ワンネス 398号  2008/02/03発行

 
伝統行事を楽しむ

津留区

 津留区(矢野郁夫区長)では1月13日(日)十五夜の綱引きともぐら打ちが行われました。
 早朝から、区内にあるお地蔵さん前で区の方たちと子どもたちが協力して長さ約12mの立派な綱を練り上げ天満宮に奉納し、お神酒をあげました。このあと、区民総出の綱引きとなり、東対西、子ども対大人などに分かれ、何度も綱を引きました。
 また、この夜にはモグラ打ちもあり、阪本貢紀くん(菊陽中部小6年)沖川誉知くん(同5年)阪本雅樹くん、矢野成豪くん(同3年)阪本遥人くん(同1年)の5名が各家を回り「13日のモグラ打ちは田畑行け」と言いながら地面を力強く叩きました。途中からは可愛い助っ人も参加しもぐらを追い払いました。
 子頭の阪本貢紀くんは「各家庭を回って十五夜の綱引きの綱代を集めるのが大変だったけど、綱引きは楽しかったです。もぐら打ちは筋肉痛になったけど最後まで頑張ってやり遂げました」と話してくれました。

 

 


 子どもたちは元気に十五夜の綱引き、もぐら打ちはがんばっていました。昔ながらの伝統行事が受け継がれていくのが嬉しいです。(谷川)

大堀木区

 大堀木区(瀬上昌夫区長)では1月13日(日)夜にもぐら打ち、14日(月)には綱引きがが行われました。
 子どもたちは、夕方5時に区の公民館に集合。老人会の方たちが作ったもぐら打ちを持って各家庭を回り「13日のもぐら打ちは田畑行け」と言いながら地面を叩きました。そのお礼にお菓子やおこずかいをもらい喜んでいました。
 また、14日(月)には十五夜の綱引きが行われ、早朝より区のグラウンドで老人会の方たちと子どもたちが協力して立派な綱を練り上げました。午後からは、大堀木、塔平、往還、水尻の4ヵ所で綱引きを行い、力いっぱい綱を引きました。
 「もぐらうちは楽しかったけどきつかったです」と初めて参加した矢野勇人くん(菊陽中部小1年)。嶋田仁之介くん(同3年)は「綱引きは手が痛くなるほどがんばって引きました」と笑顔で話してくれました。

 

 

ふれあいの森研修センター

 1月12日(土)ふれあいの森研修センター(紫藤広美所長)で同センター主催の「ジャンボかるた大会とぜんざい会」が開かれ、小学生がビッグサイズのかるたに挑戦しました。
 今回使用したA4サイズのジャンボかるたには「犬も歩けば棒に当たる」などのことわざが描かれています。昔の人が考えたことわざを覚えてもらおうと、菊陽町社会教育指導員の平山洋二さんが大きな声で読み上げると、参加した11名の子どもたちは目を皿のようにしてかるたを見つめ「ハイ!」と元気な声で札に手を伸ばしていました。2回戦3回戦とゲームが白熱してくると、一枚でも多く取ろうと身を乗り出したり友だちとぶつかったりしながら汗をかくほど遊びました。
 高森かりんさん(菊陽北小2年)は「聞いたことのないことわざばかりでした。勇気を出して札に手を出しました」とカルタ取りに熱中していました。

 

 カルタに描かれたことわざは、昔からのいろはかるたでした。今の子どもたちにはなじみがなく、私も「どんな意味だろう ?」と首をひねるものがありました。難しかったです。(岩田) 


下津久礼区

 1月13日(日)下津久礼区子ども会(米村宏行会長)主催のどんどやと消火器の使い方の講習会が同区グラウンドでありました。
 大小二つのどんどやが点火されるとパンパンと大きな音をたてて竹が燃え始めました。同時に同区の消防団(第3分団2班)がポンプ車を操作して、ホースを伸ばし白川に放水。ミニ出初式となり、区民から拍手が送られました。
 次に消火器メーカーの方から家庭用消火器の説明の後「火の根元を掃くようにホースを動かす事が大切」との指導がありました。実際に火を消す訓練を主婦や子どもたちも順番に体験してみました。訓練が終わるころにはどんどやの熾き火でお餅も程よく焼け、用意されたぜんざいもふるまわれました。
 矢野香奈子さんは「引っ越してきて初めての行事で、珍しくおもしろかったです」と地域の行事を楽しんでいました。

 

 おおきなどんどやが 勢いよく燃えましたが、周りは田んぼと白川で灰が飛んでも大丈夫でした。(岩田)


  (21)  三里木区  たわらや酒店  宇野功一

篤姫の時代の薩摩芋焼酎考

◆薩摩義士と篤姫
  新年を迎え、某国営放送の大河ドラマも「篤姫(あつひめ)」になりました。宮崎あおいが演じる篤姫は、江戸時代末期の1836年(天保6年)に生まれ、時の薩摩藩主・島津斉彬の養女として、十三代将軍・徳川家定公に嫁ぎます。今も昔も、絶えず世の中は変革するのは世の常なのでしょうか。幕末の動乱の御世に、倒幕の動きは篤姫の生まれ故郷からおこります。生まれ育った鹿児島、嫁ぎ先である江戸の狭間で、人として、女として、責任ある生き方を貫いた篤姫。そんな篤姫が生きた激動の時代、薩摩藩主たちが飲んでいた酒は…?を今回考えてみたいと思います。

◆薩摩の焼酎
  江戸時代、薩摩において最もよく飲まれていた酒は焼酎でした。これは今でも変わりません。違いがあるとすれば、それは焼酎に使う麹です。現代は「黒麹」(くろこうじ)や「白麹」(しろこうじ)が芋焼酎の麹として一般的になりましたが、この頃の焼酎つくりの麹は、黄麹(きこうじ)でした。黄麹は、日本酒を作る麹とほぼ同じ麹です。香りがよく、柔らかな味わいになるのですが、暖かい時期に仕込むと、腐造することがしばしばだったようです。薩摩義士たちが飲んでいた芋焼酎は現代の芋焼酎と香味が違っていたことは事実です。

◆黄麹の焼酎から黒麹の焼酎へ

  明治時代になり、西洋から科学技術がもたらされるようになり、伝統的な酒づくりや焼酎づくりも科学的な解明が進んできました。薩摩よりも南に位置する琉球において、健全に麹が造られることも解明されました。清酒用に使う麹は見掛けが黄色をしているのに対して、泡盛の麹菌は黒色をしていました。黒色をした麹菌は黄麹菌と比べ、クエン酸をたくさん作り出すことが分かりました。この酸によって、温暖な地域でも、健全に酒作りができました。
  そして、泡盛の黒麹を使って、鹿児島でも芋焼酎作りが行われたのは大正時代初期のことでした。泡盛と同じく、黒麹を使った芋焼酎は温暖な気候でも健全に芋焼酎ができるようになり、現代の芋焼酎の香味へと進化していったのです。

◆篤姫の時代の焼酎が呑みた〜い?

  篤姫が生きた激動の薩摩義士たちが飲んでいた黄麹の芋焼酎、飲んでみたいと思いませんか?どんな材料で、どんな工法で仕込まれたのか、実は資料が残っています。1823年(文政6年)に編集された焼酎つくりの古文書「蕃薯考(ばんしょこう)」。この記録をもとに、焼酎づくりを再現されたものがあります。某、幻の焼酎と同じように、手づくりの麹づくり、カメ仕込みは同じですが、出来上がった焼酎を濾す行程がすごいのです。現代は炭を使った濾過に対して、この時代は笹を炭にして絹の布に入れて濾すと言う工法でした。想像以上に上品に仕込まれており、香味は平成の現代でも通じる香味柔らかな焼酎です。

  武骨というイメージの薩摩義士たちは意外にも上品な香味の焼酎を飲んでいたようです。香味は柔らかいが筋の通った味わいは、どことなく薩摩女の気風と通じます。


宇野 光(ひかり)君  1歳  三里木区

 お気に入りの絵本を自分で本棚から選び、ママの膝の上で読み聞かせしてもらうと上機嫌の僕です。


成人式おめでとうございます

植竹 真理江さん  上堀川区
吉野さんに負けないくらい幸せになってやる!

焔g野 静香さん   上津久礼区
悔いの残らない様にやりたいことを全部やる!



アルパカのニット展

 1月5日〜14日まで、あさひヶ丘区のギャラリークロストークL&Eで、「アンデスの温もり」と題したニット展が開かれました。
  熊本市の本田浩二さんが集めた、南米アンデス地方に住むアルパカというラクダ科の動物の毛を使って編んだセーターやベスト、手袋などが展示されました。訪れた人は、触ったり着てみたりしてその感触を確かめていました。またペルーの織物で作られたバッグやポーチ、紅塩と呼ばれる岩塩なども展示され、居ながらにしてアンデスの空気に触れる機会となりました。


びっくり!六つ子のパール柑

 

 ひとつの枝に6個もの実がなりました。

津留区 阪本高継さん



あさひヶ丘区 大野美智子

 TVで見た、水を浄化する“えひめあい”を紹介します。排水溝に流したり、ごみ入れにスプレーしたりして使っています。ヌルヌルやくさい臭いが無くなります!環境によく、何より食品で作られているので、使うとき安心です。

 〈えひめあい〉  材料

納豆    一粒 
砂糖    20g
ヨーグルト 25g 
イースト  2g

作り方
水400ccに、材料を全部混ぜる。
フタはゆるめて、35℃で一週間発酵させる。
なめて酸っぱければ完成です。