ワンネス 466号  2009/06/21発行

ホタルと一緒にダンス!
杉並台ホタルを育てる会

 6月7日(日)杉並台ホタルを育てる会(久川 健代表)主催、合志杉並台自治会、若草会、子ども会後援のホタルコンサートが合志市の飯高山公園円形広場で午後6時から行われました。
 今年で4回目となる手作りのコンサートには、熊本市から大学生らでつくるよさこいダンスグループ「肥後真狗舞」が火の国をイメージした迫力ある踊りを観客といっしょになって踊りました。また、専修大学玉名高校吹奏楽部52名がマーチングバンド演奏を披露しました。合志中学校出身の6名を紹介され、杉並台在住の小川眞央さん(3年)米岡祐美さん(3年)は「地元なので緊張しましたが、一生懸命頑張りました。とても楽しかったです」と晴れやかな顔で話しました。
 広場には子どもたちが描いたたくさんのペットボトル灯篭が並び、訪れた人たちをやさしく照らしました。若草会が手作りしたあたたかいコーヒーやおにぎり、団子汁なども用意されました。
 菊陽町から訪れた藤本純子さん(沖野区)は「孫といっしょに見に来ました。素晴らしいですね〜。近くなのでまた来たいですね」とホタルコンサートのひとときを楽しんでいました。

 

 


火事ですよ〜!
むさしがおかじどうかん

 6月1日(月)むさしがおかじどうかんで母親クラブの親子20組が参加して避難訓練が行われました。
 参加した親子は非常ベルが鳴り出すと、子どもの手をとり職員の誘導に従い速やかに室外へ非難。第一避難場所となる施設公園前に集合しました。
 訓練では、緊急避難機器を扱う(株)丸山防災から初期消火の重要性と消火器の取り扱いについての説明を聞き、用意された水の入った消火器を実際に扱い、タイヤの的に当てる訓練を親子で体験しました。また、天ぷら油に火が入ったら絶対に水を入れないことや、初期消火の方法などの豆知識を熱心に聞いていました。
 参加した宮階礼奈さんとはるかちゃん(南八久保区)は「家にはスプレー式の簡易消火器がありますが、今日は改めて勉強になりました」と話しました。

 

 


笑顔がいっぱい
一人暮らし高齢者の集い

 菊陽町民生委員児童委員協議会(今井 洸会長)主催の平成21年度一人暮らし高齢者の集いが6月2日(火)菊陽町老人福祉センターで行われ、73歳以上の高齢者120名が招待されました。
 開会式で今井会長が「こうして皆さんとお会いできうれしく思います。ゆっくり楽しくお過ごしください」とあいさつ。矢野智恵子さん(原水新町区)阪本厚子さん(熊本市)とピアノ伴奏山田貴世さんの3人ユニット「月の雫」のコンサートがあり「川の流れのように」や「ふるさと」などの歌が披露されました。また、社協職員と役場職員による「地デジ」を題材にした寸劇もあり、詐欺にあわないようにと、ユーモアたっぷりの演技で注意を呼びかけました。会食時には演芸もあり、菊陽民踊会による日舞や黒髪ひょっとこ愛好会の楽しいひょっとこ踊り、お楽しみ抽選会もあり楽しいひとときとなりました。
 出席した大塚君子さんは「毎年参加しています。コンサートはとても素晴らしく癒されました。ひょっとこ踊りはとてもおかしくて大笑いしました」と喜ばれました。

 

 


今年も作りました
宮ノ上区

 6月2日(火)宮ノ上区(宮邊松代区長)でゴキブリ退治のホウ酸団子づくりが同区公民館でありました。
 例年公民館活動の一環で参加者を募り、希望者の分も作っています。今年は17名が参加し、希望者18名にも配布できるよう、フードプロセッサーで玉ねぎを刻みホウ酸と混ぜ合わせていきました。手馴れた作業の合間には「ゴキブリは水を飲みに来るらしいから水回りに置くといいよ」「子ねずみにも効果があるみたい」などの知恵も出し合いました。
 それぞれの分が団子に作られたあとは、おまちかねの弁当昼食。料理自慢が持ち寄った手作りのお煮しめや山椒の佃煮、ゼリーや芋餡の団子も次々と並び、レシピも交換し合って楽しいおしゃべりが続きました。
 有木弘子さんは「やっぱり今年も作りに来ました。環境もよくなるし、おしゃべりも楽しいです」と話されました。

 

 


  (70)  上津久礼区  古川医院  古川まこと

感染症の時代J 結核3 結核に侵され亡くなった人々

 不治の病と言われるような病気に罹患すると生涯その病気と付き合うことになります。残された時間といのちをいかに使うか、個々人の人生観によりさまざまな生き方・死に方があるようです。昔は結核、今はガン、罹患した患者のさまざまな人生があります。
 徳富蘆花の「不如帰(ホトトギス)」(1898年)のように、結核の患者が小説の主人公に取り上げられ、結核のイメージが人々に浸透していきます。主人公の結核による死が人々の同情と涙をさそい、不治の病・結核の悲劇を人々のこころに植えつけました。ホトトギスは口の中が紅く、人がその歌声をまねると血を吐いて死ぬと昔から言われていました。それが吐血を連想させ肺結核の別名となったようです。結核に倒れた正岡子規の「子規」もホトトギスを意味します。
 ロシアのチェーホフ(1860〜1904)はモスクワ大学医学部を卒業し医師になったばかりの24歳のとき、突然喀血しました。彼は喀血を繰り返しながら、活発な作家活動を続け、豊かでダイナミックな自然描写と深い絶望感の漂う暗く悲観的な人間描写との極端な2面性をもつ作品を生み出しました。彼の人生は旅の連続で、シベリア、ウィーン、ヴェネチア、ヤルタと転々としながら作家活動を続け、ドイツのバーデンヴァイラーでその旅を終えています。その他、ショパン、ドストエフスキー、バルザック、スティーヴンソン(宝島)も結核で亡くなっています。
 満24歳で夭折した樋口一葉(1872〜1896)はもっとも悪性度の高い奔馬性肺労(進行の速い肺結核)でした。その短い生涯に「たけくらべ」などの名作と膨大な日記を残しています。彼女の父と長兄が肺結核で亡くなり、17歳で一家の当主となりました。彼女は貧乏と結核の二重の苦しみのなかで作家を志していたが、どうにか原稿料で生活が出来るようになったのは死ぬ間際のほんのひとときだったようです。
 結核で苦しんだ正岡子規は21歳で喀血し、13年間の苦しい闘病生活の末に34歳で亡くなっています。両肺に大きな空洞ができ、腰椎の脊椎カリエスを併発しました。脊椎は潰れ、絶えず骨から膿が流れ出て腰部・臀部に流れていたため、妹が毎日膿を拭って包帯で包んでいたようです。彼は病床で仕事をし、手紙も書きました。「糸瓜(へちま)咲いて痰のつまりし仏かな」彼の辞世の句です。 
 水俣市出身の詩人、渕上毛錢(1915〜1950)も東京の大学に勉学中20歳で結核性股関節炎を患い、療養のため水俣の実家に帰りました。亡くなるまでの15年間、病床で俳句や詩の創作活動を行ないました。敗戦後1946年「水俣青年文化会議」を組織し、音楽会・観劇会などの文化活動の中心的役割を担いました。死の直前まで生きる意欲を持ち続け、生死を超えた「さとり」の境地にまで達していたようです。
 その他にも石川啄木、国木田独歩、梶井基次郎、堀 辰雄、森 鴎外などが結核とともに生きた作家です。

参考文献:「感染症は世界史を動かす」ほか


 

 合志市杉並台 
 犬童正洋さん 57歳

 この度、合志杉並台地区の区長(自治会長)に就任しました犬童と申します。
 歴代会長から受け継いだ良き伝統を守りつつ、地区住民の皆様が不安の無い暮らし良い団地作りを目標に、努力していく所存であります。地域の皆さんのご支援宜しくお願い申し上げます。

 大隈稔文くん  1歳5ヵ月  新山区
 お散歩が大好きです。
 二人のお兄ちゃんと元気に遊んでます。


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ペットボトルを使ったストレッチ
手首のストレッチ

 イスに座りテーブルに両ひじを伸ばした状態で乗せます。(写真)息を吐きながらひじをゆっくり曲げます。(写真)息を吐き終わったら吸いながら、元に戻します。このストレッチを10セット行ってください。
  手の甲をテーブルに付けます。息を吐きながらゆっくり手首を持上げます。(写真)息を吐き終わったら吸いながら下ろします。このストレッチも10セット行ってください。
一つの動きをできるだけ時間をかけてゆっくり(スロートレーニング)行ってください。手首の骨折予防に効果があり、座ってテレビを見ながらできるし、ペットボトルをボールや果物に持ち替えても楽しくできます。