ワンネス 774号  2015/09/06発行

福岡ヤフオクドームを満喫!
菊陽町歩こう会

 8月5日(水)菊陽町歩こう会は「福岡ヤフオクドーム見学とホテル極上ランチの旅」を実施しました。
 ヤフオクドームでは球場内に入り、選手が使うベンチやバットケース、グローブや飲み物が置かれる場所を見たり、感触を楽しみました。王貞治ベースボールミュージアムでは、王さんの中学2年時の直筆作文が展示され、誠実な人柄や家族への思いが表れていたのが印象的でした。グラウンド内ではその広さに驚き、思い思いのホークスユニフォームで記念撮影しました。
 ヒルトンホテルでは極上の雰囲気と豊富な種類のバイキング料理を堪能し、明太子工場見学もあり、盛りだくさんでした。
 高木さんは「グラウンド内に入れたし、ベンチにも座れたし、大きさも迫力も満点でした」と笑顔でした。
文・写真提供 久保田会長

 

 


囲碁っておもしろいよ
白鈴園子ども囲碁教室

 白鈴園で、8月5日(水)と12日(水)に、子ども囲碁教室があり、年長児が囲碁に挑戦しました。
 指導は、NPO法人 熊本子ども囲碁普及会の藤崎理事。最初に簡単なルールを説明し、男子対女子で相手の石を取る練習をしました。七路盤ときれいな色の磁石を使う初心者用のセットは手作りのもの。園児は、次はどこに石を置こうかとじっくり考えたり、さっと置いたり。男女二人のペアでの対戦もあり、相手の石が取れると喜んでいました。
 藤崎さんは「ゲームを通じて勝ったり負けたりしながら自分で考える力をつけることが大事です。囲碁は、右脳を使うと言われ、感性を育てます」と囲碁の良さを話されました。

 

 


楽しく交流
菊陽町南部町民センター

 平成27年度世代間交流事業「中高齢者と子どものふれあい交流会」が8月7日(金)菊陽町南部町民センターに、菊陽町南小学校の児童や地域の方たち、約100人が参加して行われました。
 子どもたちは、地域の方に教えてもらいながら、おはじきやお手玉、けん玉などの昔ながらの遊びや獅子頭作りなどを体験しました。昼食には、ボランティア手作りのカレーや唐揚げをおいしくいただきました。午後からは「おたのしみ交流」としてマジックや菊陽南小柴田校長先生のギター演奏などもありました。
 指導した鈴木さんは「子どもと一緒に獅子頭作りをしました。若返りました」と話され、参加した有輝くん(小5)は「自分が大人になったら昔遊びを子どもに教えたいです」と笑顔。真由さん(小4)は「ゲームは一人でもできるけど、昔遊びはお友だちがいないとできません。昔遊びをすることでつながりができました」と話してくれました。

 

 


文楽を気楽に楽しもう
らく楽文楽ワークショップ菊陽

 菊陽町合併60周年記念事業として「清和文楽人形芝居」菊陽公演が、8月8日(土)菊陽町図書館ホールで開かれ、公演に先立ち午前中には「気楽に楽しむ“らく楽文楽ワークショップ菊陽”」がありました。
 ワークショップでは、山都町の清和文楽保存会の太夫 竹本さんが人形浄瑠璃の人形遣いや義太夫節、三味線について詳しく説明。参加者は、初めて近くで見る人形や太夫の声などに驚嘆。人形遣いにも挑戦し、首(かしら)と右手、左手、足を3人で分担する操作の方法を学びました。
 午後2時半からは、同ホールで「清和文楽人形芝居〜傾城阿波の鳴門」が上演され、「巡礼歌の段」では、十郎兵衛とお弓、おつるの悲しい運命が観客の涙を誘いました。終演後には、人形とふれあい体験もでき、記念写真を撮る人の列ができていました。

 

 


  (110)  三里木区  たわらや酒店  宇野功一

戦後70年 日本酒の戦前・戦後

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に『和食』が決まりました。(詳細は、酒おもしろ小話 bX0・平成26年1月号を参照)和食のつれあいである「日本酒」への関心が国内・海外問わず、高まっています。
 しかし食品の偽装問題、原材料をめぐる消費者の関心は高く、日本酒においては、原材料に醸造アルコールを混ぜたケースの日本酒が注目されています。
 戦後70年、日本酒の変遷をアルコール添加という視点で考察してみます。

■戦前の日本酒は純米酒
 日本酒の原料は「米」だけのはずです。明治40年に第1回全国清酒品評会が開催され、それ以降、2年に1度・隔年で開催されるようになりました。全国各地で日本酒の品質向上が進むようになりました。原料米を白く磨き、低温醸造技術が確立され、大正時代には、日本酒は多くの日本人に、特に女性の方々にも飲まれるようになりました。
 しかし、昭和恐慌の解決を求め、大陸進出へと舵をきった戦前の日本。日本酒製造にも変化が起こるようになりました。日本酒は米を白く磨くことで、大量のお米を消費します。たいへんに贅沢なものでした。満州では米がふんだんにありません。しかも冬季は内地よりも寒さが厳しく、氷点下30℃になることもありました。内地から運ばれた日本酒は、寒さに耐えられずに瓶内で凍って、瓶が割れてしまいました。
 昭和17年、満州では醸造米が極端に減らされました。しかし、日本酒を求める需要は旺盛でありました。満州の日本酒の技術者は、醸造アルコールを添加することにより製造する技術を確立しました。少ない原料で、酒税収入は維持されましたので、技術開発をした技術者はヒーローになりました。

■大蔵省は日本酒文化を守った
 大陸でアルコール添加(アル添)技術が開発されましたが、日本国内ではアル添による日本酒製造を許しませんでした。アル添することで、3倍量の日本酒製造が、日本国内で許されるようになったのは、戦中、戦後ではありませんでした。お米不足が貧窮する時期を脱しつつあった昭和25(1950)年のことでした。
 当時の大蔵省は、日本酒を文化として守ったのではないでしょうか。しかし、お米が余る平成の今日となっても、米不足の時のルールで日本酒が作られている。それは、問題ではないでしょうか?
 日本酒が国内外の消費者に、より一層支持されるためには、本来のように「米」だけで醸造されるルールに戻す時期に来ているのではないかと思います。


ようこそ菊陽町へ
屋久島町交流会

 8月4日(火)から7日(金)の4日間の日程で、菊陽町の姉妹都市 鹿児島県屋久島町の子どもたち15人が菊陽町を訪れました。
 熊本城や鼻ぐり井手を見学したり、図書館で菊陽町の紹介ビデオを見て、熊本や菊陽町について勉強。また、図書館ホールで菊陽町の子どもたちと一緒にカローリングや五目お手玉に挑戦したり、手遊びや人間知恵の輪などの遊びで交流を深めました。
 屋久島町の俊喜くん(中1)は「鼻ぐり井手や熊本城を見学しました。昔ながらの伝統や歴史が受け継がれていて勉強になりました。来年は菊陽町の子どもたちが屋久島町へ来ます。また会えるのが楽しみです」と話してくれ、小6の唯夏さんは「屋久島町の中学生とお友だちになりました。来年は屋久島町へ行ってお友だちになった人と再び会いたいです」と話してくれました。

 

 



文楽人形を作ってみたよ

 お母さんが、清和文楽人形芝居のチケットを買ってくれたことから、文楽に興味を持ちました。時代劇が好きで工作も好きなので、「団七」人形を作ってみました。ワークショップに持って行って、皆に見てもらい、文楽人形の操作を体験でき楽しかったです。



ゴーヤカーテン研修会に参加
本田加代子

 8月8日(土)、南方区公民館で開かれた「ゴーヤカーテン研修会」に参加しました。
 最初に、南方区でゴーヤカーテンを作られているお宅を訪問しました。それぞれのお宅で趣向を凝らして、棚の形も様々でした。「ゴーヤかまくら」と名付けられた棚では、真夏の日照りから中に入ると、一瞬さわやかな風を感じ、ゴーヤの香りでしばし癒されました。数軒散策した後、同区公民館で、ゴーヤの種でペンダント作りを習いました。ゴーヤジュースでのどを潤し、勉強会となりました。
 昼食には、手作りの「ゴーヤづくし弁当」をいただきました。ゴーヤちらし、ゴーヤてんぷら、ゴーヤサラダ、ゴーヤゼリー。全てゴーヤを工夫して作ってありました。
 合志市からも参加があり、南方地域の方が多数参加され、有意義な一日でした。最後には、ゴーヤ踊りの振り付けを考え、披露して帰りました。これからも機会を見て勉強したいと思います。

 

 

 



サルスベリ ミソハギ科

 中国南部原産。開花期間が長いので百日紅(ヒャクジツコウ)とも呼ばれる。
 8月29日の誕生花。花言葉は「愛嬌」「不用意」
撮影場所 菊陽町働く婦人の家