撮影場所
緑ヶ丘区 Tさん宅

 


編集後記

 酷暑。我が家のエアコンはフル稼働中です。
 ちょっと調べてみたところ、気象庁のデータでは、100年前の1918年(大正7年)熊本市の7月29日は、最高気温32.7℃、最低は22.8℃でした。そして7月の熱帯夜(気温25℃以上)は、なんと、たった1日! エアコンいらず!100年前、最高ー!
 …はあ、今月の電気代いくらだろう…。 (T.U)